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2007/07/06

海外ミステリを読む(100)

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「海外ミステリを読む」(100)

 [ニューヨーク・ミステリの系譜25]

  「警察小説あれこれ4」

   警察官出身者が書くミステリがよく売れるのは、部外者では
   知ることの出来ない警察内部の事情が詳しく描かれているか
   らです。

   『捜査方法の綿密な描写、検屍のやりかた、警察署の内部
    の権力争い、マスコミ対策について触れた部分など凡庸
    の創造力ではとてもまかないきれない厚みがでて、これ
    が読者にはたまらない魅力となっている。』

   この文章はクイーンズの分署の警部補だったウィリアム・J
   ・コーニッツが書いた警察小説「渇いた警官」を訳した竹林
   卓氏の「訳者あとがき」の中にある文章です。コーニッツは
   処女作「燃える警官」を仕事の合間に書いたそうです。「甦
   える警官」の「訳者あとがき」にはこういう文章があります。

   『その当時彼はニューヨーク市クイーンズ区勤務の警部補
    で、売春の取締りを担当していた。59ストリート・ブ
    リッジのたもと界隈で、勤務時間は午後11時20分か
    ら午前7時50分までだった。彼は毎日警察物語を書い
    ている。午前11時30分までには起きて書く。4時間
    ぐらいしか眠らないわけだが、書かないでいると、「気
    が狂うような気持になる」という』

   インタビュー記事からの転載のようですが、これはちょっと
   信じられません。彼がどこに住んでいたか知りませんが、署
   を8時に出たとしても、どんなに早くても帰宅は8時30分
   でしょう。夜勤の経験がある人には分かると思いますが、す
   でに太陽が昇り、明るくなっているので、人々が動き出して
   います。騒音と明るさに邪魔されて、なかなか眠れるもので
   はありません。酒を飲めば少しは早く寝付けますが、短時間
   の睡眠で無理して起きても酔いが残り、小説なんか書けるも
   のではありません。これは睡眠時間を削って、勤務の間に書
   いていたと解釈すべき文章です。

   とにかく、こうして警官としての仕事を続けながら、完成し
   たのが処女作「燃える警官」です。主人公は5分署のダニエ
   ル・マローン警部補。所属はエリザベス・ストリート19番
   地の第5分署となっていますが、これは実在する分署です。
   第1章でこう紹介しています。

   『百年の歴史を持つ、クリーム色の警察署の建物があり、
    その4階建てのビルの正面には黒色の火災用非常階段が
    ついている。エリザベス・ストリート19番地、第5分
    署、ニューヨーク市で、未だに直流の配電盤を備えてい
    る唯一のオンボロビルだ。パトロールカーが縁石のとこ
    ろに並び・・・』

   これは1984年に現職の警官によって書かれた文章なので
   、この当時の5分署は本当にこんな風だったのだろうと思い
   今の姿と比較しようと思ってNYPDのHPを覗いて見たら
   、何と外観はこの文章と同じなのです。直流の配電盤は未だ
   現役かどうかは知りませんが、5分署の建物は昔のままなの
   です。この分署の管轄はチャイナタウン、リトル・イタリー
   、バワリー、ブロードウェイなどと共にニューヨーク市警の
   本部も含まれています。原題の「One Police Plaza」という
   のは市警本部の住所なのです。

   すぐ近くとは言え5分署の警部補は仕事をする上で市警本部
   と関係を持つことは普通はありません。じゃあ、何故、タイ
   トルになっているかと言えば、事件の根元がそこにあるから
   です。サラ・アイジンガーという30代半ばの白人女性の腐
   乱死体が彼女のアパートから発見され、マローン警部補指揮
   下の5分署の刑事達が犯人捜しをする物語です。

   被害者が旅行会社に勤めていたことを取っかかりにして、捜
   査は進み背後にはテロリスト、FBI、陸軍まで絡む大事件
   が浮かび上がってきます。さらに市警の各部署から40名の
   警官が消えてしまっていることに気が付きます。秘密裡に市
   警内での記録を抹殺し、別働隊に移動させ、特殊任務につけ
   ていたことを突き止めます。

