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2008/08/30

宮沢賢治 Kenji Review 457

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Kenji Review 497
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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第497号--2008.08.30------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「書簡(1932年)1」「鳥」

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ブログ毎日?更新中
http://www.kenji.ne.jp/blog/
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--〔話題〕--------------------------------------------------
「書簡(1932年)1」
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 1932年も宮沢賢治の療養生活が続きます。前回掲載のものでは、
代筆のものが多かったですが、このころになると、自分で書いてい
るようです。しかし病状については、こんな感じでした。

 「小生儀起床歩行ニ勉メ候ヘ共、息切レ甚シク辛ク十数歩ニ達ス
ルノミニ有之丈夫ノ方ヨリ見テハ情ナキモノナレドモ如何トモ仕方
無之候。」

 まだまだ出歩ける状態ではありませんでした。

 今回掲載の手紙は、高橋久之丞という人あての肥料相談と、相変
わらず東北砕石工場の鈴木東蔵あてのものです。

 しかし、高橋あての手紙では、こんなことを書いています。

 「実は工場との関係甚うるさく私も今春きりにて経済関係は断つ
積りに有之、当地にて多く売れたりとも少しも私の得にならず候間
決して御無理無之様重ねて願上候。」

 今までの経緯もあり、責任を感じてはいたのでしょうが、実際問
題としては無理があるということなのでしょう。

 この年の三月には「児童文学」に「グスコープドリの伝記」が掲
載されています。

 1931年9月の発熱から賢治に残された時間は二年しかありません
でした。東北砕石工場の仕事は頓挫せざるを得ません。賢治自身や
東北砕石工場にとっては残念なことでしたが、後世の我々としては、
この最後の時期に賢治が病床でなし遂げた仕事に大いに感謝しなく
てはならないですね。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

肥料価格高騰・・・農産物コスト・アップ・・・燐と加里は将来的
戦略物資
http://dankaisedai.iza.ne.jp/blog/month/200807/2/

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 農業の必需資材である化学肥料の価格が暴騰しており、それが農
産物価格高騰の原因となっている。化学肥料価格は数年前の数倍で
ある。

 肥料と言えば、3大要素である窒素・燐酸・加里。‘窒素’の主
原料は‘ナフサ・天然ガス’、直接的に原油や天然ガスの価格高騰
の影響を受ける。もう2つの要素である‘燐酸’と‘加里’の主原
料は天然資源鉱石である‘燐砿石’と‘加里塩’で埋蔵量も限られ
ている。産地は偏在し、供給体制は寡占状態に近い。従い、供給側
にとっては価格操作が容易で、‘便乗値上げ’し易い鉱産物である。

 燐砿石の埋蔵量は、モロッコ、アメリカ、中国の3カ国が圧倒的
に多く、その外の産出国は、ロシア、南ア、ヨルダン、イスラエル、
オーストラリア、セネガル、トーゴなど。一昔前はナウルやクリス
マス諸島などからも産出されたが、今は枯渇してしまった。

 加里の埋蔵量は圧倒的にカナダ・アメリカ、そしてロシア、ドイ
ツ、フランス、ヨルダン、イスラエルなど。加里は採掘したそのま
まの状態で‘塩化加里’として使えるが、塩素分を嫌う農作物には
硫酸処理し‘硫酸加里’として使う。

 「石油や石炭の元は植物」と言われているのに対し、「燐砿石の
元は動物」…。実際には3種類あるが、大半は動物の骨の堆積物・
化石である。

 一番多いのは3千〜6千万年位前の恐竜や巨大魚類の堆積、燐砿
石の採掘現場に行くと10cm位の鮫の牙や、直径20cm位の恐竜の背骨
の化石が見つかる。モロッコやアメリカ(フロリダ)が代表である。
余談だが燐鉱石の埋蔵地域は動物生殖地域でもあり、その地域を調
べれば、どの様に地殻変動したかが良く判る。昔はモロッコとフロ
リダが陸続きであり、その途中に幻の大陸‘アトランティス’があ
った筈という説を唱える学者もいる。

