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2008/07/18

[書評]のメルマガ vol.369

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■■ [書評]のメルマガ                        2008.7.18発行  

■                                               vol.369
■■     mailmagazine of book reviews   [ 目先の時代 号]
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[CONTENTS]------------------------------------------------------
★近事雑報「南陀楼綾繁のホンのメド」
 →本をめぐる情報+アルファの雑談です。荻原魚雷さんのイベントなど。
★新連載「全著快読 編集工房ノアを読む」北村知之
 →「全著快読」新シリーズ。大阪の文学出版社の全冊を読みます。
★「入谷コピー文庫 しみじみ通信」堀内恭
 →限定15部でオモシロ小冊子をつくる極小版元の活動報告です。
★「新・新刊書店の奥の院」荒木幸葉
 →金沢から新天地に移り、そこでもやっぱり書店員の日常です。
★「古今東西歌舞音曲芸能図書偏読三昧」高野ひろし
 →しゃべくり芸人の頂点・いとしこいしの回想録を紹介します。
★「オヤツのオトモ」大橋あかね
 →アマいオヤツにゃ本が合う。本邦初の「食い合わせ」書評なのです。
★「林哲夫が選ぶこの一冊」
 →まだ青年だった小林秀雄が翻訳した『地獄の季節』について。

*本文中の価格は、表示のあるもの以外は、税抜き(本体)価格です。

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■南陀楼綾繁のホンのメド 
新刊、古書、マンガ、雑誌、ウェブサイト、書店、イベントの近事雑報
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★火星の庭で魚雷さんイベント

「荻原魚雷、古本の森文学採集」7/17 (木)〜 8/18(月)

『古本暮らし』(晶文社)の著者、荻原魚雷さんが古本の森をさまよい採集し
た文学はどれも新鮮な読書の愉しみに満ちています。魚雷さんのブログ「文壇
高円寺」に登場する文学についてのエッセイと実物の本を展示します。

「文壇高円寺古書部」の出張販売あり。
ご来場の方に「古本の森文学採集ノート」を差し上げます。(限定300部)

【トーク&ライブ】7 / 27(日)
荻原魚雷さんと友人のミュージシャン・オグラさんが来店!
18:00開場 18:15開演 20:30終了予定
第一部「荻原魚雷トーク・古本の森文学採集」
第二部「インチキ手廻しオルガン弾きオグラ・ライブ」
前売券 当店にて発売中
(定員35名)2500円・1ドリンク付

〒980-0014 仙台市青葉区本町1-14-30 ラポール錦町1F
tel 022-716-5335 fax 022-716-5336
営業時間:11時〜20時 (日・祝日は19時まで)
定休日/毎週火曜・水曜
http://www.kaseinoniwa.com

★田川律さんのドキュメンタリー映画が完成!
 料理人、舞台監督、歩く人、そして唄うたい。「自分でもなんだかわからな
い」という田川律さんを主人公にしたドキュメンタリー、伊勢真一監督
《ゆめみたか〜愛は歌 田川律〜》が完成。音楽評論家として出発しながら、
「評論はなんかえらそうやから嫌い、誰かと一緒につくるほうがいい」という
田川さんの魅力が詰まったフィルムです。お寺の子だったからといって、やた
らと墓地のシーンが多いのがなんだかおかしいです。

7月25日(金) 
吉祥寺・武蔵野公会堂 19:00〜 
問い合わせ:いせフィルム(03-3406-9455)
※トークあり(田川律×伊勢真一監督)

7月27日(日) 
江戸川区・小岩コミュニティホール 13:00〜/16:00〜
問い合わせ:メイシネマ上映会(03-3659-0179)
※トークあり(田川律×伊勢真一監督)

8月5日(火) 
練馬区・大泉学園ゆめりあホール 19:00〜 
問い合わせ:いせフィルム(03-3406-9455)      
※トークあり(田川律×伊勢真一監督)
       
8月24日(日) 
大阪・阿倍野区民センター 大ホール 15:00〜
「ヒューマンドキュメンタリー映画祭 阿倍野」
※上映後、ライブあり(大塚まさじ×田川律)

9月10日(水)
森の宮・大阪青少年会館プラットホーム 14:00〜/18‘30〜
上映後、ライブあり(大塚まさじ×田川律)

