海外ミステリを読む RSSを登録する

「トマス・H・クック」編を続けています。

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2008/02/11

海外ミステリを読む(106)

この記事を取り寄せる

「海外ミステリを読む」(106)

 [ニューヨーク・ミステリの系譜31]

  「昔のニューヨーク(2)」

   トマス・アドコックのニール・ホッカデイ・シリーズの第2
   作「死を告げる絵」はピカソと名乗る老画家の物語を装いな
   がら、消えて行きつつあるオールド・ニューヨーク、その中
   でも特にコニー・アイランドを描いている作品と言えるよう
   な気がします。

   物語はコーヒーとパンと新聞を手に、彼のアパートの近所の
   ヘルズ・キッチンの公園のベンチに座っていたホッカデイが
   ピカソと出会う場面から始まります。二人は相手を観察しな
   がら会話を続けた結果、ピカソは彼を刑事だと見抜き、ホッ
   カデイは相手が単なる頭のおかしいホームレスではないと知
   ることになります。別れ際にホッカデイは「あんたの描いた
   絵をどこかで見ることが出来るのかね」と訊きます。すると、
   ピカソはこう言って彼を驚かせます。

   「あんたの行きつけのバーだよ」

   つまり、ピカソはホッカデイのことを知っていたのです。彼
   の行きつけのバー「エブ・タイド」にはカウンターを挟んで
   店主のアンジェロと緑色のドレスを来た女が向かい合ってい
   る絵が長年かけてあったのです。

   『公園で衝撃的な出会いを経験して茫然としたまま「エブ
    ・タイド」に足を踏みいれた私は頭上の絵だけでなく、
    絵と殆どそっくり同じ現実の光景にも目を奪われた。』

   店に入ると、そこには絵と同じように店主と緑色のドレスを
   着た女性がカウンター越しに話し合っている姿があったので
   す。アンジェロに紹介されてホッカデイはシーリア・ファー
   マンという、その女性と話をします。彼女がその絵のモデル
   になった女性だったのです。が、昼時になり客が押し寄せて
   来たので、彼は彼女に「あとでまた」と声をかけて店を出て
   自分のアパートに帰ります。夕方の5時半、ソファで寝てし
   まっているホッカデイにアンジェロから電話がかかって来ま
   す。シーリアが店で殺されたと言うのです。

   ホッカデイは行きがかり上、自ら希望して捜査を始めること
   になります。殺されたシーリアのハンドバッグから古い写真
   が出てきて、それに「54年夏、コニー・アイランド」の文
   字があり、一緒に写っているのが別れた夫で、それがチャー
   リー・ファーマンつまり、ピカソです。ほかに手がかりがな
   いので、ホッカデイはピカソを探すことから事件の捜査に取
   り掛かります。

   ホッカデイは、まずベルビュー病院に行きます。最初に出会
   った公園で彼自身がこう言っていたからです。

   『おれの場合は正真正銘、型どおりの精神病患者で、アイ
    ゼンハワー大統領の二期めのあいだをさかいに、ベルビ
    ュー病院を出たり入ったりの繰り返しさ。』

   アイゼンハワー大統領の再選は1956年ですから、普通な
   ら「1956年頃」と書けばいいものを、わざわざ「アイゼ
   ンハワー大統領の二期め」と書くあたりが作者のこだわりな
   のです。

   ベルビュー病院は1736年に設立されたアメリカ最古のパ
   ブリック・ホスピタルで、ニューヨークを舞台にしたミステ
   リには必ず一回は登場する病院です。ホッカデイはここでピ
   カソを治療したことのある精神病医を見つけます。話を聞い
   て見ると、ピカソはこの医師を殴って退院させられたことが
   あったというのです。その後、本人から「これが俺の傑作だ」
   という文章と共に、ポラロイド写真が送られて来ました。こ
   の絵はどこにあるのかとその医師に訊くと、こう答えます。

   「娯楽業界で、ダーク・メイズ(暗い迷宮)と呼ばれてい
    るやつさ。コニー・アイランドに行けばあるよ」

   このため、ホッカデイはコニー・アイランドに行きます。こ
   の「ダーク・メイズ」は作品の原題になっています。本文に
   こういう文章があります。

   『そこにダーク・メイズ(暗い迷宮)のアトラクションを
    捜しにいくのさ。カーニバル用語で、お化け屋敷のこと
    だよ』

   作者は巻頭にリチャード・ラガリエンという人の次のような
   言葉を掲げています。

   『コニー・アイランドは、神がつくりたまいし、もしくは
    悪魔につくらせたまいし最も人間的なものである。』

   ニューヨークそのものがダーク・メイズだと言いたいみたい
   で、このあと作者はその象徴としてのコニー・アイランドの
   過去と現在を詳しく描いています。

   ジョン・F・キャソンの「コニー・アイランド」によると、
   コニー・アイランドが観光業者によって開発が始まったのは
   19世紀初頭で、1875年には一日で6万人が訪れるよう
   になり、地下鉄が延長された1920年には20万人に達し
   たということです。

