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2008/09/06

宮沢賢治 Kenji Review 498

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Kenji Review 498
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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第498号--2008.09.06------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「書簡(1932年)2」「夏幻想」

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ブログ毎日?更新中
http://www.kenji.ne.jp/blog/
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--〔話題〕--------------------------------------------------
「書簡(1932年)2」
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 1932年4月〜5月ころの手紙です。久々に森佐一、母木光、及川
四郎などの友人にあてた手紙が登場します。

 このころ、「岩手詩集」というアンソロジーが母木の手によって
出版されています。賢治は詩「早春独白」を送っています。

 この詩は「春と修羅・第二集」にあり、1924年3月30日の
日付がついています。8年も前の作品ですが、きっと直前まで手入
れしていたのでしょう。

 私たちが今知っている作品は、元の日付は若いころのものであっ
ても、案外賢治の最後の病床時代に手入れされたものが多いのだと
思います。

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

     早春独白

黒髪もぬれ荷縄〔になは〕もぬれて
やうやくあなたが車室に来れば
ひるの電燈は雪ぞらにつき
窓のガラスはわんやり湯気に曇ります
 ……青じろい磐のあかりと
   暗んで過ぎるひばのむら……
根もとの紅い萱でつくつた木炭〔すみ〕すごを
もう百枚もせなに負ひ
山の襞もけぶつて並び
堰堤〔だむ〕もごうごう激してゐる
岩岨道のみぞれのなかを
凍えて赤い両手を頬で暖めながら
この町行きの貨物列車にかけて来て
あなたはわづかに乗つたのでした
 ……雨はすきとほつてまつすぐに降り
   雪はしづかに舞ひおりる
   妖〔あや〕しい春のみぞれです……
みぞれにぬれてつつましやかにあなたが立てば
ひるの電燈は雪ぞらに燃え
ぼんやり曇る窓のこつちで
あなたは赤い捺染〔なつせん〕ネルの一きれを
エヂプト風にかつぎにします
 ……氷期〔ひやうき〕の巨きな吹雪の裔〔すゑ〕は
   ときどき町の瓦斯燈を侵して
   その住民を沈静にした……
わたくしの黒いしやつぽから
つめたくあかるい雫が降り
どんよりよどんだ雪ぐもの下に
黄いろなあかりを点じながら
電車はいつさんにはしります

掲載誌「岩手詩集」第一輯(1932年4月15日)

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

 暖かくなっても、まだ起き上がって外出したりするのは無理だっ
たようです。それでも母木光が訪ねてきたりしていますし、交友関
係は結構ありました。

 佐々木喜善にもまた会いたいというようなことを言っていますが、
残念ながら彼の再訪はありませんでした。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

光原社
http://ks-1013.hp.infoseek.co.jp/page068.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 「光原社」は、宮澤賢治が生前に出版した唯一の童話集「注文の
多い料理店」の出版社として知られています。

 創業者である及川四郎とは盛岡高等農林学校の同窓で、宮澤賢治
が一年先輩でした。

 及川四郎は卒業後協同経営の近藤善一と農林関係の出版社をおこ
しました。盛岡高等農林学校の教職についていた宮澤賢治が書いた
原稿を近藤善一が見て、及川四郎に相談をしました。及川四郎は原
稿をよく見ることもせずに「出そう」と、出版を決心したそうです。

 また、「光原社」という社名は宮澤賢治が命名したそうです。

 光原社は、現在はお土産品を商うお店でその奥で喫茶店も営んで
います。店は多くの観光客で繁盛しているようです。このツアーの
同行者もこの喫茶店のコーヒーを味わったようです。中庭には「烏
の北斗七星」碑があります。この中庭は日本庭園風に造られ、手入
れも行き届いていています。私たちが訪れたのは晩秋で、紅葉がと
てもきれいで美しい風景でした。

 光原社の前の大通りは「イーハトーブアベニュー」と名づけられ
ており、「宮澤賢治坐像」をはじめさまざまな造形作品が据えられ
てあります。訪れた日は「市」が開かれていて人出も多く賑やかで、
野菜・果物、海産物、日用雑貨などを扱う露店が多くでていました。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