この映画については
http://www2.odn.ne.jp/ise-film/works/yumemitaka/yumemitaka.htm

★「本の家」で海ねこ&旅猫イベント

「海ねこ&旅猫〜絵本と雑貨の夏やすみ」
期間:8月5日(火)〜9月15日(月・祝)

信州・高遠の「本の家」で、「古書 海ねこ」「旅猫雑貨店」両店の古本、
雑貨などを展示販売します。

「古書 海ねこ」
ネット専門古書店として開業してから5年。古書組合へも加盟し、各種
展示会に参加するなど、着々と本格古書店へと進化中の人気店です。
得意ジャンルの「絵本(日本、海外)」「児童書」「少年少女雑誌」から
「70〜80年代女性誌」まで、女性店主ならではの視点で集められた本たちが、
「本の家」の壁や棚を彩ってくれます。
http://www.umi-neko.com/

「旅猫雑貨店」
 東京都豊島区雑司が谷にある、和雑貨と古本のお店です。
郷愁を誘うような雑貨から、お手玉、折り紙、ブックカバー、手ぬぐいまで扱
う商品は多種多彩。何かとチェックのきびしい若い女性にも口コミで人気が広
がっている注目店。高遠にも、見るだけで楽しい気分になる商品を揃えてやっ
てきてくれるはずです。
http://www.tabineko.jp/contents.html

「本の家」
住所:長野県伊那市高遠町西高遠1698
JRバス高遠停留所の向かい
TEL/FAX:0265-94-3933
10:00〜19:00
月曜定休(祝日の時は営業)
http://hon-no-machi.com/

★「台湾文学館の魅力」展開催中
 八月三日(日)まで、神奈川近代文学館で「台湾文学館の魅力―その多彩な
世界」を国立台湾文学館との共催で開催中。台湾文学館が所蔵する直筆原稿や
書簡などの貴重資料を通じて、多彩な作家や作品を輩出してきた台湾文学の世
界を紹介。台湾文学館の建物(旧・台南州庁舎)や現在の活動についても、模
型や映像などによって多角的に展示し、その魅力を伝えている。常設展「文学
の森へ 第三部」と同時開催。

神奈川近代文学館
〒231-0862  横浜市中区山手町 110
tel. 045-622-6666
fax. 045-623-4841
http://www.kanabun.or.jp

なお、ココに載せられなかった新刊、イベントなどの情報は、随時以下に
掲載しています。ときどきご覧ください。
「ナンダロウアヤシゲな日々」
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/

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■新連載 全著快読 編集工房ノアを読む   北村知之
(2)散文芸術はかくあるべし
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杉本秀太郎『火用心』2008年

 あたりまえのことだけれど書店員をしていると、いろんな本にあう。けっき
ょくそれだけのために本屋で働いているのかもしれない。小学館のショトル・
ライブラリーに、『京町屋・杉本家の献立帖』という一冊がある。そのとびら
の写真に、まるで大きな蒸気船の機関室のような町家のダイドコがうつってい
る。太い柱と梁がめぐらされて、ふきぬけの高い障子窓から光がはいっている。
黒いレンガづくりのかまどがのこっていて、その上の壁には「火用心」と大書
してある。それを見て作者で料理研究家の杉本節子というひとが、杉本秀太郎
の娘だとわかった。『火用心』は、意外にも杉本秀太郎にとってはじめての編
集工房ノアの本。巻末に自筆年譜をそなえるエッセイ集のシリーズ「ノア叢書」
に、とてもしっくりなじんでいる。

 二年まえ、大阪堀江の貸本喫茶ちょうちょぼっこの本棚にあった『CABIN』
8号で、杉本秀太郎をしった。すぐに随筆集『半日半夜』(講談社文芸文庫)
を買いにいった。その「富士正晴小特集三」にのっていた「富士の裾野」が、
『火用心』の巻頭におかれている。

 杉本秀太郎がはじめて富士正晴にあったのは昭和三十五年四月のことで、人
文書院版『伊東静雄全集』の編集打ち合わせの席だった。その夜から杉本家は、
富士正晴にとって京都の定宿のひとつになった。

