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2008/10/11

宮沢賢治 Kenji Review 503

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Kenji Review 503
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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第503号--2008.10.11------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「書簡(1933年)3」「客を停める」

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ブログ毎日?更新中
http://www.kenji.ne.jp/blog/
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--〔話題〕--------------------------------------------------
「書簡(1933年)3」
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 1933年3月の書簡を掲載します。この年の3月は三陸地方を大津
波が襲っています。

 その後、私の子供のころに「チリ津波」もありました。今では被
害を受けた村は崖の上に移っているところが多いのだそうです。

 大恐慌以来の不況、度重なる凶作、そして自然災害となんとも多
難な時代でした。

 東北採石工場の経営もそんな中,苦戦を続けていました。金策へ
の応対などの書簡もありますが、次第に賢治と東北採石工場の距離
が開いていくような印象があります。

 病気で寝ている賢治には、どうしようもないことだったのでしょ
う。父政次郎の商売もいろいろと大変だったようです。

 作品の発表はいくつかありました。「天才人」に「朝に就ての童
話的構図」を発表しています。

 また、「現代童話名作選」が発行され、上巻に「北守将軍と三人
兄弟の医者」、下巻に「グスコープドリの伝記」が掲載されました。
これは以前に「児童文学」に掲載していたものの紙型を利用したも
のだそうです。

 活字印刷では、組んだ活字でそのまま印刷しません。少部数では
ともかく、すぐに活字がすり減ってしまうからです。また活字は再
利用を前提としますので、いったん組んだ版を保存しておくことも
難しくなります。

 そこで、活字を組んだもので紙で型をとります。この紙型に鉛を
流し込んで刷版と呼ばれる鉛版を作り、それで印刷するわけです。

 この紙型を保存しておけば、再版時にもそのまま使えます。また、
他の書籍に流用することもできます。

 賢治の死後、最初に発行された文圃堂版全集の紙型が他の版元に
売られ、十字屋書店版の全集が作られたりしています。

 石川善助の遺稿を出版する話もあり、病床でようやく、作家らし
い活動もできるようになったのかなあ、などと思います。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

石川善助と宮沢賢治のつながり
http://www.designroomrune.com/magome/a-o/ishikawa/ishikawa.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 大正14年のたぶんクリスマスイブの日に、石川善助(24)は、森
佐一を介して当時まだ無名だった宮沢賢治(29)と会っている。二
人は文学の話はあまりせず、座敷童の話などで盛り上がったという。
二人は共通して座敷童の不思議な体験もっていた。実際に顔を合わ
せたのは、この時と7年後の昭和7年のおそらく2回だが、始めて
会ってから石川善助は宮沢賢治を絶賛するようになり、また二人は
雑誌や手紙を交わしあって親交を深める。宮沢賢治を童話の世界に
導いたのは石川善助だったともいわれている。

 石川善助の死後、宮沢賢治は石川善助の作品集の発行に心をくだ
き、『鴉射亭随筆』ができたときは、感激のあまり手にとって号泣
したという。『鴉射亭随筆』に寄せた宮沢賢治の弔慰文は以下のと
おりである(一部省略)。

 石川さんを失つてすでに百日を経た。

  いまはもう東京の夜の光の澱も、北日本を覆ふ雨の雲
も、曾つてこの人が情熱と憤懣を載せて、その上を奔つ
た北太平洋もみなこの詩人の墓となつた。そこでは分つ
ことも割ることもいらない、たゞ洞然たる真空の構成、
永久の墳墓、永久の故郷である。しかもこの詩人の墓銘
はうつくしい。一頃に七度衣を更へる水平線も、仙台の
町裏の暮あいに、円く手をつないで唱ふ童子らの声も、
凡そこの人が高邁の眉をあげた処、清澄の心耳を停めた
処、そこにわれらはこの人の墓銘を読む。

※宮沢賢治はこれを書いた時すでに病に臥おり、翌年には彼も他界
してしまった。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

