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    <title>電子説法一日一話</title>
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    <title>【電子説法／第1344号】螺旋の人生</title>
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    <description>&lt;html&gt;&lt;body&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;　合掌　あけましておめでとうございます。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　前回の発行以来、丸々半年間の休刊状態をまずはお詫び申し上げます。現在修士論文の執筆が佳境となり、一月中旬の締切に向けて追い込みをかけている真っ最中。それが終われば一息つくので、あらためて電子説法の定期発行体制を取れるよう考えたいと思っています。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　例年ですとお正月には家族で自坊に里帰りし元旦法要にも御出仕させていただくのですが、そのような状況で今年は帰れませんでした。その代わり、自宅のお仏壇で子供たちと一緒にお勤めをした様子が、上の写真です。十歳の長男が木鉦を、七歳の次男が鐘を担当。二歳の三男は私にくっついてただにこにこしていました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　思えば私も子供の頃、親である師僧の信仰の振る舞いを間近に見て育ちました。教義を識ることも科学的批判精神で分別することもなく、幼心に見よう見まねで手を合わせお題目をお唱えする。それは祈りという心の働きを、心の底から信頼する親の振る舞いに接することで、自分自身の振る舞いとして身に染み込ませる経験であったのだろうと思います。思春期から青年期にかけて私が自分自身の信仰を受け入れられずに苦慮したことについては、初期の電子説法で記しています。その果てに私が信仰を──排他的妄信とは異なるものとして──受け入れることができたのは、そのような子供の頃の経験が私にとって抜き差しならない価値を持っているのだと気づいたからでした。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000034633/index.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
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