  富士さんはじつに何でもなく門口に立ち、それからじつに何でもなく内
 玄関で靴を脱ぎ、じつに何でもなく段梯子を上がって私の部屋に入り、胡
 坐を組んだ。ごっつい家にすんどるなあ、とか、なんの商売しとんねん、
 とか、つまらんことは一切いわず、すいすいと入って、とんと収まった富士
 さんを見て、なんちゅううれしい人やろ、と私は思った。(「富士の裾野」)

 富士正晴がきにいったのはのちに京都市有形文化財に指定される家ではなく
て、「何よりもお前とこのフトンがええ。昔、丁稚が寝とったゴワゴワのフト
ンの肌ざわりが何ともいえん」(吉岡秀明『京都綾小路通 ある京都学派の肖
像』淡交社)といった。

 富士正晴は、「言い淀むということを知らない人であった」、また戦後は、
「小説も、随筆も、そして詩も、すべてぶっつけで書き、ほとんど抹消も訂正
もしなかった」。

  こういう書き方のできた人には、私の知る限り、ほかにアランあるのみ。け
 だし散文芸術はかくあるべしといお手本が、遠いフランスではない、すぐ身近に
 あった。私はいまだに千里の遠くをうろついている。(「富士の裾野」)

 杉本秀太郎の文章も、書きよどむということをしらないようにみえる。「富
士の裾野」は富士正晴の思い出をかたりながら、桂春団治の弟子だった花柳芳
兵衛からはじまって、中尾務、天野忠、桑原武夫、小高根二郎、中川久定、人
文書院社長の渡辺睦久、井沢義雄、大槻鉄男、松田道雄、と筆は自由にちって
いく。杉本家を訪れた富士正晴のようだとおもう。「じつに何でもなく」さし
こまれるエピソードは有名と無名によらず印象にのこる。そうして「すいすい
と」はなしははこばれて、富士正晴に「とんと収ま」る。

 まず佐藤春夫『退屈読本』をひく「あとがき」を読めばそれはわかる。

〈きたむら・ともゆき〉1980年生まれ 書店員
『spin』に「エエジャナイカ」を連載。いつまで書店員を続けられるのかと
思いながら働く日々。

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■入谷コピー文庫 しみじみ通信  堀内恭
(18)タカダワタル的とは
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『タカダワタル的ゼロ』(白石晃士監督)という映画を、先日新宿で観て来ま
した。2004年に公開された映画『タカダワタル的』(タナダユキ監督)の続
編です。といっても、巷で評判になり、高田渡ファンを増やしたという『タカ
ダワタル的』が生まれるきっかけとなった、2001年大晦日の下北沢ザ・スズ
ナリでの年越しライヴ「高田渡とその仲間」がその映像の中心です。

 映画『タカダワタル的』が評価され、高田渡にスポットが当り、まさにこれ
からという翌年4月16日に高田渡は帰らぬ人となりました。
「ライヴの中には僕がほとんど集約されている。飲んでいるときはオマケだ!」
と高田渡が映画の中で喋っていますが、そのライヴで見せる高田渡の一瞬の視
線が垣間見せる恐さ、沈黙の中に身を置く存在感、そしてたどりついた人生の
先の笑顔といったものが入り混じって、とても面白い内容でした。

 映画パンフレットのインタビューで、ザ・スズナリでのライヴを企画した俳
優・柄本明がこう言っています。
「高田渡という人を知らない人が高田渡を知るというのは、いいことだと思い
ます。だって、この映画を観れば〈こんな人がいたのか〉と思うはずだもの。
勇気がわくはずです」と。そのとおりですね。
 高田渡という人物を知ると、ちょっぴり勇気が湧いてきます。

 2005年10月に、この「入谷コピー文庫」で『勝手にタカダワタル的語録』
(キング亀田・編)を刊行しました、「入谷コピー文庫」では3冊目の刊行物
でした。本当に50の高田渡語録をただ並べただけの地味な一冊でした。しか
し、この先コピー文庫がどうなるかよく分からない状況だった中で、この一冊
を出すことによって勇気をもらったものです。