   『警察学校での最初のクラスは「するなかれ」クラスだっ
    た。非番の時に事件に巻き込まれるなかれ、一般市民と
    仕事上の議論をするなかれ、英雄になろうと思うなかれ
    、上司に反抗するなかれ』

   『分署はパトロール課と刑事課の二つの課から出来ている。
    通常、警部が制服のパトロール課を指揮し、警部補が刑
    事課の指揮を取る』

   30年間ニューヨーク市警で働いていた男が細部に上記のよ
   うなリアルな警察組織の内実を混ぜながら、市警内部で40
   名の警官が姿を消すという有り得ない設定を、面白い警察小
   説に仕上げています。

   処女作の「燃える警官」がベストセラーになったのですが、
   コーニッツは市警を辞めなかったそうです。そして、同じよ
   うに警部補のままで第2作「甦える警官」を書きました。こ
   の作品の主人公はトニー・スキャロン警部補です。第1作と
   同じ分署の刑事課長で、ブルックリンの93分署という設定
   ですが、この署は実在しない架空の署です。トニー・スキャ
   ロンは捜査活動の最中に片足を失い、義足です。93分署は
   事件が少なく、ニューヨーク市警の中で一番呑気に働ける分
   署で、レズビアンであることを公表したために左遷された女
   性刑事が彼の部下という設定です。

   そんなのんびりした分署の管轄下のキャンデイ・ストアにシ
   ョットガンを持った男が現れ、その場にいた男女を射殺して
   逃げます。女性はその店の女性店主、その店を25年以上経
   営しているポーランド出身のイエッタ・ジマーマン。男性は
   刑事歴22年のジョゼフ・ギャラガー警部補。囮捜査をして
   いる麻薬取締官。何も奪っていませんので、犯人の目的は怨
   恨だったのか。店の持ち主への恨みなのか。それとも麻薬絡
   みの怨恨なのか。93分署の刑事課は総力を挙げて犯人逮捕
   に走り廻るというのが、この物語です。店主の家族の秘密と
   囮捜査官の秘密が浮かび上がる中から真実を選り分けていく
   義足の警部補の姿が警察機構の内部事情と絡み合って描かれ
   ています。第1作より設定が現実味を帯びているだけに面白
   く読めます。

   市警本部が業者からの圧力で軽量の弾丸を採用したために、
   犯罪者達の弾丸の方が強力になり、撃ち負けて現場の警察官
   に死傷者が増えたと言う話は恐らく現実の話なのでしょう。
   また、次のような作中の文章も実体験でしょう。

   『服務規程には警部以上の上司が部屋に入ってきたら、気
    を付けをしろ、とある。パトロール隊では、この規則は
    全面的に守られている。しかし刑事課は違う。ただし例
    外がふたつ。総監と刑事部長だ。』


   このあと、第3作目の「Black Sand」は翻訳されずに、第4
   作目の「Exceptional  Clearance」が「渇いた警官」という
   題名で別の出版社から日本語版が出ています。主人公はジョ
   ン・ビンダ警部補。彼の班は2年間に43人を射殺したため
   に、マスコミから「ニューヨーク市警の処刑隊」とレッテル
   を貼られました。勿論、犯人逮捕の為の正当な行動だったの
   ですが、上層部の判断で彼は現場から外され、市警本部の1
   1階にある特別捜査局の中の「失踪課」に左遷させられてい
   ました。

   『刑事便覧には次のように書かれている。失踪課には行方
    不明者を捜し出し、死人の姓名を割り出し、行方不明や
    名前の特定できない人間あるいは死体が事件に関わった
    場合には、他の部署のメンバーと協力して捜査にあたる
    と。しかし、この失踪課のになう、多くの非公式任務の
    うちの一つは、職務でヘマをしでかした刑事たちに、1
    3階と14階に陣どる首脳部から「復権してよし」の天
    の声がかかるまでのあいだ、しばらく「窓際族」として
    過ごしてもらうための場所を与えることだった。』

   黒人女性が連続して殺されたことから、本部長は同一犯人に
   よる連続殺人だと判断し特別捜査班を組むことにしました。
   その責任者にジョン・ビンダが選ばれます。