近森善一著『蠅と蚊と蚤』の温故知新と及川四郎氏(光原社)の功

http://www.kenji.gr.jp/kaiho/kaiho27/index.html#G

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 及川四郎氏は光原社の経営を建てなおされた後になって、時にご
令嬢たちを前に書籍を手に出版当時を回想されては、その内容や同
氏が手懸けた装丁を誇らしく語られたといいます。また、東北農業
薬剤研究所から出版された近森本書、来栖儀一『陸稲栽培論』、増
訂第三版『病中害防除便覧』、小熊彦三『蔬菜園芸教科書』、近森
善一『農用昆虫教科書』、小熊彦三『果樹園芸教科書』の各教科書
校正は同氏が一人で行ったお話を伺い、事業と学術両面に卓越した
及川四郎氏の存在があってこそ、賢治の『注文の多い料理店』や近
森著書が誕生したことが実感されました。最後に本稿を終えるにあ
たり、貴重な近森著書をご恵贈下さり、種々お話をお聞かせ下さい
ました、光原社の及川福子様に深謝致します。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

宮沢賢治さん・略年譜
http://meahcm.web.infoseek.co.jp/museum2/museum/nenpu.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 病床中も砕石工場や肥料設計の相談に応答。また高等数学の研究
を始める。3月『児童文学』に「グスコーブドリの伝記」発表。
「風の又三郎」下書き。4月『岩手詩集』「早春独白」を発表。
8月『女性岩手』に「民間薬」「選挙」を発表。11月『詩人時代』
に「客を停める」発表。『女性岩手』に文語詩「祭日」「母」「保線
工手」発表。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

東北家畜臨床研究会
http://nichiju.lin.go.jp/mag/05306/06_04.htm

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 本研究会は,昭和44年9月27日に東北地域在住の家畜の診療に携
わっている有志によって,家畜臨床の研究と診療技術の向上を目的
に創立された.発足当時の会員数は33名で年会費は1,000円,年1回
の研究発表会を開催することとし,初代の会長には千葉喜一郎(福
島県獣医師会長)先生を選出した.

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔書簡〕--------------------------------------------------

[412] 1932年4月19日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ) 

   四月十九日

拝復 三本木並に一関よりの貴簡拝誦仕候。軍馬補充部の方の行違
ひ無事解決何よりの事に御座候。

お詞の関口氏の方、昨年の談にては、今后は各地へ出張の度ごとに
使用を推奨し置くべければ、販売は直接とせられたしとの事にてそ
の旨貴方へも御報申し置候次第、その后利府、若柳、根白石等の注
文も有之約束通り色々取計のことと推察致し居候処、その后の注文
少き次第に御座候や。今回御面談の情況折返し拝承仕度それに仍て
至急対策攻究致し度候。

次に一昨日福島市畜産家獣医千葉喜一郎氏村松博士の御招介にて御
来訪有之、工場産の揚粉と房州砂及三春産のものとにて家畜に飼養
試験を農林省委托として大規模に行ひ、工場産のもの殆んど薬用炭
酸石灰に劣らざる良成績を挙げ他地産のもの到底及ぱざるを確認し
たるを以て七月中には農林省佐藤博士と共名にて同省報告に工場名
をも明記して之を発表すべしとのこと御報有之且つ色の黝き点も何
等差支なき由申され候。就ては此の際他品との競争最至難なる福島
栃木新潟方面の一手販売を引き受け度く貴下に面談致し度とのこと
なりしも御上京中の由申候処いづれ手紙にて交渉致べくとて盛岡を
経て帰県せられ候。同氏の言には販路は充分に有之たゞ、価格の点
福島市渡し十三貫四十三銭(房州砂の価格)まで工夫なきやとの事
に有之御採算の上御返事願上候。粒径の点は或ひは従来のものより
稍々大なるも宜しかるべく且つ牧草地用及水田用のものより微粒風
撰採取しても差支無之と存じ候間御考慮願上候。

次に矢幅組合盛銀取立不能にて九十に改めて手続致し置候間今少し
くお待ち願上度若柳の方も如何相成候や何分のお手配願上候。本年
は金融の関係上肥料の移動一般に著しく遅れ候儘尚今后相当の需要
有之ものと存候。
                       先は  敬具

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 福島からの来客があった件を報告しています。「家畜に飼養」と
いうのはカルシウムの補給用なのでしょうね。

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[413](1932年3月〜4月)あて先不明 下書

粛啓 春暖漸くに相催候処貴官倍々御清適奉大賀候 陳者昨年来色
々御高配を賜はり乍ら全く御無沙汰にのみ打過ぎ候処実は昨秋社運
挽回の為に建築材料見本を具して関酉地方へ旅行の途東京にて急に
発熱致し爾后六ヶ月唯々病臥の止なきに至り郷国多難の際何とも御
申訳無之奉存候 就て左様の仕儀乍ら

