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2008/09/29

日刊 なら情報! Vol. 3100

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       日刊  なら情報!!     2008.9.29  Vol. 3100
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ニュース・イベント・寺社の紹介等など、奈良に関する各種情報の中から、
毎日いずれかの情報をお届け致します。何が届けられるかお楽しみに!!


  ◇◆◇ 第5回「なら映像祭!」 ◇◆◇
    〜興福寺で見る 名画の夕べ〜
http://narashikanko.jp/j/whatsnew/eizousai/


奈良の新しい観光資源を目指して16年度より、なら映像祭〜興福寺で見る
名画の夕べ〜を開催いたしております。
日本各地でも映像を観光に結びつける各種取り組みが行われていますが、
奈良県でも「フイルムコミッション県サポートセンター」が撮影の協力・支援
体制を拡大強化しています。 また今年1月には、県内を舞台にしたテレビ
ドラマ「鹿男あおによし」が放映され、奈良が注目され賑わいました。
昨年に引き続き、映像文化事業を地域活性化や内外の観光誘致事業に活かす
ため積極的に取り組む事業として第5回「なら映像祭」を企画しております。


日 時 : 10月5日(日)
       17:30〜21:00
場 所 : 興福寺東金堂前 (雨天決行)
      ※強い風雨・警報が出た場合は中止
費 用 : 前売 500円、当日 800円
問合せ : 奈良市観光協会
      TEL 0742-22-3900


★ 上映作品 「母べえ」(約2時間)
       出演  吉永小百合・浅野忠信・壇れい 他
       原作  野上照代
       監督  山田洋次
★ 映画だいすきトーク
       中島貞夫(映画監督)、渡辺俊雄(NHK衛星映画劇場支配人)
       樋口 明 (奈良テレビ報道部長)


   ◆ イベント情報、HP・サークルの紹介など
      みなさんからの書きこみお待ちしております。
     http://www2s.biglobe.ne.jp/~n-emiko/keijiban.htm


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  ★    ◇◆◇  <なら・今日の歴史>  ◇◆◇    ★
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天平十八年(746)九月二十九日
 恭仁京大極殿を山背国分寺に施入。
 藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)の乱による聖武天皇の東国巡幸をきっかけ
に天平十二年十二月に平城京から遷都された大養徳恭仁大宮(やまとのくにの
おおみや)。この時の東国巡幸も意図は謎であり、また恭仁京遷都の意味も必
ずしも明らかではないが、確かなことは恭仁京遷都が当時の政界の中心にあっ
た橘諸兄(たちばなのもろえ)の主導のもとに行われた、ということである。
 しかし、当初は平城京の官人たちを強制的に恭仁京に移住させるなどしてま
で恭仁遷都を強硬に推進したものの、やがて紆余曲折を経て紫香楽、難波と遷
都が繰り返された挙げ句に天平十七年五月には都は平城京に戻される。そして
その年の暮れには恭仁宮にあった武器類が平城宮に移されたことは実質的に恭
仁京に再びもどる可能性を否定したものではあったが、それでも宮自体は残さ
れていた。
 この日、その恭仁宮の大極殿(政庁の正殿)は山背国(やましろのくに、京
都府南部、平安遷都に伴い「山城」と改称)の国分寺の金堂として寄進された。
言葉を換えれば恭仁宮そのものが山背国分寺として改築されたことになる。既
に官人や市人などの住民は恭仁京を離れており、京としての生命は終えていた
が、これによって宮としても消滅、その短い生命を終えた。なお、この大極殿
はもともとは平城京の第一次大極殿をその回廊や朱雀門などとともに移築した
ものであった。
 恭仁京大極殿、即ち山背国分僧寺金堂跡は京都府相楽郡加茂町の恭仁小学校
北にあり、土壇と礎石が残されている。
(続日本紀)


          ★ この欄は狸さん(oodanuki@yahoo.co.jp)の投稿によるものです
               http://www2s.biglobe.ne.jp/~n-emiko/cgi-bin/sun-bbs/

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