   ジョン・ビンダは特別捜査局の中の失踪課から重犯罪特捜課
   に移り、部屋を与えられると散り散りになっている部下を呼
   び集め、捜査を始めます。被害者の首には吸血鬼に噛まれた
   ような跡が残っているという奇妙な事件に振り回されながら
   真相に近づいて行きます。「訳者あとがき」にはこういう文
   章があります。

   『導入部はホラー映画タッチ、ビンダ警部補が吸血鬼の専
    門家を訪ねて、神学問答をするところなどはエクソシス
    トを思わせる。意外なドンデン返しにマドンナ顔負けの
    セクシーな女性刑事がからんで、これでもかこれでもか
    のサービス精神に、最後まで一気に読まされてしまう。
    エンターテインメント仕立てだが、ニューヨークという
    ソドムとゴモラの街を舞台に善と悪の相克をモチーフに
    した、なかなか深い小説だと気づかれる読者もいる筈だ。』

   「深い小説」と感じるかどうかは人によって違うでしょうが
   、私がこの作品で一番面白かったのは、ビンダが捜査の邪魔
   をするニューヨークの経済界の大物に「顔をうつ伏せにして
   イースト・リバーに浮かぶ何人もの水死体が発見されること
   を、なんていうか知ってますか?」と言う場面です。相手が
   答えられないでいると、ビンダはこう言います。

    「都市再開発というんです」

   4作目でこういう文章を書く程の余裕が出て来たのでしょう。

 [深読みコーナー] 


   「渇いた警官」の「訳者あとがき」にはこういう文章もあり
   ます。

   『(ウィリアム・コーニッツは)保険会社の調査係を経て
    、1955年にパトロール警官となった。刑事仲間には
    センセーショナルな問題作を発表したセルピコなどもい
    たという。』

   セルピコが警官になったのは1960年、麻薬捜査中に撃た
   れて死にかけたのは1971年ですから、コーニッツが在職
   中だったのは間違いないです。二人が実際に顔を合わせたか
   どうかは別にして、セルピコが引っ掻き廻した市警の賄賂問
   題にはコーニッツも直面させられた筈です。ですが、この三
   作品からはコーニッツがそれをどう感じ、どう対処したかと
   いう問題への答えを見いだすことは出来ませんでした。

   この文章にある「問題作」というのはセルピコ自身が書いた
   ものではなく、ジャーナリストが彼の話をまとめたノンフィ
   クションです。アル・パチーノがセルピコを演じた映画「セ
   ルピコ」は、この本を忠実に再現しています。映画はDVD
   も発売されていてすぐ見れますが、原作は古本市でも滅多に
   お目に掛かることが出来なくなっていますので、今回はちょ
   っと読んでみます。  

   賄賂を受け取ることを拒否し、上司に内部告発しても取り上
   げて貰えずに、最後の手段として、メデイアを使って世間に
   訴えたセルピコですが、公聴会に呼ばれた時の証言の一部が
   この本にあります。

   『私は過去5年間にわたって汚職を報告し続けてきました
    が、それに対する上司たちの態度には、無念と不安との
    念を抱かずにはいられませんでした。将来の警察官が私
    と同じ思いを味わうことのないよう、この席で強く要望
    したいと思います。上司たちは、私から無用の仕事を押
    しつけられたかのようにふるまいました。問題は、正直
    な警察官が同僚たちの嘲笑や報復を覚悟しなくては活動
    できないような雰囲気が、今なお厳として存在している
    点にあるのです。』

   警官は仲間を告発しないという不文律を彼は破ったわけです
   が、この不文律は今でも生きているようです。それを証明し
   ているのが、去年日本語版が出た「ザ・ブラス・ウォール(T
   HE BRASS WALL)」です。「BRASS」は直訳すれば「真鍮
   」で、「WALL」は「壁」なので、「真鍮の壁」になりま
   すが、それでは日本人には何のことか分かりません。訳者に
   よれば「BRASS」には「高官」の意味もあるそうですか
   ら、「内部告発を阻止する高い壁」という意味になります。
   だから、サブタイトルを「NY市警の闇」と付けたのでしょ
   う。訳者の佐々田雅子氏は、この事件を「第2のセルピコ事
   件」と言えるのではないかと書いています。本文にはこうい
   う文章もあります。