「今は多分〈目先の時代〉なのだと思う。そんな中で自分というものを持ち続
けるためには、ガンコでありつづけるしかないと思う」
 これはその中に書かれている語録の一つです。この言葉を思い出すにつれ、
時折つづけることに弱気になるこの「入谷コピー文庫」もガンコでありつづけ
たいと思うのです。

〈ほりうち・やすし〉1957年生まれ。フリー編集者。
しばらくは刊行物がありません、ただ9月に赤穂貴志君が「にっかつロマンポ
ルノ」にまつわる映画論を書いてくれて刊行の予定です。

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■新・新刊書店の奥の院 荒木幸葉
(20)女ひとりで行ってみよう、の巻
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 みしらぬ土地に出かけて、ふらふらするのもわるくないなと思うようになっ
たのは、30歳過ぎてからでした。たまに帰省しても、友達はみんな子育て中だ
し、家にいてもなぁー、というきっかけで、路線バスやローカル線を乗り継ぎ、
瀬戸内の島や、山あいの温泉、廃線跡などへ。

 なんてことはない商店街の金物屋で、農作業用の蝋引き袋や、丸めるとリン
ゴのかたちになるナイロンのネット、てんとう虫柄のデッドストックのご飯茶
碗とか、小銭程度の買い物をして、漬物や果物のにおいで軒先がむわっとする
ような小さなスーパーに寄り、地元っぽいおかずとビール片手に、海や川べり
でいっぷくします。

 平日の真っ昼間から誰にもおこられずにこうしてぼーっとしていると、つく
づくおとなになってよかったなぁと。泊まるわけでもなし、ちょっとした遠征
ぐらいのことだけど、ひとりで行かなきゃたのしめない時間のすごしかたもあ
ることに気づきます。

『47都道府県女ひとりで行ってみよう』(幻冬舎 本体1300円)では、文字ど
おり女ひとりで32歳から37歳まで毎月、どこかの県に旅した感想がつづられ
ています。著者は、四コマ漫画『すーちゃん』『結婚しなくていいですか。すー
ちゃんの明日』で、夫なし男なし子どもなしの全三十路半ば女子を泣かせた、
益田ミリさん。「わたしには、ひとり旅に出られない理由がないのだった。」
との帯に、そうだよな、と、外出するのに託さなきゃいけないものがさしあた
ってないことのありがたさをかみしめます。

 奈良だと大仏や法隆寺でなく、金魚グッズ欲しさで大和郡山を選択、苗字と
同じというだけの理由で「益田まつり」へ出向き、島根の中学生のブラバン演
奏に涙ぐんだりとか、ガイドブックの隅に載るような地味な博物館や祭りを好
んで訪ねてるのが嬉しい。個人的には、トロッコで見学ができる福島の高玉金
山や、なぜか鶴岡にあるアマゾン民族館に惹かれました。

 各県の旅の締めくくりには、交通費や食費やらのざっくりした収支が。オオ
サンショウウオ磁石1000円(鳥取)、印籠ポストイット420円(茨城)、雷鳥
根付け450円(富山)といったちんまりした「自分土産」も忘れない一方で、
近江牛ランチ4000円、アロママッサージ5000円とか、使うところにはため
らわない、メリハリのよさがおとなです。

 また、ホテルの予約をミスした従業員をフォローした人に対して、「こうい
う小さな営みのおかげで、だれかの失敗が帳消しになってる」と、その人がき
ちんと評価されるよう願ったり、パン屋でレジと品だしとウエイトレス役を一
人でこなす、てきぱき働く子に注目したりと、ちょっと年期が入らないと気づ
かない、OL目線のところとかもみのがせません。

 旅における最大の難問、「どうやったらさびしくみえないか」対策について
は、「カメラが趣味の人」や「仕事で取材に来ているフリ」をよそおうのは、
自意識過剰かなと自問自答しつつ、「いつだって堂々としているなんて、なん
か嘘っぽいもの。」とひらきなおる。

「30代女ひとり」という言葉からは、「負け犬」とかいいつつ、ちゃっかり仕
事も身の回りのこともきちんとこなせる、ちょっととんがったかんじの人を思
いうかべてしまうんだけど、彼女および、その旅は、どこにいっても無理せず、
自分とむきあう時間を大切にしながら、年をかさねていっているふうなのがい
いなあとおもいました。