 次に多いのは‘鳥の糞’の燐分が蓄積されたもの。ナウルやクリ
スマス諸島にある。燐灰石とも言う。だが、埋蔵量はそう多くない。
既に枯渇状態にある。

 最後の種類は、銅鉱石などに混じっている燐分、銅の精製過程の
バイプロダクトとして燐砿粉として産出される。燐分の含有量は極
めて高い。南アがその代表である。

 燐の難題は、燐砿石が燐とフッ素とカルシウムの化合物である点
である。燐とフッ素が固く結合しているので土に溶けないで堆積・
埋蔵された訳であるが、逆に、燐砿石のままでは、燐分が土に溶け
ないのでは肥料にならない。化学肥料の出発点は、この燐とフッ素
を如何に分離するかにあった。

 研究の結果、考案されたのがフッ素と硫酸を置換させる方法、出
来た肥料は‘過燐酸石灰’と言う。考案者は、あの高峰譲吉である。
その後、様々な研究がなされ、今では燐酸液にして、様々な種類の
燐酸肥料が作られている。

 もう一つの方法は熱で燐とフッ素を分離する方法である。電炉方
式が主流で、黄燐や赤燐という形状で生産するが、燐砿石と蛇紋岩
を混ぜて溶かせば、‘熔燐’と言う肥料が作れる。

 その他、燐砿石を微粉末にして直に畑に撒く方法もある。高温に
より徐々に燐が溶け出してくる。熱帯のゴムやバナナの農園では燐
灰石の粉を撒いて燐酸肥料としていた。

 昔、燐分は天然肥料が主流であった。動物の骨粉、魚の骨、ニシ
ンなどは高級肥料であり、今でもミカンや梅などの栽培で、味にこ
だわる農家は使っている。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

“納豆革命発端の地” もりおか から
http://www.marukan-natto.jp/column/history_natto.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 それからおよそ 900年もの間、「わら」無しでは納豆は生まれる
ことができませんでした。

 ところが、第2の革命が、やはり盛岡から起こったのです。村松
舜祐博士が”いなわら“に頼らない納豆づくりをめざし、永年の努
力と熱心な研究の結果、「おいしく、安定した」製品を生み出す納
豆菌の純粋培養に成功したのです。

 純粋培養された納豆菌で作った納豆は、学内で「高農納豆」 (高
等農林の略) として販売され、大いに評判を得たのでした。その後、
北海道大学の半沢洵博士もまた、納豆菌の純粋培養に成功し、改良
容器を使用して、「大学納豆」を生み出しています。

 盛岡高等農林の村松博士のもとに研究の助けをしつつ、熱心に教
えを受けていた業者がいました。その中に、弊社の初代 村上勘之
助もおりました。

 「高農納豆」のそのおいしさを「一般の家庭へ」と博士直接の指
導の下、幾多の努力を重ね、一般家庭向きに大量生産する工程を、
産学共同で研究開発し、誕生したのが「盛岡納豆」なのです。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

シリーズ・クローズアップ仙台
#21 根白石界隈 〜川と、森と、大地と〜
http://www.chiikibun.com/sendai/21-nenoshiroishi/nenoshiroishi.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 「根白石」は「ねのしろいし」と読みます。根白石は大字の名前
で、また東接する七北田村と合併し「泉村」となった1955(昭和30)
年4月10日までは宮城郡の村の名前でもありました。

 大字の根白石地区は、戦国期には城柵が設けられており、その後
も一貫して地域の中心集落として発達しました。

 なお、根白石村と七北田村との合併によって成立した「泉村」は
ほぼ現在の泉区の範囲に相当します。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔書簡〕--------------------------------------------------

[402] 1932年1月29日 高橋久之丞あて 封書

   岩手県稗貫郡湯本村狼沢 高橋久之丞様
   一月二十九日 花巻町

拝復 貴簡拝誦 早速御面談致度候へ共何分にも咽喉気管支の疾患
にて少しく強く物言へば、数日の間病状逆行し尚茲一ヶ月は病室を
離れ兼ね候間、肥料設計は先づ手紙にて御送り申上べく候

