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1950年生まれ、高校(社会科)教師の「学校」をめぐるコメント・コラム集

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2008/07/16

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               第203号 2008年 7月 16日(毎月1・16日発行)

  目次

**学校をめぐるコメント**

        510.『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』


**日々雑感**

        609.映画・雑感−2008年7月前半


**最近読んだ本

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**学校をめぐるコメント**


        510.『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』

                (斎藤 環 日本放送出版協会 2008年 \920)
                                                     (2008年 7月5日)

 図書館の新刊の棚で見つけて。また何人かの女子生徒と話していて、問題意
識があったので。

                        *

 男子のモラトリアムは就労を前提として学卒前に保証されており、女子のモ
ラトリアムは結婚を前提として学卒後に保証されることになるのです。男子の
「浪人」ゃ「留年」に該当するのが、女子の「家事手伝い」や「花嫁修業」と
いうことになるのでしょう。(P.54 日本では)

【これはああそうだったのか、といったところ。これが日本社会。】

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 ひきこもりスパイラル=「ひきこもっている自分が恥ずかしい」→「恥ずか
しいから人に会いたくない」→「人に会いたくないから外出したくない」→
「外出を拒否してますますひきこもる」→「ひきこもる自分が恥ずかしい」
(P.55 要旨抜き書き)

                --------------------------------

 母親との息子の関係には、異性であるがゆえの親密さがあると同時に、異性
であるがゆえの距離感が最後まで残るのではないでしょうか。しかし母と娘は、
ひとたび密着が進行すると、果てしなく一体化していく傾向があるように思い
ます。一体であるゆえの愛憎の激しさは、しばしば家庭を、双方にとっての地
獄に変えてしまうでしょう。
 やっかいなことには、こうした愛憎関係は、つねに意識されているとは限り
ません。
 はた目には異常なほどの密着関係、依存関係がありながら、当事者はまった
くそれを自覚していないということもしばしばあります。(P.58)

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 男たちは父殺しを避けられませんが、女たちは母殺しをしません。いや、も
っといえば、「しない」のではなく「できない」のです。
 では母殺しができないとしたら、母娘関係はどうなるのでしょうか? 実は、
母娘関係は永遠なのです。(P.82)

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 異性愛主義(ヘテロセクシズム)が支配的な地域にあっては、「女であるこ
と」を断念しない母親が非常に多いようです。エリアシェフのいうところの
「母よりも女」型の母親がそうでしょう。「妻である母」(子供よりも夫を大
切にする)、情事に夢中で子供を構わない「愛人のある母」、あるいは母親が
女優や歌手であるような「スターである母」などが、これにあたります。(P.
87)

【これは生徒たちの話を聞いていて、そうなのかもしれないと思わせられるこ
とが最近多い。食事の準備をしないとか。信じられないけど、事実のようだ。
生徒自らそう語るのだから。】

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 精神分析的に考えるなら、女性性とは徹底して表層的なものを意味しており、
そこにいかなる「本質」もないとされます。そうした女性的な表層を見出す視
線とは、男女を問わず、異性愛的な視線にほかなりません。(中略)
 それは女性が「身体」を持っているからです。(中略)
 男性は「身体」を持ちません。......男性には象徴的な意味での「本質」し
かありません。(中略)
 積極的な意味での「女性らしさ」は、外見や所作などの身体性において表現
される傾向にあります。(中略)
 男性にとっての肉体は、まるで空気のように透明な存在です。男性が自分も
身体を持っていることを思い出すのは、激しい疲労や痛みといった「問題」が
生じた場合だけ、といえるほどです。(中略)
 彼女たちは自らの身体性に対して、どこかつねに居心地の悪さを感じていま
す。やや大げさにいえば、女性はいわば、身体という着ぐるみを着ているよう
なところがあります。(P.126)

【これもなるほど、と思わせられることが多い。私は男性なので、女性を見る
ときやはり「異性愛的な視線」で見ているわけだ。そして女性も見られること
の居心地の悪さを少しでもやわらげるために「身体という着ぐるみ」を着てい
るということになるか。
 男性はその身体を見られる、という意識を持っている時というのはあまりな
いだろう。では女性と向かい合ったとき、女性は男性の何を・どこを見ている
のだろう?】

