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2009/12/16

【賀曽利隆のカソリングvol.109】

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≪≪≪≪≪≪ ●メールマガジン『カソリング』109号 ●≪≪≪≪≪≪≪≪≪
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   ■「生涯旅人」賀曽利隆の世界を伝えるメルマガです■     
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【目次】
■連載/30年目の「六大陸周遊記」第73回
■60代編日本一周第2部
「北海道遺産 第16回 旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」
■編集部からのお知らせ

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◆◆関連ビジュアルサイト 35年前の貴重な旅の写真を掲載しています◆◆
http://kasoring.com/6tairiku/
ルートマップも上記サイトから見ることができます。
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     【連載/第73回】  30年目の「六大陸周遊記」
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[前号までのあらすじ]
アフリカ大陸を横断、ついに西海岸ダカールに到着。しばし、感慨に耽った後、
いよいよサハラ縦断に向かって北上が始まった。


国境のセネガル川

 セネガルの古都サンルイからモーリタニア国境へ。100キロほどの距離が
ある。車に乗せてもらえないまま、北に向かって歩いた。南京豆畑。枯れた木
を多く見る。乾燥した風景。やっとオンボロのルノーに乗せてもらう。その車
は何度も調子が悪くなり、そのたびにエンジンを見る。やっとの思いで国境の
町、ロッソに着いた。
 目の前にはセネガルとモーリタニアの国境のセネガル川が悠々と流れてい
る。この川を渡ってモーリタニアに入れば、そこはもうサハラ砂漠の世界だ。
 1972年の「サハラ縦断」がなつかしく思い出される。
 そのときは今回とは逆に南下したが、セネガル川の流れと河畔の緑を見たと
きは大感動で、「おー、水だ、緑だ!」と、裸になってセネガル川に飛び込ん
だ。砂漠を見つづけてきた目には、セネガル川の流れはあまりにも強烈だった。

モーリタニアの首都ヌアクショット

 セネガル側のロッソには、フェリーを待つトラックの長い列ができていた。
それを見ながらカヌーで対岸のモーリタニア側のロッソに渡る。セネガルの出
国手続き、モーリタニアの入国手続きはじつに簡単なもの。それだけ両国の人
の行き来、物の行き来が多いということなのだろう。
 セネガル川を渡ると、急激に緑が薄れる。脳天を焼き尽くすような暑さ。炎
天下を歩きはじめたが、じきに首都ヌアクショットまで行く役人のプジョーに
乗せてもらえた。車は120キロぐらいのスピードで突っ走る。
 あっというまに砂漠の風景に変っていく。
 国境からヌアクショットまでは200キロほど。2時間もかからずに到着し
た。
 真昼のヌアクショットの暑さは言葉ではいい表せないほど。歩く気力をなく
し、夕方になるまで、町の中央の市場でゴロゴロしていた。
 ここでも1972年の「サハラ縦断」がなつかしく思い出された。そのとき
は猛烈な砂嵐に見舞われた。白っぽい砂ですっぽりと覆われた町の姿はまるで
雪気色。大通りを除雪車ならぬ除砂車が忙しげに動きまわっていた。

遊牧民のテントで泊まる

 すべてを焼き尽くすような太陽が西の空に傾く。やっと歩けるような状態に
なり、ヌアクショットを出発する。
 じつにラッキーなことに、歩き出して間もなく、乗せてもらえた。その車は
アキューズへの手前で舗装路を外れ、砂漠の中を走る。
 前方に遊牧民のテントが見えてきた。井戸があり、砂漠の民のモール人がラ
クダやヤギ、ヒツジに水を飲ませていた。ぼくを乗せてくれた人は遊牧民のテ
ントをまわる行商人のようだ。
 とあるテントに連れていかれる。2本の丸太を柱にし、ラクダの毛で編んだ
布を屋根にかけている。同じくラクダの毛で編んだ絨毯がテントの中に敷かれ
ている。
 お茶をいただく。中国製の緑茶だ。それに砂糖を入れて飲む。
 お茶のあとは礼拝。テントから外に出、砂の上にひれ伏し、メッカの方角に
向かって祈る。礼拝が終ると夕食。客人をもてなすためなのだろう、羊肉が出
た。
 夜はそのテントで泊めてもらう。
 夜中に突風に見舞われ、テントは飛ばされた。あわてて飛び起きたが、遊牧
民たちは驚きもしないで平然とした顔をしている。テントなどは簡単に建てら
れるからだ。やがて何事もなかったように風はやんだ。見上げる空は満天の星
空だった。

アキューズに到着

 サハラの夜明け。砂漠をほんのりと白く浮き上がらせ、やがて空一面に色づ
いてくる。地平線に昇る朝日。すべてのものを焼き尽くす真夏のサハラの1日
の幕が切って落とされた。
 遊牧民のテントを出発。砂漠の中を走り、やがて首都ヌアクショットと銅山
のあるアキューズを結ぶ舗装道路に出る。
 ヌアクショットから250キロのアキューズに到着。ここまでが舗装路だ。
 この先、もうヒッチハイクはできない。お金を払って車に乗せてもらうし
か、方法がない。いよいよ厳しいサハラの旅がはじまった。

