[書評]のメルマガ vol.373
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■■ [書評]のメルマガ 2008.8.16発行
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■ vol.373
■■ mailmagazine of book reviews [ 夏の臨界点 号]
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[CONTENTS]------------------------------------------------------
★新連載「ふぉっくす舎のエンターテインメント玉手箱」根岸哲也
→“本棚のために家をつくった男”がずっと読み続けてきた作家たち。
★「入谷コピー文庫 しみじみ通信」堀内恭
→限定15部でオモシロ小冊子をつくる極小版元の活動報告です。
★「千駄木ドロナワ日記」川原理子
→地域雑誌『谷根千』の若手スタッフが綴る、日々のあれこれ。
★「もっと知りたい異文化の本」内澤旬子
→さまざまな問題をはらむ『永遠の絶滅収容所』についての続き。
★「中山亜弓が選ぶこの一冊」
→海外にも知られている春川ナミオ画伯の画集について、再び。
★「全著快読 編集工房ノアを読む」北村知之
→休載です。
*本文中の価格は、表示のあるもの以外は、税抜き(本体)価格です。
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■新連載 ふぉっくす舎のエンターテインメント玉手箱
(1)堀晃の“センス・オブ・ワンダー” その1
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昨年2月に創元SF文庫から日本SFの刊行が開始された。第1回配本のう
ちの一冊が堀晃の長編『バビロニア・ウェーブ』だと知り、快哉を叫んだSF
ファンも多い。かくいう自分も堀作品に魅了され続けている一人だ。
堀は1944年生まれ。高校在学中から筒井康隆主宰の同人誌「NULL」に作品
を発表し、70年に「SFマガジン」に「イカルスの翼」が掲載され商業誌デビ
ュー。作家歴は40年近いが、企業の研究所勤務と並行して執筆を続けてきたた
め寡作である。
70年代後半から80年代前半にかけては、SFブームであり、SFと銘うてば何
でも売れた(売れると考えられた)。専門誌も「SFマガジン」「奇想天外」「SF
宝石」「SFアドベンチャー」と4誌が存在した。
堀が精力的に作品を発表したのはこの時期。同題短編を含んだ最初の作品集
『太陽風交点』(早川書房)の解説で、小松左京は「堀ちゃんにもっと書かせろ、
尻をひっぱたけ」と編集者たちをけしかけたと書いているが、ファンの堀作品
がもっと読みたいという声も後押しになっていただろう。この時期に刊行され
ていたSFファンジン「オービット」の専門誌掲載作を採点するコーナーで、日
本作品の第1位となったのが「太陽風交点」。他の作品も高評価で、編集担当の
水鏡子は「それにしても堀晃の評点の高さには目をみはるものがある」と書い
ている(創元SF文庫『遺跡の声』の牧眞司の解説による)。
私が堀作品に出会ったのもこの時期で、「SFマガジン」80年5月号掲載の
「猫の空洞」が初めて読んだ作品だ。宇宙船の遭難事故の調査に、情報管理官
と共に向かった主人公は、その調査の目的が宇宙船内にいるであろう猫の捜索
だと知る。その猫は驚くべき能力を持っていた――。
堀作品は科学的なリアリズムに重きを置くハードSFに分類されるが、科学
的リアリズムはあくまで背景にすぎず、魅力的な謎とその解決が描かれるアイ
ディアストーリーであり、謎が解決されながらも、物語は収斂せずに、“センス・
オブ・ワンダー”が感じられるラストがある。「猫の空洞」を一読し、ひき
つけられたのを機に、図書館に通い、「SFマガジン」や「奇想天外」のバック
ナンバーで、次々と堀作品を読むうちに自分の中にまとまってきた印象だ。
そして、80年に日本SF作家クラブ主催の第1回日本SF大賞を『太陽風交
点』によって受賞する。受賞作は、この賞を後援する徳間書店との間で文庫化
の契約が結ばれ、出版される。このことが、後に「太陽風交点事件」と呼ばれ
る事件を生む。(この項つづく)
〈ねぎし・てつや〉 1966年生まれ 団体職員。〈ふぉっくす舎〉の屋号で
「外市」や「一箱古本市」で古本を売る。
盛り沢山の料理を用意して、自宅にてブックカフェごっこを。お客様に満足