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 昨年来、あちこちで世話になったお役人への手紙の下書きのよう
です。

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[414] 1932年5月10日 佐々木喜善あて 封書

   仙台市成田町一一六 佐々木喜善様 崇安
   五月十日 岩手県花巻町

民間伝承第二号ただいま辱けなく拝受いたしました。

編輯 版行のご苦心一字一字にもしのばれ勿体ないやうに存ぜられ
ます。まだ一ぺんひらいて見たばかりでございますが、方言の民話
面白く心を惹かれました。

今日はもはや十日ですから或は両三日中再びご来花の運びになるか
と思ったり、或はこの頃ブルガリヤの人とかも来てゐたさうだしお
やめになるのかとも危んだりして居ります。もし幸にお出ましあれ
ば、何卒重ねて拝眉を得たく存じ居ります。

何分前回は起きあがりもできずにお目にかかって居り、病中居は同
様のきうくつな立場なので、いろいろ失礼ばかり重ね、すっかりお
こりになったかとも恐れる次第です。ただ今やっと座って居れるや
うになり五六ぺん休めば店あたりまでも歩けるやうになりました。
童話、盛岡からまだ来ませんでお送りいたさず済みません。父や母
からもよろしく。

まづはお出ましにならない前と思ひ大急ぎのご挨拶まで申しあげま
す。

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 佐々木喜善といえば「遠野物語」で有名な人です。喜善と賢治の
交友関係というのはなかなか絵になります。喜善は1930年に賢治の
家を訪問しています。

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[415] 1932年5月10日 母木光あて 封書

(表)岩手郡御所村上南畑 母木光様
(裏)十日 花巻町豊沢町 宮沢金物店内 宮沢賢治

  五月十日

お葉書拝誦いたしました。当地ご来遊の趣、お待ちいたして居りま
す。たゞ昨冬肺炎を再び患ひましていまだに起居談話自由ならず、
まことに失礼な形でお目にかゝる次第ですから何卒その辺お容し置
きねがひます。私の方は何と申しても自称の心象スケッチ屋で詩と
は局外のつもりで今まで殆んど詩人たちとのおつき合ひもしてゐな
いのですから、もしそこをご諒察の上、あたかも画家が幻燈屋を訪
問するやうな態度でお出かけ下さるなれぱ、私も息がつまりません
し大いに肝胆をひらけると思ふ次第です。どうも気管支などが悪い
と少しの感情でも生理的にもてあましてしまふので困ります。では
またその節。

  母木光様

  駅の玄関の横に青いバスが出てゐますから、それをご奮発にな
って「豊沢町金物屋のうち」と仰ってください。

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 差し出しに「宮沢金物店」とあります。弟清六が軍隊から帰って
来て、質屋・古着屋だった宮沢商店も商売替えをしています。4月
に出た「岩手詩集」に詩「早春独白」を掲載していますが、その詩
集を持って5月14日に母木光が来訪しています。

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[416] 1932年5月18日 森佐一あて 葉書

(表)盛岡市新穀町 森惣一様
   五月十八日 花巻町 宮沢賢治 

お写真をいただいたりたびたび電話でお見舞下すったさうでありが
たう存じます。やうやく起きるやうになりましたが、こんどはもう
慢性です。母木氏ご来訪あり、本いたゞきました。

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 森佐一は少し年下の友人です。母木光来訪のことを知らせていま
す。

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[417](1932年春〜初夏 杉山芳松あて)封書(封筒ナシ)

昨秋はご懇なお手紙と数々の貴重な御地産品を態々お友達に托して
お送りいたゞき今春またご叮寧なご年賀で重ね重ね何とも恐縮に存
じます。あのお方ご来訪の節も肺炎后の気管支炎で何ともお目にか
ゝり兼ね早速のお礼状さへ儘ならず毎日毎日思ひ出しながらやっと
今日やはり横臥のまゝで鉛筆書きのお礼を申しあげる次第です。然
しもう茲十日以内には起きて歩ける見込もつきましたし今度も幸に
肺結核にはならずに済みましたからこの夏はきっとまた去年のやう
に仕事ができるだらうとそれのみ楽しみにして居ります。いたゞい
たフレップ酒(それも一箱)はさすが下戸の私も嘗めるやうにしては
度々呑みました。そしてそちらの吹雪の中で働かれるあなたに実に
済まないと思ひました。燻製の鮭は勿論私もたべ家中でもたべ残り
の大きな一本は切身にしてあちこちのハイカラさんたちへ贈りまし
た。まことにあなたの辛苦の結晶をこの様にいたゞくこと心苦しい
ですからどうか決してこれからはかういふことはなさらず、気が向
いたらやなぎらんの花をつまんで手紙に入れて下すったり、またお
便りがなくともあなたがさういふ場所で大きな会杜の信用を得られ
しっかり働いてゐられることは花巻の農学校のまた私の自慢ですか
らどうかどこまでもまっすぐに、からだを大切にお進み下さるなら
ほんたうにありがたい次第です。