三陸大津波―昭和八年三陸大海嘯
http://blog.goo.ne.jp/goojuly/m/200506

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 さて、明治29年の三陸大津波の記憶も、まだ薄らいでいない昭
和8年3月3日午前2時31分、再び三陸地方を大津波が襲った。
死者1400名余り、行方不明1262名と、またもや甚大な被害
を蒙った。釜石付近が最も被害が大きく、気仙郡内では唐丹(とに)
綾里(りょうり)、吉浜、広田、越喜来(おっきらい)赤崎などの
被害が大きかった。

 津波調査に当った東北大学助教授林喬博士の報告によると、岩手
県北の久慈から県南広田にいたる港湾の地質は古生層で岩質が硬く、
港湾が深く両壁は直立した岩壁で津波の被害が大きくなる。一方、
青森、宮城の海岸の地層は中生代で岩質は軟らかいため、津波の被
害は岩手に比較し少ないという。

 この後さらに、昭和35年、いわゆるチリ津波が三陸を襲う。

 近世以来の歴史を顧みれば、百年に二度ないし三度、三陸地方は
津波被害に遭っている。近い将来、津波に襲われる可能性が高いと
いうことを、住民は感覚的に理解している。

 しかし、津波に襲われる地域の自然は何故こうも、美しいのであ
ろうか。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔書簡〕--------------------------------------------------

[459] 1933年3月7日 母木光あて 封書

(表)岩手県御所村上南畑 母木光様
(裏)三月七日 花巻町 宮沢賢治

お手紙まことにありがたく拝誦いたしました。 

石川さんの詩集は吉田一穂さんが「新詩論」の編輯所から三月一日
に発刊するやうな模様でしたが、まだ出ませんやうです。ほかに随
筆類を錫木碧氏等で集められたとのことですがこちらはどうなりま
したか、石川さんも去年夏にはあなたの方へも行かれる考だったの
でせうが、あゝいふことになってしまって何ともどうもいまだに考
がまとまりません。 

当地方も同じく陰気な非常時の冬でした。毎日何にもつかない僅か
ばかりの仕事をしてこの数ヶ月を渉りました。早く暖かくなって少
しは外も歩けるやうにとばかり考へて居ります。「詩人時代」には
あなたは前は盛んにお出しになったでせうが、もっといかゞですか。
佐藤一英さんの「童話文学」二輯まででてあと話をきゝませんがや
っぱり少部数では間に合はないのでせう。童話も全く行き詰りのや
うです。こゝを突破して一つ新生面をお開きください。御地のやう
な場所では自然への精密な観察は新らしい童話の資源だらうと存じ
ます。明日あたり本を何かお送りいたしたいと思ひますが、もしご
不用の品でしたらそちらで適宜ご処置ねがひあげます。私も一昨年
以来殆んど勉強もできで弱りきって居ります。 

   三月七日                 宮沢賢治
  母木 光様

 薬草のご研究いかゞですか。県農会の小原忠君を序での節にお訪
ね下すったら何かご便利があると思ひます。

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 石川善助の随筆は『鴉射亭随筆』としてこの年の6月に刊行され
ています。「童話文学」は「児童文学」の誤りです。これはずっと
間違って覚えていたようです。

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[469](1933年3月13日)鈴木東藏あて 葉書

(表)東磐井郡 陸中松川駅前 鈴木藤三様
   十三日 花巻町 宮沢賢治

拝復 貴簡拝誦、十屯御送附の件正に承知仕候。今回は代金六十六
円六十銭より御詞通りセメント袋(前回残分百今日送上三百)代金
十円丈け仕払致し残金五十六円六十銭御送可申上、右送金方法御指
定被成下度候。尚従来共当地倉庫渡しにて俵四十二銭に致し居り右
併せて御承知願上候                  敬具

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 東北採石工場の荷物を受け取り、送金すると言っています。結局、
こうしたつきあいはずっとあったようです。

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[461] 1933年3月15日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

   三月十五日

拝復 十四日発貴簡拝誦、並に御送品接手仕候
扨て

   記

  入金  九拾円拾弐銭  石灰百四十、飼料廿、携粉十代金
     出金拾円     昭和六年御立替分中入
      金拾円     セメント袋四百代金
      金九拾銭    電報為替料
  差引金 六拾九円弐拾弐銭の処
         金七拾円 只今電送申上候間御査収被成下度候