   キャソンの「コニー・アイランド」はサブタイトルを「遊園
   地が語るアメリカの文化」として、次のように分析していま
   す。

   『コニー・アイランドはカーニバルの伝統を持たない文化
    に対して、カーニバルの精神を制度化した。』

   コニー・アイランドを訪れたのはヨーロッパからの移民達で
   した。彼等の祖国はカーニバルの伝統を持っていたので受け
   入れられたと言えるのかも知れません。彼はさらにこんな事
   も書いています。

   『コニー・アイランドは、お上品な趣味や価値にはもはや
    敬意を抱かず、独自の民主主義的な行楽地を要求する、
    新しい大衆文化の台頭の合図であった。』

   レム・コールハースは「錯乱のニューヨーク」の中でこうい
   う文章を書いています。

   『19世紀と20世紀の合流点に登場するコニー・アイラ
    ンドは、マンハッタンの胎動期のテーマと幼児期の神話
    の孵化装置なのである。のちのマンハッタンを形成する
    戦略と機構は、まずコニー・アイランドという実験室で
    テストされたのち最終的により大きな島に適用される。』

   彼のレトリックに慣れないと分かりにくい文章ですが、コニ
   ー・アイランドという小さい島で起こったことが、あとでマ
   ンハッタンという大きな島でも起こったという意味でしょう。
   コールハースは上の文章の最後にこう書いています。

   『コニー・アイランドはマンハッタンの胎児である。』

   アメリカ文学史を紐解いてもコニー・アイランドを舞台にし
   た小説は殆ど出て来ません。翻訳された作品を捜して見たの
   ですが、アイザック・シンガーの「コニー・アイランドの一
   日」という短編がやっと見つかった位です。この作品に19
   35年当時の様子が描かれています。

   『大通りではイタリア人の西瓜売りがトタンの上で西瓜を
    切り割って大声で客を呼んでいた。誰も彼もが何かしら
    怒鳴っていた。ポプコーン売り、ホットドッグ売り、ア
    イスクリーム売り、ピーナッツ売り、綿菓子売り。体半
    分女で半分魚の見せ物や、マリー・アントワネット、バ
    ファロービル、ジョン・ウィリケス・ブールなどの蝋人
    形のある見せ物小屋、暗がりの中でターバンを巻いた占
    星術師が地図や天体儀や星位図をあたりに拡げている前
    をわたしは通りすぎた。』

   コニー・アイランドはどちらかと言えば大衆的で、下品と
   いうか下に見られる傾向があり、作家もあえて取り上げて
   なかったのだと思います。マンハッタンを舞台にした方が
   売れるからでしょう。アドコックはそのあたりを意識して、
   敢えてコニー・アイランドを選んだような気がします。

   画家も作家と同じでコニー・アイランドと正面から向き合っ
   て題材に選んだのは、未来派やキュービズムの影響をうけた
   少数の人々だけでした。代表として、ジョゼフ・ステラの「
   光の戦いーコニー・アイランドのマルデイグラ」、レジナル
   ド・マーシュの「ジョージ・C・テイルのステイープルチェ
   イス・パーク」が挙げられます。アドコックはピカソを創り
   上げた時に、彼等のことが頭にあったのだと思います。

   しかし、ラジオと映画の台頭がアメリカの大衆文化の質を変
   化させ、コニー・アイランドは客を失って行きました。「コ
   ニー・アイランドのような遊園地のうすぎたなさに辟易した
   ウオルト・デイズニーは、それを確固たる中流階級のために
   衛生無害なものに変えて見せた」とキャソンは分析していま
   す。大衆はもはや反抗の精神を必要とせずに、「お上品な文
   化」を求めているから、人畜無害なデイズニーランドが盛況
   なのでしょう。今のこの国でデイズニーランド日本版が人気
   を集めている理由を分析すれば面白いでしょうが、私の任で
   はないのでやめておきます。

   1944年にコニー・アイランドの三大遊園地のひとつルナ
   ・パークが火事で閉鎖になり、1964年のジャンプ・パラ
   シュートが営業を辞めた時がコニー・アイランドの終幕とい
   えるでしょう。そして、2000年発行の「ニューヨーク都
   市物語」にはこういう文章があります。

   『ここには今でも往年の遊園地の面影が残っている。今で
    もほそぼそと営業を続けている古びた施設があちこちに
    あるのだ。』

   『錆びついた昔の遊園地の跡を散歩すれば、どこかからピ
    エロやサーカス団の亡霊が現れてきそうな不思議な世界
    に入り込む。』

   この状況のコニー・アイランドが「死を告げる絵」の背景と
   言えるでしょう。

 [深読みコーナー] 

   末延芳晴氏の「荷風とニューヨーク」の巻末にある「関連年
   表」の1906年の4月11日の項に、こういう文章があり
   ます。 

   『ロシアの文豪、マクシム・ゴーリキーがニューヨークを
    訪れたことを新聞報道で知る。』

   永井荷風がニューヨークに滞在していた時、マキシム・ゴー
   リキーもニューヨークに来ていたのです。ゴーリキーはその
   時の印象を「アメリカ印象記」と題したエッセイに記してい
   ます。