してもらえるか、はたまた自己満足に終わるのか…。
http://d.hatena.ne.jp/foxsya/
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■入谷コピー文庫 しみじみ通信 堀内恭
(19)「あたご劇場」へ、ようこそ
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しばらく田舎の高知へ帰っていました。高知市内のはずれにある我が小さな
田舎の町の、かつては「銀座通り」とよばれた商店街は寂れる一方です。シャ
ッターを下ろした店と駐車場ばかりが目立ちます。町で唯一だった本屋さんも
閉店していました。それでも個人商店のおじさん、おばさんは妙に元気です。
南国特有の陽気さに溢れています。
高知市内にはシネコン以外に現在、単館系劇場は、ピンク映画を上映する
「高知小劇」と名画座「あたご劇場」があるだけです。また高知市内以外の郡
部には安芸郡安田町の山の中に「大心劇場」がただ1軒がんばっています。
館主は「豆電球」というフォークシンガーでもある土佐では有名人の小松秀吉
さんです。ここは月一回の上映らしいのですが、俳優・小林旭も訪ねて来たと
言い、一度機会があればぜひ訪ねてみたいと思っています。
さて、帰省のたびに訪ねてみたいという気にさせるのが「あたご劇場」です。
ここの開館は昭和30年。まだに日本映画黄金期に誕生した劇場です。現在
の建物はその当時とほとんど変わっていないそうです。ポツンと1軒だけ建っ
ている佇まいは、まさに「高知のニューシネマ・パラダイス」といった雰囲気
なのです。
ここは支配人の水田朝雄さんが映写技師も兼ねています。入り口のモギリに
は水田さんのお母さんがいて家族経営でやっています。1階2階が客席で、3
階が映写室です。映写室には2台の年代物の映写機があるそうです。そこで水
田さんは一人忙しく働いています。
木の扉を開けると、ロビーにはポスターを売っていたり、ガラスのケースに
は高知名物「冷やしあめ」や缶コーヒーを売っています。売店には、高知県人
にはなじみの「ミレービスケット」も100円で売っています。
水田支配人が選ぶ番組は、もし高知にいたなら毎週通いたいと思うものが並
びます。「タロットカード殺人事件」「潜水服は蝶の夢を見る」「迷子の警察
音楽隊」……最新作から「昭和レトロスペクティヴ」と題するシリーズでは東
映仁侠映画やロマンポルノ傑作選を上映しています。
残念ながら、お客さんは少ないようです。8月には「よさこい踊り」があり
ます。どうぞ高知へおいでの際は、ぜひ「あたご劇場」へ足を運んでみてくだ
さい。
「あたご劇場」
http://www.alles.or.jp/~kae74/atago/
〈ほりうち・やすし〉1957年生まれ。フリー編集者。
赤穂貴志君の「にっかつロマンポルノ論」を9月末〜10月上旬に刊行予定です。
重箱の隅をつつく面白い読み物になると思います。
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■千駄木ドロナワ日記 川原理子(谷根千工房)
(9)頼んだ私が悪かった
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8月4日(月)
出かけるのが億劫になり、もぞもぞしているうちに予定より2時間遅れて、
上野から9:02発の新幹線はやてに乗る。目指すは北海道。とりあえず富川ま
での乗車券と函館までの特急券あわせて19980円。本当は91号「蝦夷と谷根千」
取材で、最上徳内ゆかりの厚岸神社にYさんとOさんと行く予定で、アルバイ
トの休みも無理してとったのに、Yさんがやっぱり秋の方が旅情があっていい
と言い、悔しいので私一人で遊びがてら行くことにした。 5泊6日で二風谷、
もし行けたら厚岸まで。岩見沢の祖父母たちにも会いたい。
八戸で特急に乗り換え3時過ぎに函館につく。ちょっと寄り道しようと、五
稜郭駅との差額200円をはらう。
市営の路面電車で五稜郭公園へ。本日は函館のお祭りで5分間隔で運転、乗
車賃は特別に200円均一とのこと。花電車も走る。
五稜郭公園では箱館奉行所の復元工事中で、2010年に完成予定。五稜郭はお城ではなく、箱館開港の際、この奉行所のためにつくられたそうだ。どれほど
外国が怖かったのだろうと思う。五稜郭の資料があった函館博物館分館は工事
のため閉館。外に展示してあった箱館戦争でつかわれた大砲は見ることができた。
堀の内側ののどかな桜並木を戻る。「彰義隊は弱い、あんな簡単に負けて軍