  『内務部が設けられたのは、フランク・セルピコ以後のこと
   だった。(中略)セルピコは民衆の英雄にまつりあげられ
   た。その告発は人々の怒りを掻き立てた。市当局はホイッ
   トマン・ナップを長とする委員会を設けて、NYPDの暗
   黒面にメスを入れることにした。2年後、ナップ委員会は
   セルピコの告発を文書で裏づけ、市警本部2万7千の警官
   の大多数が何らかの汚職にかかわっているという結論を出
   した。それに伴い、何十人かの警官が、その上司とともに
   追放された。』

   「ナップ委員会」という言葉は警察小説に限らず、ミステリ
   全般でよく出て来ますので、覚えておいて下さい。

 (文献)

  ●ウィリアム・J・コーニッツ(1933−1996)の長編
   小説は以下の7編で、その内3編の日本語訳が発売されて
   います。

   第1作「One Police Plaza」(1984)
     「燃える警官」(青木日出夫訳・文春文庫・1986)

   第2作「Suspects」(1987)
     「甦える警官」(藤本和子訳・文春文庫・1987)

   第3作「Black Sand」(1988)

   第4作「Exceptional Clearance」(1991)
     「渇いた警官」(竹林 卓訳・扶桑社文庫・1992)

   第5作「Cleopatra Gold」(1993)

   第6作「Pigtown」(1995)

   第7作「Chains of Command」(1999)

  ●NYPDのHPにある5分署の写真はこのサイトにあります。

    http://www.nyc.gov/html/nypd/html/pct/pct005.html

  ●「セルピコ」ピーター・マーズ著・柿村 敦訳
          リーダーズ ダイジェスト社・1975

  ●「ザ・ブラス・ウォール」
          デイヴィッド・コシエニウスキー著
          佐々田雅子訳・集英社文庫・2006

  ●元警察官がニューヨークを舞台に書いた作品には他にこん
   な作品があります。

   「ラッキー第13分署」ジョン・ウエスターマン著
          吉川正子訳・講談社文庫・1991

    この13分署はマンハッタンの東21丁目の13分署で
    はなく、ナッソー郡の13分署です。主役は制服警官。
    パトロール警官の世界を軽いタッチで描いた作品。
    作者はロング・アイランドで15年制服警官をしていた。
    ナッソーはクイーンズの隣の郡で、日本で言えば東京の
    隣の埼玉県のような場所。

   「木曜クラブの秘密」ヴィンセント・ムラーノ
         &リチャード・ハマー著
           内田昌之訳・扶桑社文庫・1994

    「セルピコ」と同じような警察内部の腐敗を描いた作品。
    主役は内務監察部の警部補。共作で現職の警察官(内務
    監察部)だったのはムラーノで、ハマーはノンフィクシ
    ョン作家。

   「マフィア・コップ」ルー・エッポリト
           &ボブ・ドルーリー著
         戸田裕之訳・扶桑社文庫・1994

    マフィアの家に生まれた男(ルー・エッポリト)がニュ
    ーヨークの警察官になってどう生きたかを描いたノンフ
    ィクション。エッポリトの話をライターのボブ・ドルー
    リーがまとめた作品。 

   「スーパー・コップ」L・H・ホイットモア著
         大島良行訳・ハヤカワ文庫・1978

    セルピコ以後もニューヨーク市警の腐敗はなくならず、
    それに伴い、第2、第3のセルピコ達の自浄作業が行わ
    れています。この作品はそういう実在の第2のセルピコ
    をモデ
    ルにした作品。

   「刑事トマ」デイヴィッド・トマ著
         大島良行訳・ハヤカワ文庫・1980

    ニューヨークのハドソン川の対岸はジャージー・シテイ
    ですが、その隣のニューアーク市で覆面麻薬捜査官をし
    ていたデイヴィッド・トマの回顧録。変装して捜査して
    いたのはセルピコと同じです。ニューアークはニューヨ
    ークから犯罪者達が流れ込んで来て、ニューヨークより
    犯罪が多いとこの本には書いてあります。

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  私のHPは「中原行夫の部屋」です。
      http://homepage1.nifty.com/y_nakahara/
  (連載状況)
  「昭和32年の映画館」は長野県下伊那郡と南安曇郡を追加。
  「新宿・武蔵野館の上映記録」は昭和45年12月分を追加。
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