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 理屈を感情が裏切る(P.128)

【これはもういろいろな解釈ができるし、体験済みか。】

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 摂食障害事例の多くは、しばしば母親との間に大きな葛藤を抱えています。
(中略)彼女たちに深く根を下ろしている、強い女性嫌悪ともいうべき基本感
情があるのではないかと考えています。(中略)
 拒食症におけるダイエットとは、最も過激な形でのヘテロセクシズムの否定
としてなされているように思われます。拒食症患者は、脱性化を通じてユニセ
ックスを目指すかにみえるのです。(P.129)

【私もこのように解釈していた。自らの性である女性性を否定するのだ。その
ためには女らしさの象徴である丸み・ふくらみを否定する。そのためにダイエ
ット。裏表が逆になったものが過食症かも。それも女性性の過剰な表現であり、
美を超えて醜になることにより、やはりヘテロセクシズムの否定ということに
なるのではないか。】

                --------------------------------

 母性本能を無条件に信じたいのは子供たち自身です。圧倒的に弱い存在であ
る子供は、血縁の絶対性と、母親による無償の愛への揺るぎない信頼なくして
は、心の平安が得られません。私の経験では、この種の母性への信頼は、女性
よりも男性のほうがはるかに強い。マザコンの多いこの国ならではの現象、で
しょうか。女性は男性に比べれば、早くから母性への懐疑を抱きはじめるよう
です。(P.150)

【心の平安が得られない子供たちは不幸だ。「無償の愛」はないのかもしれな
いけど、せめてその幻想ぐらい持たしてほしい・やりたいものだ。私に関して
はやはりマザコンだろう。一人っ子だったし。】

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 母親が娘を支配するのは、単なる権力欲ではありません。少なくともその出
発点にあっては、娘の問題に関する無限の責任感があるのです。(中略)
 支配的な母親の意識を構成するのは、しばしば度を越した責任感と、それと
同じくらい度を越した期待感なのかもしれません。(P.160)

【そうなのだろう、と推測はできるが、しょせん、実感できるわけがない! 
責任感もほどほどに、と言うべきか。】

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 母親の態度はしばしば両極端でした。娘をかまい過ぎるか、よそよそしく放
置するか。また厳格過ぎるか、友達のようであり過ぎるか。何も教えないか、
なんでも教え過ぎるか。期待をしないか、条件付きの愛情か。共感的でないか、
一心同体的か。
 この結果は、母親たちが娘に対して、いかにほどよい姿勢を保つことが難し
いか、を示しています。(P.163)

【何によらずほどよい距離を取るのは難しい。物理的にも心理的にも。】

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 母による支配とは、このように、二重にも三重にも入り組んだ形で、しかも
無意識になされます。このような支配とは、まともに向きあっても勝ち目はあ
りません。残された方法は、その場から逃げ出すこと、家を出ていくこと、さ
らには別の場所で母になること、しかないのです。(P.172)

【やはり逃げるしかない。負けるが勝ちではないが、ともかく逃げるに如かず、
か。】

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 母親の欲望に気づくことが娘を解放することにつながるということもありま
す。
・支配――被支配の関係に気づき、その欲望を抑えること。ここにはもちろん、
  「支配したい欲望」のみならず、「支配されたい欲望」も含まれます。また、
  母親の自己犠牲や責任感すらも、しばしば支配のための論理に利用される可
  能性があることも理解しておくべきでしょう。
・感情のもつれをもたらす密着関係、密室関係を脱するためにも、離れて生活
  する可能性について検討してみること。
・(中略)「母親が娘に与えられる一つの素晴らしい贈り物は、できる限り自
  分自身の人生を生きることです。それは同様に、息子や自分自身に対する贈
  り物でもあるのです」(P.200)

【特におしまいにある「できる限り自分自身の人生を」生きてもらう。これに
尽きる。】

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 母娘関係を「自立」や「女の幸せ」といった「意味」で満たそうとするとき
にこそ、多くの困難が生じてくるとすれば、一度意味と手を切ることで解放さ
れることこそが、開かれた母娘関係を作るのだ、ということになるのかもしれ
ません。(P.212)

