海外ミステリを読む(99)
「海外ミステリを読む」(99)
[ニューヨーク・ミステリの系譜24]
「警察小説あれこれ3」
今回もカウフマン警視シリーズの続きをしたいと思いますが
その前に前回にも触れました「アヴェニュー」と「ストリー
ト」の訳し方から話を始めます。まず、以下の文を読んで下
さい。1959年(昭和34年)にはこういう訳し方をして
いたのです。
『59番街で西にまがり、コロンバス・サークルに方角を
とった。レキシントン・アヴェニューで路面電車に邪魔
されてしばらく停車し、それから第5街では交通巡査に
呼び止められた。』
これは「グリーン家殺人事件」の井上勇氏の訳です。今なら
「59番街」は「59丁目」、「第5街」は「5番街」と訳
すでしょう。
『ヴァンスと私はフランクリン街とセンター街の角にある
古い刑事法廷ビルデイングに自動車を乗り付け』
これも「グリーン家殺人事件」の中の訳です。「ストリート
」を「街」と訳しています。
1975年には、こういう訳し方をしている人もいます。
『西47番通りを6番街の方に向かって歩いているとき』
(「セルピコ」柿村敦訳)
1986年に出版された訳ではこうなっています。
『エイトス・アヴェニューと52番街を東に向かって』
(「燃える警官」青木日出夫訳)
「エイトス・アヴェニュー」は「8番街」のことです。「5
2番街」は「52丁目」です。
このように訳者によってバラバラで統一された訳し方はない
ようです。
「グリーン家殺人事件」はヴァン・ダインの代表作ですが、
舞台となるグリーン家について作者はこういう説明をしてい
ます。
『グリーン屋敷ーニューヨークっ子はふつうそう呼んでい
たーはアンシアン・レジームの遺物だった。3世代にわ
たって、53番街の東のはずれに立っていて、その張り
出し窓のふたつは、イースト・リヴァーの濁水の上に文
字どおりに、突き出て、かぶさっていた。』
ここに出てくる「53番街の東のはずれ」というのは、東5
3丁目のはずれ、サットン・プレイスという場所ですが、作
者はカウフマン警視の住まいをここに設定しているのです。
カウフマン警視シリーズの第2作「ダイヤル911」には、
こういう説明があります。
『カウフマン一家の住んでいるスイートは、イースト・リ
バーを見下ろすサットン・プレイス・サウスのビルのな
かにあって、部屋数は全部で14だった。』
部屋数が14あるのですから金持ちの家ということになるで
しょう。ヴァン・ダインが創造した名探偵ファイロ・ヴァン
スも働く必要のない金持ちという設定でした。トマス・チャ
スティンの頭の中にはこのことが頭にあったのではないかと
いう気がします。
題名の911は電話番号です。日本では警察は110、救急
は119と別れていますが、アメリカでは911だけです。
911にかけて、警察に来て欲しいのか、救急車に来て欲し
いのかを伝えるわけです。状況によって、どちらを差し向け
るたらいいのかを判断するわけですから、一つに統一してい
るアメリカの制度の方が合理的かも知れません。日本のシス
テムでは自分で判断しなければいけないわけです。この作品
はマンハッタンで連続爆破事件を起こす犯人が911番に電
話して爆破予告をするところから、このタイトルがつけられ
ています。
11月の第3木曜日のメイシーズ百貨店の感謝祭パレードは
今でもニューヨークの名物ですが、このパレードの最中に巨
大風船が爆発するシーンを出勤する途中のカウフマン警視が
目撃するところから、この物語は始まります。
メイシーズに恨みを抱く人間の仕業だろうという見込みで捜
査を始めるのですが、その夜今度はラジオ・シテイ・ミュー
ジック・ホールに爆弾が仕掛けられ、連続爆破事件に発展し
ます。
3回目は、爆破事件を捜査していた刑事が、不審者が持って
いたケーキのような箱を自分の車に運んだ時に爆発し、刑事
は死にます。4回目はロックフェラーセンターの前のクリス
マス・ツリー、5回目はパーク街のアステリア・ホテルの近
くのクリスマス・ツリーが爆破されます。事件が増えるにつ
れて証拠が増え、カウフマンは次第に犯人を追いつめて行く
のです。
ウールリッチの作品にニューヨーク名所案内を意図したもの
がありましたが、このシリーズも観光バスに乗ってニューヨ
ークを走っているようなところがあります。ウールリッチは
1940年代を中心に、その前後の時代のニューヨークを描
いたわけですが、トマス・チャスティンが描くのは70年代
のニューヨークです。
シリーズ第3作目は「マンハッタンは闇に震える」という作
品です。カウフマンが担当した殺人事件の裁判に立ち会う為
に裁判所に来ている場面からこの作品は始まります。犯人が
死刑判決を受けたのを確認してカウフマンは、16分署に帰
る為にエレヴェーターに乗ります。が、途中で停電になり止
まってしまいます。偶然の停電だと思われたのですが、署に
戻ったカウフマンに男から電話がかかり、今日のように我々
はマンハッタンの好きな場所を好きな時に停電させることが