   ニューヨークに着いて、まず最初に目にする自由の女神を「
   青銅製の女の嵩張った彫像」と呼び、市民を「青銅の人々」、
   街を「黄色い悪魔の都」と評しています。そして、こう書い
   ています。

   『この青銅の人々は死んでおり、高層家屋の網の中で悄然
    としている。彼等は高い壁の黒い陰影のなかでは一寸法
    師のようにしか見えない。』

   『市街を遠くから見ると、不揃いな黒い歯のついた大きな
    顎のようだ。』

   『黄色い悪魔の都の家に生活している人々は、人間を殺す
    凡てのものを温順しく忍んでいる。』

   そして、コニー・アイランドについてはこう書いています。

   『遠方から見て幻想的なお伽噺の都は、今は木の直線から
    出来上がっている馬鹿げた錯綜であり、子供の娯楽を目
    的とした急造作の安価な建物で・・』

   『数十軒の白い建物は、畸形的に種々雑多であって、その
    うちの一にも美の片影さえない。彼等は木製で剥げかか
    った白い塗料で塗られているが、いづれも同じような皮
    膚病に苦しんでいるようである。』

   ゴーリキーはこのようにニューヨークを酷評していますが、
   実はこれはアメリカで嫌なことがあったことも影響している
   と私は思っています。ゴーリキーはこの時、二番目の奥さん
   のアンドレーエワを同伴したのですが、彼女とは教会で正式
   の結婚式を挙げていなかったのです。ホテルはこのことを理
   由に宿泊を拒否するという事件があったのです。荷風はこの
   事件について日記に「奇怪なるは米国の道徳と其の風習なり」
   とアメリカの仕打ちを批判しています。が、これには裏があ
   るのです。

   それは1905年のロシアの第一次革命です。ゴーリキーは
   これに賛同した為に政府から逮捕状が出たので共産党は彼を
   出国させたのです。そして、アメリカに来た理由は、アメリ
   カに帝政ロシアへの援助を止めさせる活動のためだったので
   す。外国からの援助はロマノフ王朝を助けるだけで、人民の
   為にはならないとアメリカの市民に訴えたかったのです。そ
   れを嫌った政府筋からの嫌がらせだったと私は思います。結
   婚云々は口実に過ぎなかったと思います。

   そういうわけでゴーリキーは不快な思いでニューヨークを去
   った筈です。もし、彼が歓待され、気持良くアメリカを後に
   していたら、「印象記」の内容も違っていたのではないかと
   私には思えます。

   「荷風とニューヨーク」の巻末にある「関連年表」の5月1
   3日の項にはこう書いています。

   『コニー・アイランドを始めて訪れる。以後、何度か訪れ
    取材を重ね、短編「暁」を書き上げる。』

   「暁」の中で荷風はコニー・アイランドをこう表現していま
   す。

   『およそ俗といって、これほど俗な雑踏場は、世界中にお
    そらく有るまい。』

   『電気や水道を応用して、俗衆の眼を驚かし得る限りの、大
    仕掛の見世物という見世物の種類は、幾十種と数えられる
    ほどで、その中には、多少歴史や地理の知識を増す有益な
    ものもあり、または無論、怪しげな踊り場、卑猥な寄席も
    ある。』

 (引用文献)

   ●「死を告げる絵」(1991)
      トマス・アドコック著・大谷豪見訳
      ハヤカワ文庫(1996)

   ●「錯乱のニューヨーク」(1994)
      レム・コールハース著・鈴木圭介訳
      ちくま学芸文庫(1999)

   ●「コニー・アイランド:遊園地が語るアメリカの文化」
      (1978)
      ジョン・F・キャソン著・大井浩二訳
      開文社出版(1987)

   ●「コニー・アイランドの一日」(1973)
      アイザック・D・シンガー著・田口初義訳
      新書館(1976)
      これは短編集「羽の冠」の中にあります。

   ●「ニューヨーク都市物語」(2000)
      賀川洋著・河出書房新社

   ●「荷風とニューヨーク」(2002)
      末延芳晴著・青土社

   ●「暁」(1907)
      永井荷風著・岩波文庫(1952)
      「あめりか物語」の中の一編。

   ●「アメリカ印象記」
      マキシム・ゴーリキー著・高橋晩成訳
      改造社版「ゴーリキー全集14」(1930)
     (高橋氏の訳文は旧かなづかいなので、
      現代かなづかいに変えて引用しています)

  ------------------------------------------------------
  私のHPは「中原行夫の部屋」です。
      http://homepage1.nifty.com/y_nakahara/
  (連載状況)
  「昭和32年の映画館」は静岡県富士宮市、伊東市まで。
  「新宿・武蔵野館の上映記録」は昭和48年3月分まで。
  -------------------------------------------------------
  このメールマガジンはインターネットの本屋さん
  『まぐまぐ』から発行しております。

  解除・変更は http://www.mag2.com/ でお願いします。

この記事を取り寄せる
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る