 それにしても、旅先の地に住む、仲良しグループの一員だった昔の友人を思
い出しながら、「“ミリが一番最初におかあさんになりそう”そう言われてい
たわたしだけが、今、おかあさんじゃないのだった。」としめくくるあたり、
なんかもう一人の自分をみているようで、じわーっとしました。

〈あらき・さちよ〉職場の6.5度に保たれた可燃ごみ室で、しばし息をとめて
佇むのと、品出しし終えてカラになったブックトラックを両腕でぺったり抱き
かかえるのが、さいきんのベストな涼み方。おためしあれ。

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■古今東西歌舞音曲芸能図書偏読三昧  高野ひろし
(44)プラス思考の芸人の回想記
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喜味こいし『いとしこいし想い出がたり』岩波書店、2008年 6月、1800円

 毎週土曜日の昼、NHKで放映される『バラエティー生活笑百科』は、法律
相談番組の先駆としてでなく、東京で上方漫才を見られる番組としても貴重で
す。特にいとしこいしが登場する回は、生の高座を知らない者には、とても待
ち遠しかったな。弟こいしさんに背中を押されながら、ふわふわとマイクの前
に出て来た最晩年の兄いとしさんに、侘びしさや切なさは全く感じませんでし
た。楽屋から高座まで行ける体力と、舌先三寸で、普通に高座を勤められるの
だという、しゃべくり芸人の凄さを垣間見たのです。しかも喋り始めると、全
くいつもと変わらなかった!

 旅芸人の子として生まれ、赤ん坊の頃から赤ん坊役?として舞台に出ていた
兄弟。家族と共に日本中を巡業して回り、時には別々に他の一座に参加し、漫
才コンビを組んだのが、兄12歳、弟10歳。以来しゃべくり漫才の王道を歩ん
だ来し方を、弟こいしさんが語ります。

 エンタツアチャコに可愛がられ、漫才作家・秋田實の薫陶を受け、少年漫才
が人気芸人に成長していきます。ピーク時には想像も出来ない人気があったの
ですが、そういう自慢話はほとんどしないんです。こんな凄い芸人がいた、こ
んなケッタイな仲間がいた、こんなはちゃめちゃな事件が起こった、そういう
プラス思考のエピソードが満載なんですね。

 幼い頃、無数に転校していれば、きっと虐められたでしょう。少年漫才師と
して喝采を浴びれば、嫌がらせのひとつも受けたでしょう。少しは話していま
すけど、苦労話みたいには話さない。高座と同じ穏やかな語調です。それは行
く先々の水に合わせて暮らしてきた旅回りの生活、幼いながらも大人ばかりの
環境で生きる処世術みたいなものかも知れません。

 いや、それ以上に兄弟の人柄でしょうね。破天荒でアクの強い上方芸人達に
接しても、漫才界の頂点に立ってもなお揺るがない、ふわりとした味は、どさ
回りにも被爆にも消えることはなかったんです。その味を壊さぬように綴る聞
き手(戸田学)も、上方芸能に精通した人なので、安心してこいしさんの語り
に身を委ねられます。あぁ、いとこいの DVDが見たい!

〈たかの・ひろし〉東京生まれ、路上ペンギン写真家。夢路いとし喜味こいし
師匠の話は、同じ岩波書店の『いとしこいし 漫才の世界』も合わせて読んで
欲しい。秋田實については、以前このコーナーでも書いた『漫才作家 秋田實』
(平凡社ライブラリー)が詳しい。それにしても、大阪文化の一翼を担う大衆
芸能のメッカ、ワッハ上方はどうなってしまうの だ? あの知事を生んだ源
流が、大阪発の演芸番組にあるというのに……。 

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■オヤツのオトモ  大橋あかね
(33)『ここはグリーン・ウッド』テレビドラマ化!
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那州雪絵著『魔法使いの娘』1〜6巻(以下続刊)
新書館 ウィングス・コミックス、2003年〜、520〜530円

 三、四十代の少女漫画ファンが、ここ最近で一番驚いたことと言えば『ここ
はグリーン・ウッド』のテレビドラマ化の話ではないだろうか。『グリーン・
ウッド』は、那州雪絵が二十年前に花とゆめで連載していた、男子寮を舞台に
した少女漫画。当時絶大な人気を誇っていたのが、今のイケメンゴロゴロブー
ムに乗って今更のテレビ化。実写で当時のファンが萌えるものか!と怒る同胞
達のために、那州雪絵が現在、Wingsで連載している『魔法使いの娘』を紹介。