宮城県の注文参り居り候乎、秋田県山内村農会等へも今一度御宣伝
被成下度候
                    先は右御報迄 敬具

  鈴木藤三様                   宮沢賢治

  尚 昭和六年よりの計算書、近日中に御送附致し、右受取等整
理致し度存居候

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 前の葉書に続いて、送金の計算書です。東北採石工場へは宮沢家
からたびたび用立てていましたが、父政次郎が管理していたため、
きちんと請求もしていたようです。

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[462] 1933年3月18日 鈴木東藏あて 葉書

(表)東磐井郡 陸中松川駅前 鈴木藤三様
   三月十八日 花巻町 宮沢賢治

拝復

セメント袋今夕造に五百蒐集御送可申上候へ共それ以上は差当り見
当無之候間貴方にても更に御手配奉願候
                           敬具

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 セメント袋の中古を買い集めて、石灰の袋にしていたようです。
昔はこうしたリサイクルが当たり前だったのです。

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[463] 1933年3月20日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝復

十九日附貴簡正に拝誦、御文面の趣父へ申出候処、何分此の様の場
合にて、商店の取引の如きも従来の取引先さへ尚現金勘定を以てす
るの一般慣習と相成候現状なれぱ、御立場は重々承知乍らも、到底
未面識の所との文面取引は見込立たざる次第との事に有之、誠にお
気の毒乍ら今回は貴意に副ひ兼ね候間、証券同封御返送申上候儀、
何卒不悪御諒察奉願候。

尚セメント袋の方は四百枚今朝発送申上候間貴着御査収被成下度候。

                           敬具
   三月廿日

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 東北採石工場から手形でも送ってきたのでしょうか。換金を依頼
されたのをことわっています。不況でいずこも大変な時代でした。

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[464] 1933年3月26日 佐藤元勝あて 封書(封筒ナシ)

お手紙ありがたく拝誦いたしました。 

御老師並に皆々様いよいよご健勝の趣、市の川様より伺ひ上げ、何
とも力強く存じ居ります。私意久地なく疾んでばかり居りまして、
いろいろご心配を掛け上げお申し訳けもありません。 

悪念、外に発せざるもの、次第に集積敗爛してこの患をなしたるも
のかと、自ら呆れて笑ふこともあります。 

暖になりました。ご散策のお序など、お気の向いた節、商家で恐れ
入りますが、お立ち寄り下さらばまことに幸甚です。石橋氏ご一諸
も小生より望む処です。たゞ往来もさうですが病中何かに失礼もあ
ると存じますからその辺予めお伝へ置きねがひあげます。 

 まづは拝眉を期しながらご返事まで申しあげます。

  三月廿六日                   宮沢賢治

 佐藤元勝様
     硯北

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 佐藤元勝は花巻の長久寺(臨済宗)の住職です。宗派は違います
が親交があったようです。父佐藤祖林は長久寺で参禅会を開いてい
て、若い頃の賢治もよく参禅していました。市野川、石橋といった
人たちも佐藤との共通の友人です。

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[465] 1933年3月27日 澤里武治あて 封書(中身ナシ)

(表)上閉伊郡上郷村 沢里武治様
(裏)三月廿七日 花巻町 宮沢賢治

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 この封筒の中身かもしれないものが「不明12」として校本全集に
掲載されています。それには沢里が賢治宅を訪問したお礼が書かれ
ています。

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[466](1933年3月27日)鈴木東藏あて 葉書

(表)東磐井郡 陸中松川駅前 鈴木藤三様
   廿七日 花巻町 宮沢賢治

拝復 御申越の件何とも御尤に存上候へ共店の方矢張月末にて色々
金策致居の趣、来月中旬ともならぱ何とか致し得べきも何卒この度
は横屋の方にても御工夫願上度由再度迄貴意に副ひ兼ね甚小生も面
目無之候 先は取急ぎ御返事迄             敬具


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 前の書簡に続いて、東北採石工場の金策について断りを入れてい
ます。

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[467] 1933年3月30日 森佐一あて 封書

(表)盛岡市惣門 森惣一様 平安
(裏)三月卅日 花巻町豊沢町 宮沢賢治(封印)〆

「天才人」いたゞき、じつに、ぢくぢくと冷汗をながしました。ど
うも結局あなたに負けてしまひました。しかし病気のひしげた気持
ちを引き直してやらうといろいろなさるあなたのご好意がわからぬ
訳ではありません。お互ひいよいよしっかりやりませう。 