としてなっていない」というおじさんの声。
函館博物館で没後100年「榎本武揚ー箱館戦争の光と影ー」展開催中の立て
看板があった。84号「上州と谷根千」のとき、天野八郎の生家で、榎本武揚直
筆という漢詩を見せてもらったことがあり、それだけでこの人には親近感があ
る。函館ではあちこちで土方歳三と榎本武揚、黒田清隆の名を見る。戦没者の
供養塔も見る。2年前に開業した新五稜郭タワーの敷地にも「箱館戦争供養塔」
があった。明治政府ははじめ、旧幕府軍側の人間を弔うことを禁じたそうだが、
あんまりではないか。
しばらく駅方面に向かって歩き、市電で谷地頭へ。夜のパレードのため、松
風町で代行バスに乗換える。
谷地頭は中心街から大して離れてはいないが、函館山のふもとの住宅地で、
涼しくて草や木のよい香りがする。この近くに旧幕府軍側の兵士800人を祀っ
た碧血碑や、石川啄木の墓がある。また少し北には、港を中心に、教会や公会
堂など近代建築も残る旧市街地がある。
市営谷地頭温泉は入浴料390円。この時間ともなると客はほとんど土地の人。
浴場は洗い場広く、3つの湯船と五稜郭の形をした露天風呂あり。茶褐色の塩
っぽいお湯。風呂を出ると日が暮れていた。
近所の人たちが道端に集ってお祭りをしていた。焼き鳥、ソーセージ、豆腐
などを売り、盆踊りのやぐらが立っている。子供も多い。200メートルほど先
ではカラオケ大会。こちらはおじさんおばさんで盛り上がっていた。
8月10日
昨晩乗車した22:00札幌発急行はまなすが青森へ着き、八戸、上野と乗って、
午前10時半に家に帰った。ベランダの鉢の木たちは意外に元気だったが、実家
に避難した草たちは、プラスチックの大きな衣装ケースの中で水にどっぷりつ
かり、いくつかは腐ってしまっていた。母も出かけることになり、腰水をまち
がえて腰どころか頭の上まで水につけたようだ。母は電話の向こうで「いいア
イディアでしょ」と嬉しそうだった。私の草のために、10リットル以上の水を
運んでくれたのだから、文句は言えない。頼んだ私が悪かった。
〈かわはら・さとこ〉谷根千工房社員
白山下のモスバーガーが7月に閉店した。明るいし、音楽も静かだし、本を読
むにも新聞を切り抜くにもいい場所だった。夜遅くまでやっていて、母と喧嘩
した夜、カギを忘れて家に入れない夜など、よくお世話になった。根津のモス
もなくなってしまった。「谷根千」に長いこと広告を出してくださった。残念
だなあ。
「谷根千ねっと」
http://www.yanesen.net/
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■もっと知りたい異文化の本 内澤旬子
(37)人間と動物のあいだで その2
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チャールズ・パターソン・著、戸田清・訳『永遠の絶滅収容所 動物虐待とホ
ロコースト』緑風出版、2007年
著者のパターソンは、エルサレムのヤッド・ヴァシム・ホロコースト教育研
究所の協力研究員を勤めた経験がある。本人の出自がユダヤ系であるかどうか
は記されていないので不明です。
本書の言いたいことは、動物虐待が人間の虐殺、ホロコーストを産み出した。
そして動物虐待の最たるもの、それは家畜の食利用である。いたいけな家畜動
物を殺すのをいますぐやめましょう。というものであります。動物の食利用の
ために人類がやってきたこと、屠畜だけでなく去勢だとか、品種改良などが、
罪のない動物を苦しめるだけでなく、優生思想を生み出し、人種差別をも生み
出したと。
日本で、屠畜を動物虐待と言い切る人は、そんなに多くないですし、まして
や大手版元やテレビラジオで発言する人など皆無です。しかしですね。欧米の
動物愛護団体の活動ではごく普通に言われてます。チェコで通訳をしてくれた
女性は、家畜を屠畜場に搬送するための長距離貨車輸送について、ぎゅうぎゅ
うに押し込み、途中で水をやって休ませるはずなのにコスト追求のためにその
まま目的地まで長時間休みなく運んでいる実情などをこまかにルポしたテレビ
番組を見たと、教えてくれました。ゴールデンタイムに放映されて、みんなそ
のことで本当に酷いと言い合っていると。
うーん私だけかもしれませんが、屠畜の現場ならまだしもなぜ貨車で運ぶと
ころにそんなに過剰反応するのか。当時皆目わからずに目を白黒させたんですね。
これが、ユダヤ人を貨車に詰め込んで収容所に搬送させた記憶とだぶらせて
苦しんでいる(人もいる)のだということにこの本を読んで知り、びっくりし
