海外ミステリを読む(104)
「海外ミステリを読む」(104)
[ニューヨーク・ミステリの系譜29]
「続・ニューヨーク女刑事」
先駆者ユーナックのあとを継ぐ「ニューヨーク女刑事」はな
かなか現れません(勿論、翻訳された作品に限ったことです
が)。ニューヨークに限らず、女性刑事が主役のミステリそ
のものがなく60年代では僅かに男性作家ホイット・マスタ
スンの「ハンマーを持つ人狼」がある位ですが、舞台はメキ
シコと国境を接する町ですので、ニューヨーク・ミステリの
範囲外になります。
70年代はロス・マクドナルドに代表されるように、男性作
家による私立探偵小説が中心でした。それはミステリ誕生か
ら続く男性中心の世界を象徴しているだけのことで、何も7
0年代に限ったことではないわけです。ユーナックが開けた
風穴が膨らむのは80年代のスー・グラフトンとサラ・パレ
ッキーの出現からだと言えるでしょう。
『まるでレーガン戦略の落とし児でもあるかのように、女
性私立探偵小説(PWI)は、80年代の全般に大きな興隆
をむかえることになった。女タフガイ小説は、3F小説
ー作者、読者、主人公の探偵がともに女性という意味で
あり、邦訳においては女性翻訳者の要素もプラスされる
ので4F小説となるーといわれ、探偵小説の大衆化の最
もめざましい表彰であったことは間違いない。』
これは野崎六助氏の「北米探偵小説論」の中の文章ですが、
さすがに氏らしい的確な指摘だと思います。ひとこと付け加
えれば、解説も女性が書いているケースが多いので5F小説
と言えるかも知れません。つまり、女性達による、警察とい
う男性中心組織の中で孤軍奮闘する同性に対する賛同の輪が
乱舞しているわけです。
こういう文章もあります。
『ユーナックの作品は、今日の PWI小説が賑やかに陳列し
てくる「フェミニズム宣言」のだいたいすべてを、すで
に先取りしている。これは彼女の作品が、何らかの意味
で手本になったことを示すのではない。女たちがミステ
リ形式に見出したものが、自然の流れで共通の型に流れ
込んでいったことを証明しているのだ。』
『ユーナックの女刑事シリーズは、 PWI小説が将来に開花
させようとした「女の言い分」の主な項目を先行して示
した。女の自立への励まし、男性優位社会への対抗感、
仕事の有能さへの誇示。そういったものが、探偵小説に
仮託されてメッセージの通路を与えられたのである。』
80年代に出現した女性を主役にしたミステリの中の彼女達
の職業は私立探偵、弁護士、検事、検死官、消防官など多様
ですが、なぜか警察官、特にNYPDを舞台にした翻訳作品は少
ないのです。その中の一つが「エリー・クラインの収穫」と
いう作品ですが、これは作者も訳者も男性で、本部長直属の
遊軍刑事エリー・クラインが連続殺人犯を追うというストー
リーです。火事の時に人命救助して、巡査から3級刑事に昇
進して警察のPR係のような存在になるという設定もユーナッ
クと同じですが、内容はユーナック以下と言えるでしょう。
1988年の作品に「婦警トーニの爛れた夏」という変な題
名の作品がありますが、これは原題の「UNDERCOVER」のせい
もあるのでしょうが、それにしてももっとほかに付けようが
あったのではないでしょうか。というのは、主人公のトーニ
・コンロイは「ポリス・アカデミー初の女性首席卒業者」と
いう設定で、パトロール巡査になった女性ですが、原題の意
味する「覆面捜査」は刑事でなければ出来ないから「女性覆
面捜査官」のタイトルは使えなかったのでしょう。
作者は主人公を166分署に配属としていますが、どうして
こんな数字を持ち出して来たのだろうと疑問です。勿論、そ
んな署は存在しません。現実にはNYPDには123分署までし
かありません。5丁目、7丁目、アルファベット・シテイ(
アヴェニューAからDに渡る地域)が管轄区と作品の中に書い
ていますので、現実には7分署か9分署の管轄区域でしょう
から、架空の署を創るのなら普通は8分署とするでしょうが
この作者は166分署などというとんでもない数字を持ち出
しています。
訳者の村上氏がその理由について何か教えてくれるのかと巻
末の解説を読んだのですが全く触れずに、『婦警トーニ、そ
うそう毎度からだを張って「爛れ」てばかりもいられまいか
ら、シリーズにはなりにくいが、またときどきは元気な顔を
見せてもらいたい』などと、解説になっていない解説を載せ
ています。褒めようがなかったのでしょう。
90年代の作品にレスリー・グラスの「刻印」、「紅唇」が
あります。これは中国系の女性刑事エイプリル・ウーが活躍
する物語ですが、彼女の所属が第1作の「刻印」では210
分署となっていて驚かされます。第2作「紅唇」で訳者が「
訳者あとがき」で210分署ではなく、20分署の間違いだ
ったと告白しています。
『さて最後にお詫びと訂正があります。エイプリルの勤務
する20分署が前作では、「2−0」と表記されている
箇所が多く、作者がそれを「20(TWENTY)」と
あえて区別しており、分署員が愛着をこめて「2−0(
トウーオー)」と呼んでいることを尊重して、そのまま
の表記にしたところ、「210」と誤って印刷され、誤
解を生じてしまったと思います。手違いをお詫びし、訂
正させていただきたいと思います。』
じゃあ、あなたは最終校正に目を通さなかったのですかと言
いたくなる、苦しい言い訳です。
異色作としては「パーフェクト・カバー」があります。この