出来る。それを止めさせたかったら300万ドルを払えと言
い出します。
最初は取り合わなかったカウフマンも、次ぎに世界貿易セン
タービルが停電させられると、本気で対策を考えざるをえな
くなります。9・11で倒壊し、今はグランド・ゼロと呼ば
れているこのビルが舞台になっていることもこの作品のポイ
ントでしょうか。もうこのビルが小説の舞台になることはな
いわけですから。
『彼(カウフマン)の正面には12ブロックを独占してそ
そりたつ世界貿易センターの5個のビルの巨大な姿があ
った。(中略)各ビルのロビーに通じるメーン・コンコ
ースは、制服を着た市警の警官たちや消防夫、救急車の
要員、それにこの貿易センターの治安維持の任を負うニ
ューヨークの港湾警察所属の警官たちの姿で溢れんばか
りだった。』
『コンコースはまるで田舎の村の目抜き通りのような感じ
で、コーヒーやサンドイッチを売る店、銀行、ドラッグ
ストア、書店、靴の修理屋、ダイヤの取引所、それに酒
屋にいたるまであらゆる店がずらりと並んでいた。』
『港湾警察はこの世界貿易センターの地階のどこだったか
に分署を持っており、そこにちゃんと拳銃の保管場所や
ロッカーまで備えていることをこのとき思い出したのだ
った。』
街全体ではなく、ピンポイントで停電させることが出来るの
ですから、その方面の知識のある人間が犯人側にいるわけで
す。ニューヨークの電気の供給の状況もよく書き込まれてい
て面白く読めます。最後にカウフマンが銃撃されますが、命
は取り止めます。
この作品もニューヨークのガイドブックの一面もあります。
「訳者あとがき」にはこういう文章があります。
『前二作と同じくニューヨークないしマンハッタンのきわ
めてアクテイヴなガイドブック的な側面を持っている。
とりわけ、停電前後の世界貿易センター地域内のさまざ
まな動きや、マックス・カウフマンが帰宅の際に徒歩で
たどる42丁目通りの多分に生臭い風物などは、通常の
ガイドブックからはとうてい汲みきれないほどの臨場感
に溢れている。』
前回紹介した木村二郎氏との対談の中で、木村氏が「マンハ
ッタンの描写はガイドブックのように正確ですね」と切り出
すと、チャステインはこう語っています。
「その雰囲気を出そうと努めたつもりだが、うまくいって
いるかな。いろんな連中がニューヨークの悪口を言って
いるが、悪いところばかりじゃないんだよ。いいところ
もあるんだ。私はこの街が好きなんだ」
シリーズ第4作目は「16分署乗取り」という作品です。原
題は「Diamond Exchange」、つまり、「ダイヤモンド取引所」
です。日本版のタイトルと原題がこの物語のすべてを語って
います。泥棒達がカウフマンが署長をしている16分署を乗
っ取り、ダイヤモンドを強奪するという奇想天外な物語です。
今の日本語のマンハッタンの地図には、「ダイヤモンド・ロ
ウ」(Diamond Row)という言葉があります。「ダイアモンド
通り」という意味でしょう。つまり、ダイアモンドを扱う業
者達が集まっている地域です。場所はロックフェラー・セン
ターの南側、5番街と6番街に囲まれた西47丁目界隈です。
作者はこのあたりに16分署を創っていますので、管轄地に
なるわけです。本文にはこう書いてあります。
『西側で6番街の通りに接し、東側で5番街の通りに仕切
られたこのブロックは、そのわずかな面積のなかに世界
中のダイヤモンドの約半分を内蔵しているはずだった。
つまり、このブロック内に建っているほんのひと握りの
建物のなかに価格にして2兆ドルのダイヤモンドが冷た
く輝きながら眠っているのだった。』
「内蔵」と言っても、ここでダイヤモンドが採れるわけでは
なく、原石が持ち込まれ加工されるだけでしょうが、ティフ
ァニーの店頭に並ぶ前はここにあるわけです。犯人達はそれ
を狙ったわけです。その方法として16分署を乗っ取るので
す。
4人の男が突然、16分署に入ってきます。その中の一人が
デスクのホーララン巡査部長に接近します。
『男は紙入れから身分証明書をさっと抜き出し、それに留
め付けてある警視の金色のバッジをホーラランの前にぬ
っと突きだした。「内部調査部のボーニン首席警視だ。
この分署の業務内容の捜査にあたることになった。君は
このデスクからすぐ離れて欲しい。あとで聞きたいこと
がある。』
勿論この警視は偽物です。巡査部長が簡単に偽警視の要請
に従ったのは、相手が「内部調査部」だったからです。
『内部調査部はニューヨーク市警の中にある特殊な部門で、
警察自体を調査する役割りを持った警察だった。』
『内部調査部の調査官の出張調査を受ける程恐ろしいこと
はまたとなく、それは例えばニューヨーク一潔癖な警官
の胸にさえすさまじい恐怖を感じさせずにはおかなかっ
た。』
つまり、内部調査部の権限は絶対というわけです。そういう
内部事情に詳しい人物、つまり市警で働いていたけど辞めさ
せられて、恨みを抱いている人物が必要なわけです。
こうして、簡単に16分署を乗っ取り、偽警官達がパトカー