 『魔法使いの娘』は、実力ナンバーワンで生活能力ゼロの陰陽師である父親
と暮らす平凡な(と本人は思っている)女子高生が主人公のオカルトコメディ。

 那州雪絵の最大の欠点は女の子の絵に華がないことだが、今作の主人公、鈴
の木初音の所帯染みて現実的な性格にはその地味さがピッタリ。平凡な生活を
夢見ているのに、父親のせいで怪事件に巻き込まれ、その度にぶちきれて文句
を言いながらも、なんだかんだで乗り越えて成長していく初音は、今までの那
州作品の女の子の中でも一番共感しやすいキャラクターだ。

 元々、男性キャラを描くのが上手い作家なので、父親、弟子の陰陽師、式神
等の脇役陣のキャラが立っていて魅力的。物語のテンポも良く、五巻の帯の惹
句「那州雪絵は止まらない!!!最新作にして最高に面白い」にも納得出来る。

 今回は、いつもスーパーの特売品を漁っている主人公に合わせて、スーパー
で買える『森永の牛乳プリン』をオススメ。安い!大きい!美味しい!で満足。

〈おおはし・あかね〉ハラゴメカエル作家。着付けを母に習ってます。バイト
先のギャラリーに着物で出勤するとウケはいいですが、後で汗疹に泣きます。
http://www.haragome.com/ 

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■林哲夫が選ぶこの一冊
(32)翻訳は共鳴を伝える作業
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小林秀雄訳『地獄の季節』白水社、1930年

 知人の翻訳家S氏は、今ちょうど、ジャン・ジュネの新訳と格闘しているそ
うだ。ところが、体調があまり芳しくないらしく、といってもS氏と知り合っ
て以来、氏の体調は常に芳しくないのではあるが、ジュネの熱っぽい文体にか
なり当てられて、心臓のリズムも狂いがちだとか。まさに彫心鏤骨(ちょうし
んるこつ)の日々である。

 S氏が取り組んでいるのは、かつて堀口大学によって訳された作品で、S氏
も当初は軽く、堀口訳が参考になるだろうと考えた。ところがいざ取りかかっ
てみて唖然とした。「一行も使えない!」。S氏、医者から止められているア
ルコールがまわるにつれて、ついにはこんな弱音を吐くしまつ。
「ジュネの気持が分からない。僕はホモじゃないからね!」

 まあ、ボヤキながらも、きっちり仕上げてくると期待はしているけど、体調
とともに少々気がかりではある。その話を受けて、同席した人から「小林秀雄
の翻訳もヒドイもんだ」と声が上がった。

《ヴァレリーの「テスト氏との一夜」ってあるでしょう。あれなんか「一夜」
って訳してあるけど、そうじゃない。「ソワレ」っていうのは劇場の夜の部の
ことで「一夜」じゃないんですよ。小林訳はそんな間違いだらけなんや。》

 その人はもちろん、清水徹訳『ムッシュー・テスト』(岩波文庫、二〇〇四年)
のソワレはマチネ(昼の公演)に対する「夜の公演」を意味するのだという解
釈をちゃんと心得ていたわけである。

「テスト氏との一夜」の原タイトルは「La Soiree avec Monsieur Teste」(以
下テキスト変換の都合上アクサンは省略します)。ソワレにはむろん「夜の公
演」だけでなく「日没から就寝までの夜の時間」を指す本来の意味がある。ラ
(La)という定冠詞付きだから、特定の夜、それは文中に次のように記されて
いる「その晩(Ce soir)」だろう。

《その晩、今から正確に二年と三ヶ月になるが、僕は彼と芝居で、桟敷を借り
て坐つてゐた。今日は一日中その時の事を考へてゐた。「オペラ」の金色の円
柱と共に直立してゐる彼の姿が眼に浮かぶ、一緒に眼に浮かぶ。
 彼は観客席許り眺めてゐた。桟敷の一隅で、燃え上がる様な無闇な人いきれ
を吸ひ込んでゐた。顔は赤かった。》(小林訳、『ヴァレリー全集第三巻 テ
スト氏・楽劇』筑摩書房、1944年、より)