作品の主人公は女性ですが、警察官ではなく、警察官を監視
する立場の特別検察官です。特別検察局というのは、セルピ
コの項で説明したナップ委員会が生まれた時に出来たセクシ
ョンです。本文にこういう文章があります。
『ナップ委員会が警察の不正に多大の関心を示し、不正摘
発のために特別検察局が設けられた直後のころ、モーリ
ス・ナジャリ麾下の70年代の栄光の日々をわたしたち
はなつかしく思い出した。局は全市を管区とし、さらに
警察の不正に限らない広い作戦領域を抱えるというまっ
たく新しい概念のもとに運営された。警察の不正に関し
ては、NYPD自体の内務課が根絶に失敗したのは明ら
かになっていたが、それは刑事局司法組織全体について
もいえることだった。わたしたちは竜の退治に乗り出し
た白馬の騎士だった。』
警察の人間には書けない文章ですが、作者のジョイス・セン
ト・ジョージはこの特別検察局の初めての女性調査官だそう
です。だから、このように遠慮なくNYPDをこき下ろすこ
とが出来るのでしょう。
90年代のキャロル・オコンネルのニューヨーク市警の巡査
部長キャシー・マロリー・シリーズが「ニューヨーク女刑事
」では一番の人気作品でしょう。このシリーズ、翻訳は現在
まで数冊出ていますが、ニューヨークを舞台にしているのは
最初の3作だけです。物語は変化に冨んでいて、シリーズも
のとしての骨格は備えていますが、25才の巡査部長が殺さ
れた養父の友人のコンサルタントと共同事務所を持ち、殺人
事件を自分の所属する分署ではなく、その事務所であたかも
捜査主任のような行動を続けるという荒唐無稽な設定です。
ですから、警察小説は無論のこと、警察ミステリにも当ては
まらない作品で、女性向きのロマンス小説と呼ぶべきシリー
ズです。野崎六助氏が指摘している「4F小説」の典型がこ
のシリーズです。リンダ・フェアスタインの女性検事補アレ
ックス・クーパー・シリーズもこの部類と言っていいでしょ
う。
オコンネルのキャシー・マロリー・シリーズが警察ミステリ
もどきのロマンス小説なら、ウィシュニアのフィラミーナ・
バスカーセラ・シリーズは警察ミステリもどきの悪態(あく
たい)小説と呼びたい気がします。このシリーズは5作出て
いるのですが、翻訳されているのは1作だけで、日本版のタ
イトルは「23階段の闇」です。続く作品が翻訳されないの
はロマンス小説と悪態小説の世間の評価の差でしょう。つま
り、訳されないのは売れ行きが心配なのです。が、私が翻訳
を待っている作品の一つがこのシリーズです。
悪態小説というのは私の勝手な命名で、要するに作者が勝手
なことをほざいている作品です。私がこの作品を最初に読ん
だ時は「これはヘンリー・ミラーだな」と感じました。ヘン
リー・ミラーがニューヨークの電話会社でサラリーマンをし
ながら売れない小説を書き続けていた頃のことを描いた作品
が「南回帰線」ですが、これを思い出しました。
『私は世界を歩き、無数の街を知っているが、アメリカの
街ほど堕落した屈辱的な感じをうけるところは、ふたつ
とないようだ。アメリカの街を全部あつめたら、巨大な
汚物だめができあがるに違いない。』
『私はアメリカが根こそぎひっくりかえるのを見たかった。
純粋な復讐心から、そうなるのをみたかったのである。
憎悪と反抗と正当な血の欲求を、声を張り上げて訴える
ことができなかった私自身や、その他の人々に対して行
われた弾圧のむくいを、見たかったのである。』
これが「南回帰線」での悪態の見本です。ウィシュニアは
ヘンリー・ミラー程ストレートな悪態ではありませんが、
言いたいことを言っています。主人公の女性刑事フィラミ
ーナ・バスカーセラをエクアドルからの移住者に設定し、
中南米に対するアメリカの圧政についていちゃもんをつけ
る場面が多いです。冒頭からそうなのです。
『これはすべて今から数年前、「南米諸国」とはどの国々
をさすのかも知らないロナルド・レーガンが、見当はず
れな政策にせっせと国費を注ぎ込んでいたころ・・・』
この文章の前にも笑わせてくれる場面が盛り込まれています。
タイトルの前にこんな文章を載せているのです。
まず、最初がこれです。
『どうかご慈悲を』
そして、次のページではこう書いています。
『詩編第10編の詩は、聖書より神さまの許可を得て引
用させていただいた。』
「神さまの許可」には思わず笑ってしまいました。作者は神
さまと親しい間柄のようです。
この作品は奇作ミステリのベストテンを作れば間違いなく盛
り込まれる作品と言えるでしょう。「南回帰線」はアメリカ
の出版社に断られたのですが、パリの会社が出版を引き受け
ています。でも、ウィシュニアのこの作品は当初、引き受け
てがなく、彼が自主出版した作品です。
[深読みコーナー]
翻訳ミステリが訳によって作品の受け取り方が違ってくるの
は、清水俊二氏のチャンドラー作品の訳で証明されている通
りです。キャロル・オコンネルのシリーズは最初の2冊は文
庫版で、別の訳者によって2種類でています。「文献」の項
にある「マロリーの神託」と「氷の天使」、「二つの影」と
「アマンダの影」は同じ原作です。読み比べてみるのも面白
いでしょう。
今、私の手元に1作目の「Mallory`s Oracle」があります
ので、2つの訳がどう違うかをラストの部分で見てみたいと
思います。
まず、原文はこうです。
『She started up the steep stairs.First her mind
stumbled and then her feet.
