2003/01/30
Cosmy/子供ステーション No.27
★=============================== Cosmy☆コズミィ/子供ステーション No.27 2003.01.30 ===============================★ キモチ 人は「好き」とか「嫌い」とか、あるいはもっと複雑な気持ちを たくさん持ち合わせていますね。それは幼少の頃からそうでしょうし、 命が尽きるときなど、自分でも理解できないほど複雑に絡んだ気持ちを 抱いているのだと思います。 小さい頃から心に芽生える、この「気持ち」という不思議な力。 人は気持ちが傾くほうへ、まるで背中を押されているように歩みます。 初めは意識して。次第に無意識に。 どんな気持ちを抱くかで、人の行く方向が左右されているようです。 ところで、私たちの周りにある様々なモノ、例えば動物や植物、 家具や小物や衣類や道具、本、食べ物・・・そういう中に 「気持ち」はあるでしょうか。 「そんな非科学的な・・・」。そうおっしゃる方は多いことでしょう。 もちろん、生物化学的に「気持ち」と呼べる神経反応があるのか、という お話しをしたいのではありません。また「擬人化」したらどうかという、 文学表現のお話しでもありません。 「動植物にはあるかも知れないけど、それ以外にはないでしょう」と おっしゃる方もいますね。「この服、捨てられるのを嫌がってる」などと しょっちゅう言う方もおります。 対象が人であれ、生物であれ、モノであれ、そこから受ける「感じ」を、 気持ちとして捉えてみることは可能かも知れません。現に多くの人が、 動植物の気持ちとか、モノの気持ちとかを、心の中で代弁し、ご自身の 行動の判断材料にしているのではないでしょうか。 それが本当にそのモノの気持ちかどうかは別にしても。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 昨年、とある小学校でゲストティーチャーとして、6年生の 「総合学習」の授業をしたときのこと。 当初「科学的な内容」との学校側の要望でしたが、色々と相談を進め、 「せっかくの総合ですから、<理科>に限定しないで行いませんか?」と お話しをして、快く了解していただきました。義務教育の過程で既に、 分野という壁を作って授業が進むのには、かなり抵抗があったのです。 いくら社会の需要がそうだとは言え、「世の中のあらゆる物事は 互いに関係している」ということを、十分に子どもたちへ伝える時間が 現在の授業構成に見当たらないのは実に不思議です。 もちろん先生方が意図すれば、現在の授業の中で教えられるのでしょう。 でも残念なことに、何人もの先生に伺っても「授業と行事をこなすので 手一杯」とのお返事がほとんど。何かいちばん大切なことを、 日本の学校は見落としている気がずっとしておりました。 授業は2コマ分(全体で約1時間半)行いました。その間、講義ではなく、 様々な対象を引き合いにして、観察したり、触ったり、匂いをかいだり、 音を聞きながら、それがどんな気持ちだと思えるのかを探りました。 最終的には「地球のキモチ」を見つけようという内容です。 窓辺を飾る観葉植物は、どんな気持ち? グラウンドを歩く蟻は? 水草が生え、メダカが泳ぐ池の水はどう? 枯れて今にも枝から落ちそうな葉は? 最初は、風変わりな授業に戸惑っていた子供たちも、考えるコツや着眼点が 分ってくると、いろいろな答えを返してくれました。こちらから対象を指定 しなくても、自分であれこれ考え進めてくれた生徒さんもいましたね。 そんな答えは、たいていまとまりがありません。ひとつの「キモチ」に 集約されることはないのです。当然です。それでいいのです。 花瓶にあったバラの花。 本当はどこに咲いていたのでしょう? 刃物で切られて痛くなかったでしょうか? 一緒に咲いていた仲間と離れて悲しくないでしょうか? 枯れる前に教室に飾られて、役に立てたと思っているでしょうか? それともこんな目に遭うのはコリゴリと思っているでしょうか? 気持ちを知るには、シャーロック・ホームズ並のつぶさな観察が必要です。 