2008/12/25
空気を読まない
「KY(空気が読めない)」というイヤな言葉が流行っている。 なぜ空気を読まなければならないのか? 理由はない。 みんなが同調してつくる「空気」などほとんど間違っている。 意識的に空気を読まず、空気に異議申し立てをする必要がある。 しばらく発行を休んで申し訳ありません。 私は現在「日本インターネット新聞 JanJan」にコラム【大気圏外】(ほぼ毎日掲載)を書いております。 今回はさいきんのものを2本ほどお送りします。 なおJanJanで【大気圏外】を読む場合、 http://www.news.janjan.jp/column/taikikengai/taikikengai.php にアクセスして下さい。このURLから「リストページ」に入ります。そこからタイトルごとのコラムに飛ぶことができます。 よろしくお願いいたします。 年内はこれで最後だと思いますので、良いお年をお迎え下さい。 【大気圏外】英語教育偏重は止めるべきだ―「可能でもやらない」という姿勢を(2008/12/25) JanJanで読むなら http://www.news.janjan.jp/column/0812/0812244103/1.php [編集部のサマリー] 英語は必須の伝達手段だとして、文科省は学習指導要領を改正し、高校の英語教育を英語で行うことに決めたようだ。しかし、欧 州では逆に「英語帝国主義」を見直す方向だ。英語教育の強化がなぜ日本で提案されるのか、不思議だ。日本の学校教育なのだから 、まず日本語をしっかり教えるべきではないか。英語強化はその後で考えれば良い。 [本文] ◆文科省の改正案 5年後の2013年4月から、高校の英語教育は原則として英語で行うことになるのだそうだ。文部科学省が22日発表した高校 学習指導要領の改正案で、英語教育の強化が最重点となっている。日本語を使わない授業のほか、習得する単語の数も増やし、中学 校の履修も含めて約3,000語とするという。 ◆可能かどうか疑問 「学力崩壊の時代に、そんなことできるの?」という疑問がまず浮かぶ。朝日の社説(23日付)は <高校指導要領 英語で授業…really?>というタイトル。 <高校の英語の先生たちの中には、頭を抱える人も少なくないだろう(書き出し)> <あいさつや簡単な呼びかけを英語でするだけなら、これまでと大差はない。しかし、文法を英語でわかりやすく説明したり、生 徒の質問に英語で答えたりすることは簡単ではないだろう。できたとしても、どれほどの生徒が理解できるだろう> ◆現場は混乱 いきなり英語で授業、と言われても現場は混乱するばかりだ。使える英語を身につけるためには、どうすればいいのか。そのため に英語教育をどう変えるべきなのか。その道筋と環境作りを大枠で整えることが先決であり、文科省の仕事ではないか。 <教師の育成やカリキュラムの検討はもちろん、入試問題の改革も視野に入れなければならない。11年度から全面実施される小 学校高学年での英語活動も含めて、総合的な検討が必要だ> <指導要領は大枠にとどめて、実際の運用は学校に任せる。それが現場の力を引き出すことにつながる(結び)> などの文章はいちいち「ごもっとも」というほかない。 ◆「まず妥当」と読売 読売の社説は <高校新指導要領 「脱ゆとり教育」をどう生かす> で、例によって指導要領改正案全体については肯定的内容。しかし「英語 で授業」については、 <改定案で疑問なのは英語だ。「聞く、話す、読む、書く」という四つの能力を総合的に身につけられるよう再編成し、中学校レ ベルの基礎的な授業も行えるようにしたのは、まず妥当だろう。 ◆英語の授業は「無理」 しかし、「授業は英語で行うことを基本」としたのは、無理がないか。会話をはじめ、実社会で使える英語力の育成が狙いのよう だが、性急な改革は消化不良を起こす恐れがある。 どういう授業を目指すのか。文科省は、説明会や今後出す解説書で狙いを明確にすべきだ。> と指摘された。 ◆必要なやるべきか否かの論議 しかし、可能なことと、やるべきことは違う。例えば高校でケータイ小説の読み方、書き方を教えるとすれば当然可能だろう。し かし「やるべきでない」という主張も出てくる。まず実現しないだろう。英語教育の強化が何故いま提案されるのか、不思議という ほかない。 ◆脚光浴びた「日本語のみ」の益川氏 今年のノーベル賞授賞式で「日本語」は一躍脚光を浴びた。物理学賞受賞者の1人、益川敏英氏は英語を一切使わず、日本語で押 し通した。それは益川氏が「英語をしゃべらないのではなく、英語をしゃべれないから」(本人の弁)ということにすぎない。 ◆異例の日本語祝辞 この行動をうけて、授賞式でスウェーデン王立科学アカデミーの幹部らが「小林先生、益川先生、あなた方の業績に感謝します」 と、日本語での祝辞を述べた。どうやらこれはまったく異例のことのようだ。 