ました。家族を連行され皆殺しにされたホロコーストサバイバーたちが、「あ
れは私たちだ。やめてくれ」と言ってるんだと。まあ傷を負った人たちにそう
言われれば、そうなんですかと言わざるを得ませんかね。前回も書いたけど。
それにしてもユダヤ人ですよ。生け贄イケイケな宗教を数千年頼みとしてき
た人たちなのですよ。家畜は人間のために神が作ってくれたものという教えな
んですよ。それがホロコーストを経て、そのユダヤの教えからすらも背を向け
ようと、「汝殺すなかれ」を動物にも適用させようと、しているというのですわ。
七章ではノーベル賞作家にしてベジタリアンのアイザック・シンガーについて
紹介してるんですが、彼もまたユダヤ系の、ホロコーストサバイバー。イディ
ッシュ語で書かれる小説は、屠畜と肉食嫌悪に満ちてるんだそうで。邦訳はな
いみたいです。だれか邦訳してくださいよ。ノーベル賞作家ですよー。
読んでいてよくわからないのは、なぜ動物だけを無垢で無実であるにもかか
わらず、現在もっとも虐げられている存在とするのか。だって私たち肉や魚だ
けでなくて、栽培植物も搾取してるじゃないですか。品種改良して、ハイブリ
ッドにすることだって、同じ理論ならば虐待でしょう。そこの説明がすこーん
と抜けたまま、白人の、アーリア人の男がユダヤ人や女性や黒人を差別して虐
待してきたその延長線上に動物虐待があると、当然のように書くわけです。ミ
ラン・クンデラなどの有名作家の著作からの引用なんかもからまぜながら。
私は逆に欧米人の持つヒエラルキー思想の強さをひしひしと感じました。米
粒ひとつにいのちがあって、という考えを叩き込まれてる私たちにとって、動
物と魚だけを特別扱いしたところで、そりゃカラダもデカイから感情移入はし
やすいけれど、それにしてもどうしてそんなにくっきり線引きできるのか皆目
分からないのです。もしかして以前に彼らが人間と動物の間にくっきりと線引
きをしていたことの裏返しなのではないか。そんなことを感じました。
この本が良書だとは思いません。中に書いてあることに激しく賛同しかねる
部分も多いです。中でも大規模屠畜の様子と、ユダヤ人収容所での虐殺の模様
を交互に書き連ねて読み手の感情を誘導する手法はどうかと思います。さらに
元屠畜職人が収容所で「最悪の殺人者」となったとも書いています。原書や引
用を追ってませんのでこの記述自体について とやかく言うのは控えますが、
訳者の戸田清氏(『動物の権利』の訳者でもある)は、この文を訳注すらなし
にそのまま出しておいて、あとがきでかの地と日本の背景の違いにまともに触
れることなく「屠畜労働に携わる人びとをスケープゴートとして悪者視・差別
することが間違いであることは言うまでもない」とさらりと書いてますけれど、
どうなんでしょうかね。「苛烈な糾弾(by呉智英)」を積み重ねてきた芝浦屠
場労働組合や横浜屠場労働組合の方々がこの本をどう読まれるのか。私が屠畜
職人なら糾弾はせずとも、抗議の手紙くらいは版元と訳者に出しますけどね。
あ、私が知らないだけですでに抗議をされているかもしれませんね。(そうい
えば大江健三郎の『沖縄ノート』の件はどうなったのかなあ。糾弾はあったん
だろうか)
それでもあえて申します。英語の本をガンガン読む力のない私はこの本の邦
訳が刊行されてとても嬉しかったです。もう少しまともな論旨で綴られた本な
らば尚よかったんですけどね。まあそれはとりあえずおいて、欧米で動物愛護、
ベジタリアニズム、そして屠畜と虐殺がどうとらえられているのか、我々日本
人とはまったく違う思想背景によっているのだということ、動物愛護からホラ
ー映画にいたるまで、そこから派生した表現がちりばめられていること、それ
すら意識しないままに、私たちは日々欧米からの表現物を取り込み続けている。
「屠殺」を差別表現と考えるならば、この差異にもっともっと自覚的になるべ
きなのではないか。「それはまるで屠殺場のようだった」という表現をただ
「屠殺」という言葉を回避し「惨憺たる現場」などに言い換えるだけで本当に
いいのか。などなど、いろいろ考えさせられたので した。
近いようで遠すぎる、越えるに越えられない溝がある、欧米文化圏なのであ
ります。
〈うちざわ・じゅんこ〉イラストルポライター
『週刊現代』で「リレー読書日記」を担当することになりました。
http://d.hatena.ne.jp/halohalo7676/
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■中山亜弓が選ぶこの一冊