を使って犯行現場に行くのです。そして、2500万ドル相
当のダイヤモンドを奪うわけです。
このあと、カウフマンがどうやってダイヤモンドを取り戻す
かはご自分でお読み下さい。オチも決まっています。
この作品は犯人側の描写と警察側の描写は半々位で、4作の
中で一番カウフマンの登場する場面が少ないのです。作者が
5作目を書かなかった理由はこの辺にあるのかも知れません。
訳者も「あとがき」では「今回の作品の結末の部分を読んで
も、このシリーズはこれからもまだまだ書き継がれそうな感
じがする」と書いているので、評判は良かった筈です。です
から、4作で終わったのは作者側の問題だろうと思います。
健康上の理由なのか、精神的な理由つまり、意欲がなくなっ
たのかは分かりません。
木村氏に「影響を受けた作家は?」と訊かれたチャステイン
はこう答えています。
「最も影響を受けたのは、ヘミングウェイと、ハメットと
チャンドラーだ。」
寡作なのはハメット似かも知れません。
[深読みコーナー]
「マンハッタンは闇に震える」にこういう文章があります。
『(カウフマンは)42丁目と3番街との交差点にさしか
かった。ニューヨークにたった一つ残った自動販売式飲
食店を右手に見ながら交差点を横断し、3番街の通りに
沿って北へ向かった。』
「自動販売式飲食店」には「オートマット」と仮名を振って
います。1937年にウールリッチが「簡易食堂の殺人」の
舞台に使った頃には街中にたくさんあったようですが、70
年代末にはこの一軒だけになったということです。事件の内
容には全く関係ないので、作者は意識して書き込んだと思い
ます。「オートマット」については94回目のウールリッチ
編第4回で詳しく書きましたので、読んでいない方はバック
ナンバーを参照しながら読むと、よく分かると思います。バ
ックナンバーはこのサイトにも、私のHPにもあります。
「16分署乗取り」では次ぎの文章で驚きました。カウフマ
ンの誕生日に愛人と祝う場面です。場所はロックフェラー・
センターです。
『二人は65階のレインボー・ルームに入った。ベニー・
グッドマンが現れた。これはまた豪華なと、マックス・
カウフマンは思った。』
私はこれを読んで、「えっ!」と驚きました。「ベニー・グ
ッドマンって、まだ生きていたのか」と感じました。私は映
画「ベニー・グッドマン物語」、「グレン・ミラー物語」、
「五つの銅貨」を封切り時に見た世代ですので、80年代に
書かれた作品で、彼が現役のジャズ・プレーヤーとして登場
したことに驚いたのです。それもハーレムの場末のナイト・
クラブではなく、ロックフェラー・センターの65階にある
超一流の店というのです。彼の年譜を調べて見たら1909
年生まれで、1986年にニューヨークで死んでいました。
この作品は1981年に書かれているので、この時、彼は7
2才で、死の5年前です。その年でまだ客の前で演奏出来た
のだと思うと、驚くと同時に喜びました。
ウールリッチはレッド・ニコルスが好きだったと書き残して
いますが、ベニー・グッドマンもグレン・ミラーも自分のバ
ンドを持つ前はレッド・ニコルスのバンドにいました。ベニ
ー・グッドマンが一番最後まで演奏活動を続けていたことに
なります。
[次回のお知らせ]
トマス・チャスティン編はこれで終わります。ジャーナリス
ト出身の彼のニューヨーク市警に関する知識は調べて得たも
のです。次回からは実際にNYPDで働いていた経験のある人間
が書いた作品を読んでみたいと思います。
(文献)
●カウフマン警視シリーズは全部で4作あり、すべて早川書
房から後藤安彦氏の訳で出ています。
第1作「パンドラの匣」(1974)
ポケミス(1300)版1978年
文庫版1990年
第2作「ダイヤル911」(1976)
ポケミス(1304)版1978年
文庫版1991年
第3作「マンハッタンは闇に震える」(1979)
ポケミス(1363)版1980年
文庫版はありません。
第4作「16分署乗取り」(1981)
ポケミス(1382)版1981年
文庫版はありません。
●「尋問・自供ー25人のミステリ・ライター」
木村二郎・早川書房・1981
●「グリーン家殺人事件」ヴァン・ダイン著
井上 勇訳・創元推理文庫版・1959年
●「セルピコ」ピーター・マーズ著・ 柿村 敦訳
リーダーズ ダイジェスト社・1975年
●「燃える警官」ウィリアム・J・コーニッツ著
青木日出夫訳・文春文庫・1986年
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私のHPは「中原行夫の部屋」です。
http://homepage1.nifty.com/y_nakahara/
(連載状況)
「昭和32年の映画館」は長野県北佐久郡と東筑摩郡を追加。
「新宿・武蔵野館の上映記録」は昭和45年3月分を追加。
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