【何にでも意味を見出そうとし、意味がなければやらない。これが現代人かも
しれない。しかし、その意味を求めるという行為が私たちを裏切っていくのだ。



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**日々雑感**


        609.映画・雑感−2008年7月前半


2008/7/11(金)[チルソクの夏]

 学校行事の人権映画を観る会が11日に行われた。3部制の学校なので、各部
ごとに選ばれた映画は、1部は「チルソクの夏」、2部は「ヒロシマナガサ
キ」、3部は「マイフレンド・フォーエバー」。

 私は部に所属しないので勤務時間外の3部のはのぞき、どちらを観ても良か
ったのだが、授業での付き合いの多い1部の生徒のを観た。そして終了後、何
人かと映画についてもおしゃべりをした。

 まずこの題名が覚えられず、人に説明するときにも困った。結局、「七夕」
のことだったのだが、映画の題名はやはり大事だ。妥協して「七夕(チルソ
ク)の夏」ぐらいにしておけば良かったのにと思った。
 そしてその題名の話が象徴するように、出だしは分かりにくく、ああやはり
政治宣伝臭がしていやだな、と。悪いけど下手な作り方だな、と。

 結論から言って、涙が出るくらい(最近、涙もろくなったようだが)感動も
し、内容もまずまずいいのではないかと、見なおしたのだが。

 主人公は下関と釜山の高校生たち。陸上競技の親善試合を毎年、両都市交互
に開催するもの。そのなかで日韓彼らの間に恋が芽生え、文通する二人に朝鮮
人差別の問題が出てくる。
 親たちや世間の目にもめげず、女友達四人組が頑張る。いろいろと恋という
か出会いの援助をしてやるのだ。あれは女の子たちだからできることかも、と。
男子の四人組ではどんなもんだろう。

 女友達、で思い出したのだが、映画には不要なシーン・あまり観たくないシ
ーンというのがあるものだが、この映画ではこの女の子四人組の部室等での着
替えシーン。ブラウスを脱ぎ、下着姿でのカットがいくつかあった。あまり落
ち着いて観られるものではなかった。ない方がよかっただろう。生徒たちとも、
その点、同感。
 あと失笑したのは、恋する二人が合宿所のバルコニーと木をのぼってきて途
中で、話をするシーンがあるのだが、これなどまるで映画『ロミオとジュリエ
ット』を下敷きにしたようで、やはり失笑。もう少し工夫が欲しかった。

 1977−78年のお話なので、流れる曲が懐かしい。「なごり雪」がメインだっ
たが、あと山口百恵の「横須賀ストーリー」とかも。「なごり雪」を韓国の男
子が歌うのだが、日本語であったため、途中で制止された。まだ政治的にはそ
んな時代であった。

 恋はもちろん悲恋に終わるのだが、それを予感させるように下関での別れに
彼女は見送りに間に合わなかった。そしてカットバック最初の現在のシーン、
つまり2003年の親善試合で最後の最後に出会いが用意されていた。それまでの
20数年間、四年後に逢おうという約束は果たされず、月日が流れ彼女も新たな
恋をし、結婚をし、離婚して故郷に戻ってきていて、ということで最初と最後
のシーンになるのだった。

 もはやふたたび恋が復活することはないだろうが、ちょっとした最後の出会
いをやや遠くから、まだ離れたままの二人をストップモーションで撮して終わ
る。まずまずだ。
 やや長くて、ちょっと下手だったけど、観ておいてもいいかな、という映画
だった。


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**最近読んだ本

2008/7/ 5(土)『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』
(斎藤 環 日本放送出版協会 2008年 \920)

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FK −−学校をめぐるコメント・コラム集           マグマグID 26043
        (2000年 2月16日創刊)        kishidafumio@hotmail.com
                                            発行者  KISHIDA Fumio   
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  インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を利用して発行しています。
(http://www.mag2.com/)解除は http://www.mag2.com/m/000026043.htm/ へ。
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