2008/05/10
空気を読まない 兄貴分の余裕を失った(?)日本-長野聖火リレーの論評から感じたこと
「KY(空気が読めない)」というイヤな言葉が流行っている。 なぜ空気を読まなければならないのか? 理由はない。 みんなが同調してつくる「空気」などほとんど間違っている。 意識的に空気を読まず、空気に異議申し立てをする必要がある。 この論評は「市民の市民による市民のためのメディア」インターネット新聞JanJanに4月28日付で掲載されたものです。 JanJanで読むなら http://www.news.janjan.jp/column/0804/0804275909/1.php JanJanでのコラムタイトルは【大気圏外】です。次行のリストページからバックナンバーが読めます。 http://www.news.janjan.jp/column/taikikengai/taikikengai.php 長野で行われた聖火リレーは、まあこんなものだろうという印象だった。死傷者が出るような極端な混乱が起きたり、逆に何も起 こらず整然と終わったりしたら、その方がおかしい。しかし、メディアの論調は漢民族ナショナリズム批判の大合唱で、中国への対 抗意識むき出しだ。アジアの弟分の韓国や中国に追い抜かれる焦燥感からかも知れない。兄貴分の目で見る余裕が欲しい。 ◆長野の情景=「こんなものか」という印象 26日、長野で行われた聖火リレー。テレビニュースを見ながら、まあこんなものだろうと思った。中国人の9割以上を占めると いわれる漢民族にとって、北京五輪は「世界の大国」に飛躍したことを示す巨大セレモニーである。中国の国旗・五星紅旗を持って 歓迎しようという人たちが多かったのは当然だろう。 日本にもチベット民族の人たちはいるのだし、抑圧されているチベット民族にシンパシーを感じる日本人もいる。聖火リレーその ものを妨害しようとして逮捕された人もいた。また起終点や沿道が小競り合いの場になってしまった。 テレビは、それが「異常だ」と言い立てるが、チベットで「暴動」が起きており、それについて世界各国でさまざまな反応がある 。それがはね返って中国国内でも、フランス製品ボイコットやカルフール(フランス資本のスーパーマーケット)襲撃などの動きが あった。隣国日本で何も起こらずに、整然とした聖火リレーになったとしたら、その方がおかしいのではなかろうか? ◆極端な事態は避けられた 聖火が消えるような事態が起きたり、あるいは小競り合いがエスカレートして重傷者や死者が出るといった極端なことはない方が いい。その逆の極端な事態が、何もない整然としたリレーであろう。 つまり26日長野で起きた事態は、「いいかげん」だったと思うのである。「日本国語大辞典」(小学館)によると、「いい加減 」の第1義は「ちょうど良い程度。適度」となっている。第2義として「かなりの程度であるさま」となる。「もういいかげんにし なよ」などと使う。「無責任で投げやり」などに結びつく「徹底しないさま」は第3義となっている。 世間はいろいろだから、中国によるチベット弾圧を理由に「北京五輪を無事にやらせてはいけない」と考える人もいるだろう。あ るいは「スポーツなのだから政治と切り離せ。整然としなければダメだ」という人もいる。それぞれの立場の人が意思表示できて、 全体として「いいかげん」であれば、いちばん良いと思うのだ。 ◆朝日新聞を見てびっくり しかし27日の朝日新聞朝刊を見てびっくりした。 1面トップに<聖火リレー 燃え広がる愛国心、冷める世界> という記事が掲載されている。2面にまで続いている巨大な記事 だ。 社説は、<北京五輪―長野のリレーは済んだが>である。 天声人語のテーマも聖火リレー。 ◆産経がよく似た紙面 朝日の紙面の印象は産経によく似ている。産経もまた、1面トップに<紅旗が長野埋めた>という大見出しの記事を据え、五星紅 旗がひるがえる写真を使っている。 「主張」も<長野聖火リレー まるで中国の“五輪独占”>だった。 1面コラム「産経抄」も加えると、朝日と同じ「3点セット」ということになる。 もっとも産経の場合は、2、3、5、6、20、26、27面を「長野聖火リレー」でつくっている。その各面に掲載された記事 はなんと18本もあった。 ◆中国も「並みの国」 北京五輪であおられている漢民族ナショナリズムを批判的に見るのはおおいに結構と、いちおうは言える。しかし少なくとも19 36年のベルリン五輪以後、オリンピックは「民族の祭典」になった。その後のオリンピックは、例外なく国家権力が利用した。そ の事実を覆い隠して、中国だけが漢民族ナショナリズムを煽っているかのように書くのは、卑劣な世論誘導だといえる。これまで起 きている事態については「中国も並みの国だ」という論評が正確なのだ。 ◆ヒトラーがつくった「民族の祭典」 1936年のベルリン五輪を主宰したのは、ナチスの独裁者ヒトラーだったのだが、ヒトラーはもともとスポーツ嫌いだった。「 優秀なアーリア人」を堕落させるものとして、スポーツ、セックス、スクリーン(映画)の3Sを挙げていたのである。競技だから 、アーリア人が黒人など「劣等民族」に負ける場面もあるはずで、それも我慢ならなかった。 しかしゲッベルス宣伝相の説得で、国威発揚の場としてベルリン五輪を利用することを決断した。