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 樺太にいる教え子の杉山芳松への礼状です。いろいろと見舞いの
品を送ってきたようです。

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[418](1932年春〜初夏)及川四郎あて 葉書

   盛岡市茅町角 及川四郎様
   花巻町 宮沢賢治

ご無沙汰いたしました。昨牛末から疾みやっと起きて居ります。ご
肥料の教科書ありがたうございました。写真明瞭なこと驚くぱかり
です。近日中に亦申しあげます。

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 「光原社」の及川四郎にあてた手紙です。「教科書」は光原社の
本業でしたので、何か送ってきたのでしょう。

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--〔作品〕--------------------------------------------------

一五八
     夏幻想
                    一九二四、七、一三、

紺青の地平線から
かすかな茶いろのけむりがあがる
(北上川はけい気をながし
 山はまひるのうれひをながす,か)
(あ、あの鳥はなんだらう)
(ほゝじろだわ きっと)
(どれだい)
  稲草が魔法使ひの眼鏡で見たといふふうで
  天があかるい孔雀石板で張られてゐるこのひなか
  赤ペイントの高圧線に
  からだをまげてとまってゐるのは何鳥だらう
(ほゝじろでないきっと小さな五位さぎだ
 あんなに嘴が長いんだもの)
(だってせなかが青いわよ)
(そらがうつってゐるんだい)
(ははああいつはかはせみだ、
 かはせみさ、めだまの赤い、
 ああミチア今日もずゐぶん暑いねえ)
(何よミチアって)
(あいつの名だよ
 ミの字はせなかのなめらかさ
 チの字はくちのとがり工合
 アの字はつまり愛称だな)
(そんなら豚もミチアねえ)
(かなはないな おまへには)
(あっ飛んだ飛んだ)
(やっぱり蝉のやうだわね)
   さてこんどはしゝうどの
  月光いろの繖形花から
  はがねの翅の甲虫が
  一ぺんに千飛びあがる
(まあ大きなバッタカップですこと)
(ねえあれつきみさうだねえ)
(学名は何ていふのよ)
(ひやかしちゃいけないよ)
(知らないんだわきっと)
(Oenothera lamarkeaneていふんだ)
(ラマークの発見だわね)
(ああ)
  やれやれ一年も東京で音楽などをやったら
  すっかりすれてしまったもんだ、
  燕麦の白い鈴の上を
  二疋のへらさぎがわたって行く
(どこかで杏を灼いてるわ)
(あ炭を焼いてるんだねえ)
(炭窯じゃない 瓦窯だよ)
  窯の中には小さなドラモンド光もあり
  松林のなかは
  あたらしいテレピン油の香がいっぱいで
  窯の屋根では一羽の連雀も叫んでゐる
(風がどうも熱すぎる)
  またひときれの雷が鳴り
(まあ あたし
 月見草の花粉でいっぱいだわ)
  アイリスの火はしづかに燃える

【「一五八 〔北上川は螢気をながしィ〕」下書稿(一)】

(『明滅する春と修羅』より「春と修羅」第二集 1928年初夏構想)
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--〔後記〕--------------------------------------------------

 「夏幻想」は賢治の詩の中でも特異なものです。3人の会話です
ので、賢治、トシ、清六の兄妹弟のことをどうしても想像します。
私は男ばかり三人の兄弟なのですが、妻には姉と妹がいます。先日、
3姉妹と私で居酒屋で飲む機会がありました。姉や妹がいるという
のはなかなかよいですね。かわいい妹の一人でもいれば、私の人生
も少しは違ったかも。

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--通巻--498号---------- e-mail why@kenji.ne.jp-- -----------
--発行--渡辺--宏------- URL    http://why.kenji.ne.jp/
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 購読者数821名です。ご購読ありがとうございます。
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