2001/12/16
Cosmy/子供ステーション No.24
★=============================== Cosmy☆コズミィ/子供ステーション No.24 2001.12.16 ===============================★ おまけ 先日ある方のお宅におじゃましたら、 そのお家の女の子が週間コミック雑誌の新刊を 大事そうに持ってきて、見せてくれました。 なんでもお母さんのお話しでは、 「初めて買ってあげた」んだそうです。 その子はテレビのアニメはもちろん見てますし、 漫画の単行本も読んではいましたが、 週間で出ている雑誌は初めてというわけです。 誰が見ても嬉しくて嬉しくてたまらない顔で、女の子は 漫画を読んでいましたが、なによりも楽しんでいたのは 「おまけ」の開封でした。折りしもクリスマスシーズン。 様々なグッズがクリスマスに彩られて、ひとつひとつ 袋に入っていました。それを、ぼくに見せてくれながら 「これはなあに?」と開けていくのです。 みるみる机はおまけでいっぱいになっていきました。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ おまけって、もともと付いていないものだけど、 サービスして付けちゃおうっていうもの。 最近の本やお菓子などはおまけ付き前提だったり、 おまけの値段を含む原価だったり、おまけが主役のものも 多くて、なんだか違う気もしますが、まあ何にしても 嬉しいものです。「ふろく」という言い方でも 親しまれていますよね。 「おまけ」は、子供心を大いにくすぐります。 定期雑誌ですと「次号ふろく予告!」なんていうものもあって、 「おまけ」に惹かれて次号を心待ちに待ってしまったりします。 もうここまでくると、ふろくがない「素」のものなど論外、 従って「おまけ」のありがたみも減るのでしょう。 でも、こう考えるのは損得勘定に毒された「オトナ」の思い込み かも知れません。 そもそもオトナも「おまけ」?に引きづられて生活していますよね。 少し遠いお店でもバーゲンなら出かけていったり、 同じ値段なら量が多いとか懸賞が付いているほうを買ったり。 あるいは本屋に積んである本を下のほうから取ったり 牛乳を手前でなく棚の奥から取ったりするのも、 選ばなかったものに比べて何らかの「得」を期待してるわけです。 そういう目でバーゲン会場を見ていたことがあって、 そりゃもういろいろな心が渦を巻いていて・・・ 具合が悪くなってしまいました。 お話しを戻しましょう。 女の子が広げていたおまけを見てみますと、ちっちゃなシールや 紙で作るクリスマスケーキ、缶バッジなど様々。どこかに暮らしている この本の編者の方たちが子供たちを思って考えてくださったのでしょう。 オトナが見ればささやかでどうでもいいようなものだけど、 子供にとっては宝物。食べられない紙のケーキを前に たくさんの想像がふくらむし、小さなシールをお気に入りの場所に 貼って遊べます。お母さん、お父さんは「そんなくだらんことするな」 って叱るかも知れないけれど。 日本では諸外国に比べてぬいぐるみなどの玩具から離される年齢が とても低いと聞きます。子供たちにとって大切な友達や宝である ぬいぐるみや玩具を「早く諦めさせる」ことがオトナになることという 親の思い込みが強いのでしょう。 そんな背景は、小さなものを大切にしたり、モノと自分の つながりを自力で見出したりする力をはぎ取ってしまうようです。 子供たちはささやかなぬいぐるみを真の友のように思って おつき合いしています。「おまけ」もオトナの「お金」以上に大事です。 それを親は「大切にしなくていい」と言ってしまっているのです。 年齢が上がり、やがてそれらがただのオモチャに過ぎないと悟っても、 子供たちはそれがオトナから自分たちへの真心だったと気付いてくれる かも知れません。そう気付けた子は、大きくなってお母さん、お父さんに なったら、今度は自分たちが心を伝える側になったと、 きちんと理解できることでしょう。 願わくば、「売れるから」という理由でなく、本当に子供たちを 思って作られた「おまけ」であってほしいものです。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 小学の頃に、紙の切れ端を大事にしている友達がいました。 親の仕事の関係で、無地の紙の切れ端が大量にあったのだそうです。 メモ用紙にもならないようなものでしたが、彼と遊ぶ度に、 その紙に絵を描いたり、切り刻んだり、折ったり貼ったりしていたことを 思い出します。そうやってぼくらは何かを学んでいたのでしょう。 製品のついでに出てしまう排紙すら、子供には面白い遊び道具。 引き出しやベッドや鞄の中、そして親も知らない秘密基地で ソレは大切にされているんですね。 でも今は、モノが大量生産消費される時代。 どうでもいいような雑誌の「おまけ」を大切にしていた子供が、 オトナになるどこかの過程で、その心を忘れてしまうのです。 いったいそれはいつなんでしょう?なぜなんでしょう? 目に見えるものですら、そうなんです。そんなことが進んでいけば、 形すらない他人の小さな心遣いとか気配りのようなもの、あるいは 足下にある小さな命、自分と直接関係のない他人などはどうなるでしょう。 「どうでもいいもの」「通り過ぎていくもの」そして「消費するもの」 「見捨てていいもの」と思うことが当たり前の世にならないでしょうか。 おまけで付いていたプラスチックのビーズを一粒テーブルから 落としてしまった女の子は、一生懸命に床を探していました。 ようやく見つけたその子の顔といったら。 (みゃお) ★========================= 発行:Cosmy☆コズミィ 宇宙・地球・人間を考えるメールマガジン ◎星空セラピー<21410> ◎子供ステーション<21419> ◎恋愛を見つめて<21418> ◎生命の泉<23813> ☆バックナンバー http://homepage1.nifty.com/cosmy/ ==========================★