当時としては、世界に類例のな い10万席のスタジアムと、50万人収容の隣接広場をつくった。 五輪ムードを盛り上げるために考案されたのが聖火リレーだった。ギリシャ・オリンピアとベルリンの間、3,000キロを結ぶ 道路を、トーチを掲げたランナーたちが走り抜いた。 このリレーはラジオで中継された。ベルリン五輪そのものについては女性監督レニ・リーフェンシュタールによる記録映画「民族 の祭典」が史上初めてつくられた。ヒトラーのベルリン五輪は、最初の「メディアの祭典」ともなった。 ◆ギリシャとドイツを結んだ意味 聖火リレーにはヒトラー流の「民族学説」も込められていた。西欧文明発祥の地であるギリシャの正統後継者はアーリア人の国・ ドイツだという自己主張である。遺跡発掘などによってギリシャ文明のハイレベルぶりが明らかになり、当時はギリシャブームだっ た。 このナチス流民族学説には無理があった。ナチスの描くアーリア人の典型は、金髪に青い目で、黒髪のギリシャ人とは似ても似つ かない。しかし、ナチス一流の説明が用意された。「古代ギリシャ人は金髪に青い目だったが、その後、何世紀もの間劣等種族と交 わったせいで、黒髪になってしまった」。もちろん、全くのデタラメである。 聖火リレーには裏の意味もあったとされる。ヒトラーのドイツはそのコースについて徹底的な事前調査を行った。5年後の194 1年4月、ドイツ陸軍は、聖火リレーコースを逆走して、ユーゴ、ギリシャ両国を侵略した。「聖火リレーコース事前調査は、侵略 ルートの下見だった」というのが軍事史家たちの共通見解だ。 ◆東京五輪の政治経済学 オリンピックにはいつも政治的意味がつきまとう。1964年の東京五輪は、敗戦国だった日本が国際社会に復帰したことを示す 祭典となった。IOC(国際オリンピック委員会)で東京開催が決定したのは、59年5月。デトロイト、ウィーン、ブリュッセル を抑えて、アジアで初めての開催となった。 当時の岸信介首相は「東京でオリンピックを開くことは、国民多年の念願。成功させるため、全力を挙げて努力していきたい」と 決意を述べた。東京都知事・東龍太郎は公約の一つに五輪開催を掲げて、1カ月前に当選したばかり。「日本の国際的地位を高め、 世界各国の期待にこたえるよう努力する」と喜色満面だった。 五輪開催は高度経済成長を促進した。翌6月、道路、駐車場、宿舎、観光施設などを総合的に整備するため、閣僚懇談会が設けら れ、首都高速道路公団が発足した。東海道新幹線は一足早く4月にクワ入れ式を行っていた。 東京五輪の総予算は約1兆800億円。58(昭和33)年から7年に及ぶものだったが、64年の国家予算が約3兆3,400 億円だから、国家予算の半分を費やしたことになる。うち9,600億円は間接事業費、首都高速をはじめとする道路整備、新幹線 建設費、地下鉄整備など都市整備に注がれた。 ◆日の丸が振られた聖火リレー 東京オリンピックの聖火は沖縄を回った後、4つのコースに分かれて全都道府県を回った。聖火を持つ正走者に、1チーム20人 ほどの随走者を加え、リレー参加者は約10万人にも上った。聖火リレーは全国至るところで「歓迎」され、沿道の市民たちは日の 丸の小旗を振って出迎えた。 ランナーの中心になったのは、無名の高校生たち。いまから考えると「団塊の世代」の若者だった。最終ランナーは坂井義則(よ しのり)で、ヒロシマ被爆の日、1945年8月6日、広島県三次(みよし)市に生まれた。当時、早大競走部の1年生。原爆投下 の日に広島に生まれた「原爆っ子」だからこそ選ばれたのである。被爆の国・日本が復興を遂げた歴史の、生きた象徴に祭り上げら れたのである。 ◆「東京」を追いかけるソウルと北京 アジアのオリンピックは「東京」がモデルとなり、88年のソウルも、今年の北京も、ともに「経済成長の成果」のデモンストレ ーションとなっている。 北京五輪について中国は、「歴史上最出色的奥林匹克運動会」を目標に掲げた。「歴史上最も目立つ大会」という意味である。聖 火リレーでは世界最高峰のチョモランマ(英名エベレスト、8,848m)を越える壮大な計画で、他のどの国にもまねは出来ない。 これを「やり過ぎだ」と非難するのは易しい。しかしアヘン戦争(1840〜42年)での敗北以来、西欧列強と日本の植民地主 義に国土をズタズタにされた屈辱の歴史が中国の近現代史なのだ。やり過ぎるほどのことをやって、世界に「中国の時代」を印象づ けたいという国民感情は理解すべきだろう。 チベットや新疆ウイグル自治区など少数民族支配について、漢民族の「責任」を問うのは無理がある。中国の王朝が、少数民族の 居住地域まで支配するようになったのは、元(1271〜1368)の時代からのことである。いうまでもなく元は、モンゴル帝国 第5代皇帝フビライが建てた中国王朝である。他民族を支配し、国土を膨張させることを目指し続けたモンゴル族の「遺産」によっ て、中国の国土が成立したといえる。 ◆日本から消えた(?)兄貴分の余裕 聖火リレーをめぐるメディアの論調を見ると、東アジアでいち早く近代化を成し遂げた日本が、兄貴分の余裕を持った目で、弟分 の韓国や中国を見ているという印象はない。弟分に追い抜かれるという焦燥感があるのでは? と思えるほど、対抗意識むき出しな のである。 北京五輪開幕まであと100日だそうだ。五輪開催のときにどうなっているか、にも注目していきたい。