=続く=


【30年目の「六大陸周遊記」について】
2002年、賀曽利家の大掃除で発見された未完の原稿「六大陸周遊記」に基づ
いて30年ぶりに著者が完成稿へと仕上げたものです。「六大陸周遊記」は
1973年〜74年にかけて行われた世界六大陸めぐり、著者20代半ばの世界1
周、旅の物語です。


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     【60代編日本一周 第2部】  北海道遺産
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第16回 旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群

 日高の静内をあとにし、国道235号で海岸線を行く。
 国道に沿ってJR日高本線が走っている。単線の線路を1両編成の列車が浦河
に向かって走っていく。 
 日高の海を見ながらスズキDRーZ400Sを走らせ、三石の三石昆布温泉「歳
三」の湯に入り、浦河に到着。浦河駅は中心街手前の国道沿いにあるが、寂れ
た感はいなめない。
 日高本線はさらに日高の海岸線を走り、様似が終点になる。
 当初の計画ではさらに東へ、日高から十勝に入り、広尾で広尾線に接続する
はずだった。だが、「様似⇔広尾」間は未開業のままで終った。
 浦河からは国道236号を行く。日高山脈を全長4232メートルという北
海道最長の国道トンネルで抜け、十勝に入っていく。広尾に近づくと、風景は
一変し、目の前には大平原が広がっている。

 広尾に到着すると、1987年に廃線となった広尾線の終着駅、広尾駅まで
行く。鉄路こそ消えたが、今はバスターミナルになっている。
 広尾線は「帯広⇔広尾」間の84キロの路線だったが、1967年から19
75年までの間は帯広で士幌線に乗り入れ、糠平までの臨時急行「大平原」が
走っていたという。
 帯広からは国道241号で上士幌へ。十勝の桁外れに広い平原を行く。そし
て上士幌からは273号でその糠平へ。平原から山中に入った糠平の周辺に北
海道遺産になっている旧国鉄士幌線のコンクリート製アーチ橋梁群がある。
 その中でも何といっても目玉はタウシュベツ川橋梁だ。
 さっそくタウシュベツ川橋梁が見られる地点まで行ったが、そのときの驚き
といったらない。
 何と跡形もなく、きれいさっぱりと消え去っているではないか…。
「どうして、どうして…」と思わず声が出た。
 2006年から2007年の「300日3000湯めぐり」のときは幌加温
泉、岩間温泉に入ってここに来たが、ローマの水道橋を思わせる橋梁の美しさ
にはしばらくは見入ってしまった。その橋がなくなっている。
 かなり老朽化が進んでいたので、きっと崩落したのだろうと自分勝手に想像
し、糠平に戻った。
 そこで地元の方に話しを聞いて納得。人造湖の糠平湖が増水し、タウシュベ
ツ川橋梁は湖底に沈んだのだという。謎が解き明かされて、すごくほっとし
た。湖底に沈んだのでは仕方ない。気持ちが楽になったところで、タウシュベ
ツ川橋梁の変わりに、国道沿いの三ノ沢橋梁を見に行った。

 ぼくが初めて北海道を一周したのは1978年。
 我が「30代編日本一周」のときのことで、そのときはまだ北海道の鉄道は
ほぼすべての路線が健在だった。
 50ccバイクのスズキ・ハスラー50を走らせての「北海道一周」だった。
全泊野宿という超貧乏旅行で、興浜南線の栄丘駅や深名線の母子里駅といった
ローカル線の駅舎を使わせてもらって駅泊したこともある。
 栄丘駅ではオホーツクの波の音を聞きながら眠った。
 母子里駅では9月とは思えないような寒さに震えて眠った。
 話は横道にそれるが、1978年というのは大変な年で、母子里では2月2
7日に氷点下41.2度を記録し、日本の最低記録を打ち立てた。8月3日に
は山形県の酒田で40.1度を記録した。その直後に酒田を走ったが、アス
ファルトは溶け、センターラインがグニャグニャに曲がっていた。そのような
こともあったので、母子里駅で寝たときは「日本という国は夏と冬では82度
もの差があるんだ!」と感動したものだ。

 ぼくは鉄道も大好きだ。
 そのときはバイクで北海道をまわりながら、「この旅が終ったら今度は鉄道
で北海道をまわりたい!」と心底、思った。だが、それはかなわぬ夢で終っ
た…。
 あのとき、それができていたら…と、今すごく悔やまれる。
 1985年の興浜南線、興浜北線、美幸線を皮切りに、1987年の広尾
線、士幌線、羽幌線…など、その後、次々と北海道の鉄路は地図上から消えて
いった。そのスピードはあまりにも速かった。
 当時(1980年)の鉄道地図を見ながら、ぼくはあらためて悔しさをかみ
しめている。

この原稿は、カソリングWEBで、現在更新中の「北海道遺産コラム」からの抜粋
です。
http://kasoring.com


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●編集部からのお知らせ
2009年も残すところ2週間ばかりとなりました。本格的な冬将軍も到来、ツー
リングはしばらくおあずけという方が多いと思いますが、ただいま賀曽利隆は
中国大陸走行中です。その様子は、スズキのホームページで紹介予定です。

次号 1月15日予定です。
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 ● MAIL MAGAZINE『カソリング』109号  2009年12月16日発行
          編集・発行 カソリング編集委員会
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      │\/│<kasoring@kasoring.com>     
      └──┘       
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●『カソリング』バックナンバーを読むには:
<http://bn.lib2.com/backnumber/frame.cgi?id=0000037317>
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