男のお子さんをお持ちになったとのことお芽出たう存じます。私の
うちではみんな女ばかりです。それでもなかなかみんな女のやうで
なく、いぢめられてゐます。 

昨夜叔父が来て金田一光の予審の証人に喚ばれたとのことで、何か
談して行きました。花巻では大正五年にちやうど今度の小さいやう
なものがあり、すっかり同じ情景をこれで二度見ます。易の

吉吝凶悔

 といふ原理面白く思ひます。みんなが「吉」だと思ってゐるとき
はすでに「吝」へ入ってゐてもう逆行は容易ではなく、「凶」を悲
しむときはすでに「悔」に属し、明日の清楚純情な福徳を約すると
いふ科学的にとてもいゝと思ひます。希って常に凶悔の間に身を処
するものは甚自在であると思ったりします。古風な点お笑ひ下すっ
てかまひません。 

同人の方々によろしく。まづは。

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 「吉吝凶悔」の部分は図になっています。サイト掲載時は図とし
て表示しています。校本全集に以下の紹介があります。

 いったん撤回した原稿を結局は書き直して送り、「朝に就ての童
話的構図」が掲載されてしまったので、「じつに、ぢくぢくと冷汗
をながしました。」ということになったのである。

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[468](1933年3月 あて先不明)下書

お葉書再度までありがたう存じます。地震は野原の方には被害なく
海岸は津波のため実に悲惨なことになってゐる

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 この年の3月に「三陸大海嘯」と呼ばれる強震がありました。書
かれているどおり、津波で大きな被害が出ています。死者千五百人
行方不明千百人と言いますから、非常に大きな被害でした。

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[469](1933年3月 あて先不明)下書

拝復

同級会御開催に就て御案内を賜はり寔に難有奉謝上候

久々にて各位に拝眉を得る次第参上致し度儀万々に御座候へ共何分
にも未だ辛く机にすがりて幾許の仕事致し居るのみの状態にて外出
には尚幾十日かを閲せざるべからざる

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 同窓会の案内に断りの手紙を書こうとしています。盛岡中学校か
盛岡高等農林かいずれかの同窓会でしょう。

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--〔作品〕--------------------------------------------------

三三三
     客を停める
                     一九二四、一一、五、

それではなんて帰るのか
まあ待ちたまへ
あすこの虹の門をくぐって、
凍った風をひといき吸へば
あとはもうあんなにまっ赤な山と谷
  ……こんもりと松のこもった岩の鐘……
どこから雨が落ちかぶさるかわからない
  ……電信ばしらも林の稜も
    つなみみたいに一度に鳴って
    虹はあらゆる毒剤よりも鮮らしく
    青いアークをそらいっぱいに張りわたす……
まあ掛けたまへ 掛けたまへったら
雨どこぢゃない氷だよ
どかたでそいつが落ちかぶさるかわかったもんか
  ……麦のはたけのまだうららかな緑の上を
    木の葉はまるで鼠のやうに
    ぐらぐら東へ流される……
まあもう少し掛けたまへ
ぢきにきれいな天気になるよ
シガーを一つあげるから
キャベヂで巻いたシガーをさ

【「三〇五 〔その洋傘だけでどうかなあ〕」下書稿(一)】

(『明滅する春と修羅』より「春と修羅」第二集 1928年初夏構想)
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--〔後記〕--------------------------------------------------

 この週末は月曜日まで休みということで、ちょっと遠出しようか
と考えています。そこで我が家のネコは一晩動物病院でお泊まり保
育です。

 先日、和歌山電鉄貴志川駅の、有名な「たま駅長」を見てきまし
た。とてもおとなしくてかわいい猫でした。我が家の乱暴猫も少し
修行に出さなければ…。

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--通巻--503号---------- e-mail why@kenji.ne.jp-- -----------
--発行--渡辺--宏------- URL    http://why.kenji.ne.jp/
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 購読者数827名です。ご購読ありがとうございます。
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私あてのメールのあて先は、
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私のホームページ(宮沢賢治童話館、全詩篇など)は
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