 小林秀雄の訳がかなり荒っぽいのはこれだけの文章からでもはっきり分かる。
《「オペラ」》という語もヘンだし、ここでの改行を無視している。「桟敷」
はボックス席(loge)のことだが、次の文章に trou(穴)とあるところも同
じく「桟敷」と訳している。無茶だ。対して幅広い知見を踏まえた清水徹訳で
は次のようになっている。

《その夜、正確には二年と三カ月前、わたしは彼がひとから借りた劇場のボッ
クス席に一緒にいた。今日は一日中その夜のことを考えていた。
 オペラ座の金色の円柱と一緒に、彼の立ち姿がありありと眼に浮かぶ。円柱
ともどもに。
 彼は客席だけを見つめていた。穴の縁に立って、吹きあげてくる巨大な熱気
を吸いこんでいた。彼は真っ赤だった。》

 ただ「一夜」については、素人考えながら、これをオペラ座の「ソワレ」だ
けの意味と決めつけてしまうのもどうだろう。この物語の鮮烈さは、ソワレの
喧騒と、ソワレの穴から脱け出してテスト氏の殺風景なアパルトマンの一室に
話者が誘われ、支離滅裂なテスト氏の世迷い言を聞かされる、その夜の会話と
の対照にあるように思う。清水訳のように「ムシュー・テストと劇場で」とし
てしまっては、その半分しか表していないことになるのではないか。両義的で
あってはじめて「ソワレ」が生きてくる。ちなみに英訳は「The Evening With 
Monsieur Teste」。

「テスト氏」を「ムッシュー・テスト」としたのもやや味気ない気がしないで
もない。当然ながら「氏」でなく「ムッシュー」を選択するについても、訳者
の細心の注意と苦心が注がれていることが解説に見えるが、結局、原文のまま
(カタカナに移しただけ)というのでは、敗北宣言と取られても致し方ない。
解説によれば「ムッシュー」は単なる男性に対する敬称ではなく《わずかな軽
蔑ないし喜劇的なニュアンス》が加わった言葉であって、杉本秀太郎は《京都
弁で言えば「テストはん」だ》とあるところで書いているそうだ。
テストはん(!?)

 愚見だが「ムッシュー」は「先生」に近いのではないか。昔のことだが、紅
の巷で呼び込みをするおじさんが、「太った人には社長、痩せた人には先生」
と呼びかけると語っていたのを聞いて、なるほどうまいことを言うなと感服し
たことがある。その伝で行けば、もしムッシュー・テストが新宿歌舞伎町を歩
いていたとしたら、「先生、いい娘いますよ!」と声をかけられること疑いな
しと思う(ヴァレリー自筆の挿絵でも痩せた初老の男性として描かれている)。
しからば「テスト先生」がぴったりかと言うと、そうでもない。翻訳は難しい。

 ヴァレリーの文章はとても優美で饒舌な筆致であり、かつ玉虫色なのである。
見る角度によって光り方が異なる。これを小林が訳し切れないとしてもまった
く不思議ではない。おそらく当時、ヴァレリーを言葉の綾ばかりでなく文章の
裏側まで汲み取って日本語に移せる者は吉田健一ぐらいではなかったろうか。
事実、吉田は戦時下においてずっとヴァレリーと取り組んでいた。

 ……と、表題の『地獄の季節』までたどり着かないまま、テスト談義が長く
なってしまったので、舵をもどす。『地獄の季節』は佐野繁次郎の装幀である。
佐野本としては最初期のもので、かなり力を込めてデザインしていることが、
今見ても伝わってくる。中村光夫『今はむかし』によれば、小林はこの装幀を
あまり気に入らない様子だったらしいが、内容にぴったり沿っているかどうか
はともかく、意匠としてはグレー基調のじつにシックなもので、新時代の装幀
という感じを強く発散している。

 テキストの原題は「Une saison en enfer」。小林は初め雑誌『文学』(第一
書房)に「地獄の一季節」として訳載していた。「une」は英語なら不定冠詞「a」
だから「一季節」なのだ。それを「季節」に変えたわけだが、そうすると先の
テスト氏との「一夜」も「Une Soiree」のつもりだったか、と邪推したくなる。
そのくらい小林の翻訳はワガママだということだけは言えると思う。

