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2008/07/30

Cosmy/子供ステーション No.38

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 Cosmy☆コズミィ/子供ステーション  No.38    2008.07.30
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我慢の限界


今年に入り、自分に関わりのある身近な場所で無差別な殺傷事件が
起こりました。しかも二件も立て続けに。

ひとつは3月、ぼくの自宅から車で僅か15分ほどの駅構内で起きた
「土浦通り魔事件」。事件当日自分はまさにこの路線を利用していました
ので、現場に出くわした可能性は十分にあります。もうひとつの事件は
まだまだ記憶に新しい、6月の「秋葉原通り魔事件」。東京の秋葉原は
工作部品を買い出しに度々訪れる街で、現場付近はよく歩いています。

いずれも、わずか24〜25歳の人間の犯行です。
呼応するかのように、ここ最近は若い人の犯行による傷害や殺傷事件が
頻発しており、犯人のなかにはまだ十代のこども達もいます。

   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★

「誰でもよかった」
「昔から恨みがあった」
「親を困らせてやりたかった」
「人を殺せば目立つと思った」

なんとも虚しくなるような理由が毎日のように報道されます。
そして、こんな事件がほんとうに身近に起こる世の中になってきたことに、
恐怖や無念さを強く感じます。

どうしてこんな世になってきたのか…事件のニュースを耳にする度に
考え込みます。ちょうどいま、多くの若者…あかちゃんから高校生くらい
までまんべんなく向き合う仕事をしていますので、若い世代の変化が肌を
通して感じられます。少し歳を重ねた(ぼくのような)世代の子ども時代と
比べて、確かに変わったと思えることが多いです。それらの全てが事件の
引き金になっているなどとは言えませんが、思い当たることはいくつか
あります。


そんななか、いちばん大きく感じるのは「辛抱強さ」の欠如です。
何かを辛く感じることは大昔からあったことでしょうし、小さな子ほど
辛いことが我慢できないのは、時代の影響をそんなに受けないでしょう。
ところが、「どこまで耐えられるか」「どれだけ苦痛を受け流せるか」
という、いわば個人個人の「生きる技」は、時代と共に大きく失われて
いる気がします。

どうしてそうなるかというと、「労せずしてなんでも叶う時代になりつつ
ある」という社会変化が挙げられるでしょうか。階段を上らなくても、
エスカレーターやエレベーターがあります。ボタンひとつで冷房も暖房も
できます。自分の部屋に高度に発達したゲーム機やケイタイ、パソコンが
あるので、図書館に行って重い本を借りてきたり、友達と面と向かって
複雑な人間関係を模索しなくても生きられます。お金があればコンビニや
ファストフードですぐ食糧や日用品が手に入り、そのお金さえも、元気に
長生きしている親のすねをかじればいいわけです。成人したら何が何でも
独り立ちして働き、良い人間関係を築いて一家を支えるんだという立場の
若者(少なくともそう意識している人)なんて、ほとんどいないのでは
ないでしょうか。

必要に迫られるまではやらないから、いざ急に環境が変わったら、
「階段登るの面倒くさい」とか「暑い」「寒い」となり、「それを解決
する努力すら面倒くさい」となりますし、必需品と化したケイタイを
取り上げられたら「親を殺す」となってしまいます。農家の苦労も
知らないまま、自分で料理ひとつもしないまま、コンビニ弁当生活で
半分は食べずに捨てる、といったことも起こります。


あるいは「意図して若者に苦労させることをしなくなった」とも言えま
しょうか。甘やかしの社会を作っているのは若者達本人ではないですから、
親世代、そして社会を支えている中高年世代全体の責任とも言えます。
「我が子可愛や」が、いつの間にか「ただの甘やかし」に変貌している
ことに気がつきませんと、それに慣れたこども達はそれが「当たり前」に
思ってしまいます。すると、ほんの僅かに環境が崩れただけで我慢が
できなくなってしまうでしょう。

全てのこども達がそうだなんて言いませんが、現在のかなりのこどもたちが
辛抱できなくなってきているのは、実際にこどもたちと向き合ってみれば
すぐ分かることです。それどころか親世代も我慢することに不慣れな方々が
増えつつあることも確かなようです。

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我慢をすることが、かならずしも良いとばかりは言えません。
時には主張することも必要だし、人を傷つけるような人間に対しても
我慢し続けることが良いとは限らないでしょう。結局は個人のストレスと
その放出とのバランスなのですから、どこかで、何らかの方法で怒りや
悲しみなどを我慢から解き放ってあげなくてはなりませんからね。

価値観なんて人それぞれですから、善と悪ではなく、善同士がぶつかり合う
こともしょっちゅうです。ただ、ひとりひとりが生きる技として、うまく
我慢したり、自分の中でわき起こる怒りや自己主張を受け流す、あるいは
別の方法で昇華することができませんと、日常のあらゆる場面でトラブルが
発生することになりませんか?

大事なのは「自分はこれがよいと思う」=「主張して良い」とは限らない
ところです。時として自分の思いは胸にしまい、相手を立てることも大切
ではないでしょうか。欧米文化に飲み込まれた日本では、現在「自分の人生
なんだから、自分のためだけに活かせばよいのだ」という風潮のようですが、
ぼくはここにものすごい違和感を感じます。譲り合う文化…少しずつ我慢し、
なるべく多くの人が幸せになる世の中の作り方が壊れつつある気がするの
です。いささか極論ですが、「親が憎い」→「むしゃくしゃする」→
「恨みを晴らす」→「だれかを殺して良い」などというストレートな自己
主張は、怒りの矛先になる人々の人生の幸せまで思い及んでないから、
「単なるターゲット」になってしまうのではないでしょうか。
こんな事件が起こる度に、その人の子ども時代の「辛抱人生の経験不足」を
気にしてしまいます。

あまりある広い心で人や世の中に接することができるようになるには、
かなり幼少の頃から、穏やかに、辛抱強く、周りをよく見て判断できる
ような性格が育つ環境、子ども自身がそれをトレーニングできる環境を、
親や先生が用意してあげないといけないんだと強く感じます。ぼく自身の
感じでは、十代になってからではもう遅いような気がするのです。

詰め込まれた知識だけで生きていけるほど、人間の道は簡単ではないと
思うのです。困難や苦痛という石ころにつまずいて転んだとき、その
惨めさや痛さに耐えきれず、何も考えずに即座に周囲に当たり散らす…
そんなに我慢の限界が低すぎる人ばかりでは、無意味な殺傷がますます
増える世に成り果てるでしょう。

                        (みゃお)

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   発行:Cosmy☆コズミィ 
    宇宙・地球・人間を考えるメールマガジン
     ◎星空セラピー<21410> ◎子供ステーション<21419>
     ◎恋愛を見つめて<21418> ◎生命の泉<23813>
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     ☆姉妹サイト ほんのり光房
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