Yet she did not pick her way more carefully as
she continued up and up.
She was in that moment when the guts flutter and
rise,the heart pounds,the brain waffles between
belief and disbelief,and she did not care if she
fell,nor how far.』
竹書房文庫版の石川順子訳はこうなってます。
『マロリーは急な階段を見あげた。ふっと心が揺れ、脚が
ぐらついた。だが、彼女はもつれて止まらなくなった足
で階段を上がっていった。
内蔵がひっくり返るような不快感がつきあげ、心臓がド
クドクと鳴った。脳味噌がこれでよかったのだという確
信と取り返しのつかないことをしてしまったという慚愧
のあいだで揺れ動いた。だが、彼女は、慚愧という階段
を落ちようとも、どこまでころげ落ちようとも、かまい
はしなかった。』
これに対して、7年後に出た務台夏子訳はこうです。
『彼女は急な階段を上りはじめた。まず意識が、つぎに脚
がふらついた。それでも彼女は足もとに注意しようとは
せず、上へ上へと上りつづけた。
みぞおちがうねり、せりあがってくる。心臓がドクドク
鳴っている。脳は信念と疑問の間を揺れ動いていた。彼
女は転落を恐れてなどいなかった。どこまで落ちようと
かまわない。』
どっちがいいかは好みの問題でしょうしょうが、務台さんは
石川さんの訳を参考にしているということは言えるでしょう。
でも、「心臓がドクドク」の部分は石川さんとは別の表現を
した方が良かったでしょう。
最後の文は、石川さんの訳では落ちるのは本人ではなく、心
の問題のように読めますが、務台さんの訳では物理的に本人
が落下するイメージになります。
このように訳者によって作品の印象は変わるものなのです。
翻訳ミステリを読む時にはこのことを頭において下さい。
(文献)
●「北米探偵小説論」(1998)
野崎六助著・河出書房版
●「ハンマーを持つ人狼」(1960)
ホイット・マスタスン著・井上勇訳
創元文庫(1964)
●「エリー・クラインの収穫」(1987)
ミッチェル・スミス著・東江一紀訳
新潮文庫(1992)
●「婦警トーニの爛れた夏」(1988)
ソウルダッド・サンテイヤゴ著
村上博基訳・新潮文庫(1989)
●「刻印」(1993)
レスリー・グラス著・翔田朱美訳
講談社文庫(2000)
●「紅唇」(1995)
レスリー・グラス著・翔田朱美訳
講談社文庫(2001)
●「パーフェクト・カバー」(1994)
リンダ・チェイス&ジョイス・セントジョージ著
佐々田雅子訳・ハヤカワ文庫(1996)
●「逸れた銃弾」(1996)
キャサリン・ルイス著・堀内静子訳
ハヤカワ文庫(1997)
この作品はニューヨークが舞台ではありませんが、
女性警察官の警察学校での訓練や同僚達との交流を
リアルに描いた作品です。
●「マロリーの神託」(1994)
キャロル・オコンネル著・石川順子訳
竹書房文庫(1994)
●「氷の天使」(1994)
キャロル・オコンネル著・務台夏子訳
創元文庫(2001)
●「二つの影」(1995)
キャロル・オコンネル著・原真実訳
竹書房文庫(1998)
●「アマンダの影」(1995)
キャロル・オコンネル著・務台夏子訳
創元文庫(2001)
●「死のオブジェ」(1996)
キャロル・オコンネル著・務台夏子訳
創元文庫(2001)
●「23階段の闇」(1997)
K・j・a・ウィシュニア著・猪俣美江子訳
ハヤカワ文庫(1997)
●「南回帰線」」(1939)
ヘンリー・ミラー著・大久保康雄訳
新潮社(1965)
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私のHPは「中原行夫の部屋」です。
http://homepage1.nifty.com/y_nakahara/
(連載状況)
「昭和32年の映画館」は山梨県中巨摩郡を追加。
「新宿・武蔵野館の上映記録」は大正12年12月分を追加。
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