ふつう観察とは、客観性のある情報(気温、湿度、明るさ、色など…)を、 科学的な手段で詳細に得ることを言います。でもこの授業の場合、 それだけに留まる訳にはいきません。絶対に計れないもの、例えば、 そのモノがここにたどり着くまでどんな状況だったのか、想像・推理する ことも必要です。過去はもう再現できませんから、「実際にどうだったか」 を知ることは不可能でしょう。ですから想像は人ごとに異なります。 しつこいようですが、もちろん「気持ち」と言っても、本当にそのものが そう思っているのかどうかは絶対に分かりません。生物のように何か反応を 返すのならともかく、無機的な「モノ」では、ますます分からないでしょう。 全てを見切ることは不可能ですから、その子が捉えたことのみが根拠となり、 判断される「気持ち」は、極めて主観的で曖昧になります。 つまり「私はソレが、こう感じてると思う」となるのです。 それはいわば勝手な想像です。時には、自分に都合の良い結論と なるでしょう。まあ、「花の気持ち」くらいなら笑い話で終わるかも 知れません。ですがよくよく考えれば、これは人間が人間同士の 気持ちを真剣に考えるときだって同じことです。 人は皮膚に覆われて、そこから抜け出せません。想像や思想は大きく 広がりますが、自分以外ものに取って代わることはできない相談です。 だから肌を境にして得られる観察で、外界の物事を自力で判断し続けます。 生まれてから死ぬまで、それを続けるのですね。 その「観察」と「判断」が「気持ち」を生みます。 どんなに小さな子供でも、その気持ちが次の行動を決めてゆくでしょう。 「美味しい」と分かった食べ物は、食べ過ぎが良くないと分かっていても 「この食べ物は私に食べられたいと思ってる」となってゆくのです。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 悩む友人の力になりたいと、親身に相談にのることがあるでしょう。 では、草花や鳥や獣や、地面や空気や川や海の相談を、私たちは聞いて いるでしょうか。物言わぬモノたちに「悩みなどあるはずない」と 言い切るのは簡単ですから、知らん振りするのは容易なことです。 切られたバラの気持ちを「きっと痛かった」と考えた子は、 花を切らなくなるかも知れません。教室に飾られたバラの気持ちを 「役立ってよかったと思ってる」と想像した子は、たくさんの花を育て、 そのあとそれを全部切って人前に飾り、役立ててあげようとするかも 知れません。「分らない」と思った子は、なす術もないまま一生を 過ごすかも知れませんね。 アスファルトに覆われた地面はどうでしょうか? 次々に紙や鉛筆に変った木は? 生活排水を流されてる川や海はどう思っているでしょう? 排気のいっぱいたまった空気は何と言ってますか? ・・・それらを抱えている地球の気持ちは? そう聞かれたら、子供も大人も、頭の中だけで自分に都合よく想像して 答えるか、または「分らない」とはぐらかすことが実に多いようです。 前述の授業のように、耳を澄ませ、目を凝らし、手で触ってみて、 親身に考えてみることは、極めて少ないのではないでしょうか。 この問いに正解はありません。それでも子供達は懸命に「気持ち」の 答えを探してくれました。もちろんたくさんの答えがありました。 大人は、答えが出ないと知っているから、最初から答えを見出すことを 放棄しているのかもしれませんね。 みなさんの想像した「地球のキモチ」、とりわけ、これから大人になる 子供たちの「想像」の結果次第で、社会のたどる未来が決まります。 この授業が「まったく意味のない時間つぶし」ではなかったことを 願うばかりです。 (みゃお) ★========================= 発行:Cosmy☆コズミィ 宇宙・地球・人間を考えるメールマガジン ◎星空セラピー<21410> ◎子供ステーション<21419> ◎恋愛を見つめて<21418> ◎生命の泉<23813> ☆バックナンバー http://homepage1.nifty.com/cosmy/ ==========================★