 しかし、その文章の調子にはやはり引き込まれてしまう。激流のような魅力
がある。同時代の多くの読者が電撃に似たショックをこの『地獄の季節』から
受けたと回想するのももっともだと納得させられるだけの充実がある。訳文も
そうだが、なかでも序文「II」の次のような箇所にはシビレてしまう。

《浅草公園の八卦やが、私は廿二才の時から衰運に向かつたと言つた。私が初
めてランボオを読みだした廿三の時だから、ランボオは私の衰運と共に現は
[れ]たわけになる。手に入れたのは「地獄の季節」のメルキユウル版の手帳
のやうな安本であつた。私は白鳥の歌を、のつけに聞いて了つた。》

《その頃、私はたゞ、うつろな表情をして、一日おきに、吾妻橋からポツポ蒸
気にのつかつて、向島の銘酒屋の女のところに通つてゐただけだ。船は、私の
お臍のあたりまで機械の音をひゞかせて、早いやうな、遅いやうな速力で、泥
河をかき分けて行く。私の身体は舳先に坐つて、半分は屋根の陰になり、半分
は冷つこい様な陽に舐められて、「地獄の季節」と一緒に懐中にした、女に買
つて行く穴子のお鮨が潰れやしないかと時々気を配つたり、流れて来る炭俵を
見送つたり丸太が一本位は船と衝突してもよささうなものだなどと、なるたけ
考へても何んにもならない事を撰つて考へる事にしやうと思つたりする。この
「地獄の季節」には、一ぱい仮名がふつてあつた、如何にしても、見当のつか
ない處は、エヂプトの王様の名前みたいに、枠を書いて入れてある。この安本
は大事にしてゐたが、友達の富永太郎が死んだ時、一緒に焼けた。》

 大正十二年、小林は二十一で関東大震災に遭遇した。数え二十二、《衰運に
向かつた》と宣託されたのはその頃だろう。満二十二のときに豊多摩郡杉並村
馬橋(現・杉並区阿佐谷南)へ転居し母と妹と同居した。京都へ志賀直哉に会
いに行き、神田でランボオの「地獄の季節」を見出し、小説「一ツの脳髄」を
書いた。同人雑誌『山繭』に参加。芥川龍之介や青山二郎に初めて会ったのも
この年だ。文学という「泥河」に足を取られ始めた、常識の世界から傍観すれ
ば、本当に《衰運に向かつた》としか見えない一青年の憂愁が、まだ二十八に
なったばかりの当人からまるで半世紀も前のことのように語られている。

 ポツポ蒸気に穴子のお鮨と同船していた「地獄の季節」がランボオと何の脈
絡も保っていなかったとしても不思議ではないだろう。世界を誤解することが
青春の特権である。小林の『地獄の季節』には、ただランボオの孤独と小林の
孤独が響き合うばかり。逆に言えば、だからこそ翻訳にも意味があるのであっ
て、その共鳴がなければ、たとえどんなに委曲を尽くして言葉を移したとして
も、決して解り合えることはないだろう。ただし、共鳴を伝えるのはやはり言
葉で、言葉しかない。だからこそ翻訳にも意味がある。

《故にそれは言葉への愛情ではなく、言葉と言葉の関係についての技術的な興
味でもある。そしてそれがなほ詩人の情熱たり得るのは、言葉そのものが通俗
化し、物質化した現代に於て、往時、言葉が放つてゐた生気は、言葉の静的な
色合いよりも、寧ろ或る言葉の或る場合に於る作用に認められるからである。
そして又、私がかくまでヴァレリイの詩に打たれるのも、彼がこの情熱を正当
に所有する唯一の近代詩人だからなのだ。》(吉田健一「ヴァレリイ」)

 分かったような、分からないような。まあ、要するに、同性愛者でなくても
ジュネを訳せる、そういうことだ、たぶん。

〈はやし・てつお〉
白水社刊『古本屋を怒らせる方法』もまだまだよろしく。
デイリー・スムース http://sumus.exblog.jp/

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