ノーベル賞授賞式、記念講演という場を支配しているのは英語らしい。益川氏の「日本語」が、英語支配に風穴を開けたようなの だ。 ◆欧州連合での「英語論議」 そういう展開になったのは理由がある。欧州連合(EU)の公用語問題である。2001年、当時のプローディ欧州委員長(イタ リア)が膨らむ事務経費の削減を目指し、委員会内部で使用する言語を英語に一本化し翻訳コストを節約する改革案をまとめた。E Uは加盟国の言語をすべて公用語としている。その時点で公用語は11言語もあった。会議の同時通訳と文書の翻訳費用は年間2億 ドルに上っており、そのムダを省くことを狙った改革案だった。 ◆「加盟国すべての言語が公用語」再確認 これに対してフランスとドイツが猛反発、両国外相が「単一言語主義はとても容認できない」と抗議文を送りつけた。仏独両国は 、文化面では英国にひけをとらないという自負があり、欧州統合の主役を演じてきた実績もある。「英語の支配」は許せないという 姿勢をとった。 この騒ぎでEUは「加盟国言語すべてが公用語」という原則を再確認した形だ。 ◆公用語20言語・同時通訳190通り その後、EUは東に拡大。2004年5月、ポーランド、チェコなど中・東欧8カ国とマルタなど地中海の島国2カ国が加盟して 、加盟25カ国・公用語20言語となった。 同時通訳の場合、11言語だと55通りが必要となる。20言語になると理論的には190通りに膨張する。しかしフィンランド 語からギリシャ語などという小言語同士の場合、英仏独などの大言語を経由した重訳とする「リレー通訳」方式をとることによって 克服。加盟国が増えても、「すべて公用語」の原則を貫いているという。 ◆英語帝国主義見直しに一石 こういう脈絡の下で欧州では、「英語帝国主義を見直そう」という考え方が強まっていたのである。そこに益川氏の「日本語のみ 」という行動があったので、スウェーデン側がすぐに反応して、日本語での業績発表ということになったようだ。 引用した朝日の社説は、益川氏に触れて以下のように書いている。 ◆「益川氏の日本語スピーチは英語下手の象徴」(?) <たしかに日本人の英語下手はよく知られるところだ。ノーベル賞を受賞した益川敏英さんのスピーチは、その象徴といえるかも しれない。中学、高校と6年間学んでも、読み書きはともかく、とんと話せるようにならない。 ますます国境の垣根が低くなる世界で、英語は必須の伝達手段になってきた。だから英語教育を変え、会話力を育てたい。それは その通りだ。そのために授業自体を英語での意思疎通の場と位置づける。その発想もいい。> ◆その認識こそ恥ずかしい 「何だこれは」と悪罵を投げつけたくなるような文章だ。益川さんの行動を「英語下手の象徴」と恥ずかしがるようでは、日本を 代表する大新聞の社説として、あまりに低レベルでしかない。 ◆英語上手の背景に、英国支配の歴史 アジアでいちばん英語が上手いのは、インド人、シンガポール人といったところだろう。それぞれ英国に植民地支配された時代が あり、とくにインドは、「母国語」を一つにはできなかった。このため高等教育が英語でしかできなかったという事情がある。 ◆しっかりした日本語教育が最優先 日本の学校教育なのだから、日本語をしっかり教えよう。その上で英語だ……という主張になるべきだろう。 【大気圏外】京都駅伝の留学生差別に異議あり ――北京5輪優勝のワンジルを育てたことこそ誇るべきなのに(2008/12/23) JanJanで読むなら http://www.news.janjan.jp/column/0812/0812223959/1.php [編集部のサマリー] 京都の高校駅伝で、「花の1区」から留学生が締め出されていた。21世紀の日本は、後世「古今東西稀な血縁重視社会だった」 と記録されるのではないか。親や祖父の七光だけで、本人に何の能力がなくても首相になれる。相撲でも駅伝でも、活躍する「外国 人」は排除する。日本はこのままでていけば、間もなく滅びる運命だろう。 [本文] ◆「花の1区」から留学生を締め出す 師走の風物詩となった観のある京都の高校駅伝をテレビ観戦して、1区から外国人留学生が締め出されたことを知った。1区は男 子が10km、女子も6kmで、ともに最長区間。「花の1区」と呼ばれる。 ◆留学生作戦の成功 ケニアなどで、長距離ランナー向けの良い素材を発掘し、留学生として入学させる。順調に育った選手に1区を走らせる。他校の 日本人ランナーを大きく引き離してトップとなる。2区以下のランナーがその貯金を維持して優勝できる……。こうした作戦を立て 、実行したのが仙台育英だった。 ◆ケニヤのワンジルが大活躍 成功した留学生の典型が、北京5輪マラソン優勝のサミュエル・ワンジルだ。2002年4月、15歳のときケニアから仙台育英 高に留学。京都の全国高校駅伝では、3年連続で1区を走り、区間賞を獲得。