(30)人間妄想の臨界点
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確か2年前、この連載で、私が働くタコシェにて、女性のお尻ばかりを長年
描き続けてきた春川ナミオ画伯のミニ画集を作成する経緯をお話したかと思い
ます。
書評を書かなくてはならないのだけど、編集の追い込みで手がまわらず、切
羽詰まった作業の様子とあわせて画集についてご紹介したのです。
そして、今回も事情は同じです。あのとき、なんとか完成したミニ画集は当
店で販売し続け、タコシェが入っている中野ブロードウェイというビルがサブ
カルチャーの牙城として海外にも紹介され、欧米からのお客様も多いせいか、
そのうちの一冊が珍東京みやげとしてフランスのアーティスト、ステファン・
ブランケの手元に届いていたのでした。
ここで、改めて春川画伯のことを簡単に説明しますと、氏はまだ学生だった
昭和36年に、日本初の変態総合誌『奇譚クラブ』と出会い、ご自身の性癖に目
覚め、以来、豊満女性のお尻とその下に顔面を組み敷かれるM男の至福を40年
以上も描き続けているという、お尻アートの第一人者です。
恐らく、北京オリンピックで盛り上がる現在、画伯はテレビ観戦をしながら、
闘志に満ちた健康的で大柄な女性たちに声援を送りつつ、肉体美をしっかりと
その目にやきつけていることと思いますが、そのような日々の絶え間ない観察
とつきせぬ愛情ゆえに、その絵はここ数年でも前にもまして、緻密に描き込ま
れ、肉感・重量感に肉迫しています。
おしゃれなバーで、あるいは夕涼みのひとときの日本家屋で、あるいは社長
室で…と様々な設定で、豊満な肉体と豪奢な性格を持ち合わせた貴婦人が、M
男を組み敷く。しかし、貴婦人とM男の間には、『春琴抄』の琴と佐助のよう
な強い愛と信頼の絆があることは言うまでもありません。従って京マチ子とか
山口百恵とは別種の巨女の春琴が佐助を座布団代わりにして三味線を弾いてい
るようなイメージをお持ちいただければいいかもしれません。
ともかく、そんな日常の延長のようでいて、すっかり日常を逸脱してしまっ
たというか、リアルなタッチで滅多にありえない設定を描く春川ワールドは、
個人の嗜好とか性癖を越えた、人間妄想の臨界点として、SM趣味を超越した
人類のファンタジーがあります。
しかし、当の春川画伯は、アートもSMも意識せず、ただひたすら、自分の
理想の女性を具現化したいという一心で40年以上描いてきたとおっしゃって
います。無頓着といえば無頓着です。
ですから、ステファン・ブランケが編集するLE MUSCLE CARABINEというオム
ニバス画集に作品掲載を求めら、できあがった本を見ても「なんか場違いとち
ゃいますか??」というのが画伯の感想でした。確かに…。画伯は芸術を追究
しているのじゃなく、巨女の美を追究しているのだから、浮いているかもしれ
ません。しかし、個性がひしめき合うイラスト集の中でも突出してしまう画伯
の個性が、さらにブランケに確信を与えたようで、単独の画集を作りたいとオ
ファーを受けたのでした。
画伯や出版社のご協力を得ながら、新たに素材を揃え、やりとりをするうち
に、画伯の持ち味や意向、日本でつくりあげてきたイメージを尊重したいとい
う提案を受けました。
これまでの画集のタイトルは「巨女渇愛」「巨尻擾乱」など、重厚なイメー
ジのものが多かったので、クラシカルかつエロティックな響きがあり、言葉遊
びの要素も持つタイトルを希望する旨を伝え、新しい画集はギリシャ語の“美
尻”を意味する『カリピージ』となりました。
また、「フランスでは、日本人の名前の姓名の区別がつかなくて、一冊の本
の中でも表記が不統一なものがある」と言ったこともあって、クレジットは本
来の名前に忠実に表記したうえで、原語表記もしようということになりました。
といっても、これは私が日本語にしたものを、全く日本語のわからない編集人
が手書きで書き写すことになるので、いったい最終的にどうなるのか、怖×楽
しい気分です。
順当にゆけば9月に春川ナミオさんの新作が小規模な出版ですがリリースさ
れます。私たちが作ったミニ画集が偶然、海を渡り、その返歌のような形で今
度は向こうの土地で素材も新たに30センチ×40センチのキングサイズになっ
てお目見えするわけです。待ち遠しいですね。
〈なかやま・あゆみ〉中野タコシェ勤務。
タコシェ
http://blog.taco.shop-pro.jp/
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