2、3年生のときには同校を優勝させた。 ◆トヨタ九州でマラソンランナーに 高校卒業後、トヨタ自動車九州に進み、社会人駅伝などロードレースのプロとして成長を続けた。ハーフマラソンで世界記録を次 々更新した後、マラソンにチャレンジして、従来の常識を覆すスピードで42.195kmを走り抜けた。 ◆北京5輪で金メダル 初マラソンの2007年福岡国際を2時間6分39秒の世界歴代18位(当時)で制し、今年のロンドンで2時間5分24秒まで 伸ばした。そして北京五輪では21歳で金メダルを獲得した。ゴール時には気温30度を超えるという夏マラソンなのに、2時間6 分32秒の五輪新をマーク。常識破りのスピードで走り抜き、底知れぬ力を見せた。 ◆締め出しの引き金はワンジルの活躍 どうやらこのワンジルの活躍が、「1区は留学生禁止」という動きの引き金になったらしい。「1区はダメ」という制限を決めた のは07年5月22日の全国高校体育連盟(高体連)理事会・評議員会だった。 これまでは「登録2人、出場1人」という規定だけ。「花の1区」を留学生が快走し、一気に勝負が決まるケースは多かった。テ レビの全国中継があるレースだけに、一般からの関心は高く、批判が強まっていたという。 ◆日本人特待生も多い現実 しかし、こんなことが「学校スポーツ」にふさわしいことだろうか? 留学生の場合、「特待生」であることは明らかだろうが、 高校駅伝の全国大会出場チームで「特待生ゼロ」はありえない。陸上競技では中学校の大会がしっかりしているから、素材の発掘は 容易だ。高校側がスカウトし、親などの考え方によって特待生にすることになる。 ◆「黒人差別」でないか、検証が必要 1区で留学生を禁止することによって、1区だけは日本人高校生の争いになるわけだ。優秀な日本人生徒の獲得競争が激化するだ けではないか? 何よりも外国人を差別するルールは採用すべきでないだろう。とくに駅伝の場合、ケニアなどアフリカ人留学生が 活躍する。「留学生への批判」が実は「黒人差別」でないかどうか、十分な検証が必要だ。 ◆日本の誇りのはずだったワンジル優勝 ワンジルの北京五輪マラソン優勝について、育ちの場・日本のメディアはもっと喜ぶべきだという主張は8月25日付 <敗者にこそ人間味 五輪TV観戦記> で書いた。 確かにケニア人だから、五輪ではケニア代表として走る。表彰式ではケニア国旗が掲げられ、ケニヤ国歌が演奏される。しかし彼 が長距離ランナーとして育ったのは、日本だということは誰もが知っている。日本には世界1の長距離ランナーを育てる文化がある ということになる。そのことを誰も喜ばなかった。 ◆ノーベル賞は大喜び 対照的にノーベル賞の日本人4人受賞は、日本人あげて大喜びという風情だった。 ◆米国の環境で花咲いた研究 その4人のうち南部陽一郎は米国籍を取得した合衆国国民であって日本人ではない(日本の国籍法は2重国籍を厳密に禁止し、外 国籍を取得すると同時に日本国籍を失うと明文で規定している)。物理学賞受賞の他2人、小林誠(KEK素粒子原子核研究所長) と益川敏英(京都産業大学教授)は日本人だが、素粒子理論の「対称性の破れ」の研究のリーダーが南部であることは明らかで、2 人も「南部さんの導きの下での研究」だったことを認めている。 化学賞の下村脩(元米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員)も、米国の研究環境の下で開花した。 ◆「頭脳流出」組の受賞、喜ぶだけで良いのか? ノーベル賞の場合、あまりにも多いのが、米国に「頭脳流出」した日本人(ときには国籍でさえなく、日本生まれの人種としての 日本人というだけ)の受賞である。 こんなことで文部科学相が喜んでいるだけでいいのだろうか? せっかく優秀な素材であるはずの日本人が、米国の研究環境でな ければ開花しないということが証明されているだけではないか。 ◆日本の研究環境改善が急務 大学の閉鎖性・封建制などはずっと前から指摘されてきた。ボス教授にゴマをすらなければ教員として採用されない。生意気な人 間は排除される。20代での発想が「生命」といわれる理論物理学などの世界で、ボス教授支配は、致命的な欠陥であるらしい。 今回のノーベル賞など、日本は喜ぶべきではないケースだ。逆に日本の大学・研究所など、学術研究システム全体を改めるための きっかけにしなければならない。それなのに、ただただ「日本人の受賞」というだけで喜んでいるのが、この馬鹿げた国なのだ。 ◆あまりにひどい人種・血縁重視 21世紀の日本は、後世の歴史で、古今東西稀な血縁重視社会だったと記録されるのではないか。親や祖父の七光だけで、本人に 何の実績・力量がなくても首相になれる。「日本人の受賞」なら無条件に喜ぶ。相撲でも駅伝でも、活躍する「外国人」は排除しよ うとする。 こんなまま続けていけば、まもなく滅びる運命だろう。