就て特に左記の事項御詳記御郵送被成下度候

一、昨年の設計書及実際施用表。
二、右による反当収量概算及米質。
三、成育状況その他に付て御気づきの点。
四、本年の大体方針(昨年より多くとか少くとか。)及反当金肥使
用価格。

右によって充分慎重に御設計可申上候

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 高橋久之丞への肥料相談はずいぶん前からずっと続いていたよう
です。病床の賢治に、また依頼がありました。

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[403](1932年2月はじめ)高橋久之丞あて 封書

   稗貫郡湯本村狼沢 高橋久之丞様
   花巻町

拝復 御問合せの肥料配合の件左の如くと存候

一、赤渋の方 昨年不成績なりしは、燐酸の不充分と硫安稍多かり
しによるごとく見え候。本年は

反当硫安     一貫(陸羽一三二号として)
アムモホス    一貫五百(赤渋に最も適し)
魚粕       四貫
撒大豆粕     十貫
強過燐酸     六貫
燐酸アルミナ   二貫(骨粉一貫五百ニテモ可)
塩化加里     二貫
厩肥       二百貫

とし、水冷き所ならば殊に苗は強健なものを植ゑる様なされて如何
と存候。

二、四反歩の方昨年としては上出来と存候。今年も御考通りにて略
々間違ひなかるべしと思はれ候へ共アワモホスは元肥とせず、天候
と生育の工合を見定めて七月七日より七月十五日頃までに追肥とせ
らるるか、或ひはアムモホスを篩ひて、こごりのみを施さるるかを
安全とせずやと考ふ所も有之候 先は。       敬具

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 「アムモネス」というのがどうもはっきりしないのですが、「ア
ンモニア」と「リン酸(phosphoric acid)」で燐安のことではな
いかと思います。肥料設計の第一弾です。

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[404] 1932年2月5日 高橋久之丞あて 封書

   稗貫郡湯本村狼沢 高橋久之丞様
   二月五日 花巻町

再啓 貴意を参照、左の如く産出仕候

厩肥       弐百貫
硫安       弐貫
魚粕       参貫五百
大豆粕      拾貫
強過燐酸     四貫五百
骨粉(蒸)    弐貫
炭酸石灰(二粍) 七貫五百(半俵)

赤渋の処は硫安の代りにアムモホス弐貫とし過燐酸を参貫とす。

次に昨年の燐酸アルミナは明に効果あり候 それはあの天候にて三
石、四等米七分といふことは緩効の燐酸の作用甚大と看做さざるべ
からず候。

但し右は連用を忌み候間本年は骨粉と致し候、硫酸加里は石灰を厩
肥に働かせる事と致し御希望通り除き候。

赤渋地にて燐酸を全廃、石灰代用は不可と存候。赤渋地にはアムモ
ホス最もよく候へ共、単用も又気候に仍ては危険有之候間前記の如
く致し置候。

本年の天候略々昨年の型にて、あれよりは暖くと仮想致し置候。

藤助様等厩肥量及米質不明にて一寸設計に困り候へ共一応送り申上
べく候。

二伸 御照会の炭酸石灰価格の件、工場と数回打合せ候為、御返事
も遅れ候処工場の申し分にては、米価も上り工賃も値上を要し(今
まで一人一日五十銭)他肥料も一般に三割高なれば、工場製品も十
貫に付五銭(叺も三銭高)の高価に非れば本年は間に合はずとの事
に候。即ち右にては当地は十五貫一俵に付七銭五厘高の六拾銭内外
と相成る次第に御座候。(一車以上の値段)

然れども当地には作冬の製品三車ばかり有之候間右ある間昨年通り

    花巻倉庫渡し十五貫一俵(一車値段) 五拾弐銭五厘

に願ひ上候。小売は盛岡、花巻、水沢、一ノ関みな七十五銭乃至八
十銭に御座候

貴下御口添の分何俵にても右一車価格にて差上申すべく候。何分ぎ
りぎりの価格に候間折角御奔走御取纏め被下候も更に割引といふ事
は六ヶ敷く何卒御用の分丈け御無理なきやう御世話下さらば幸甚に
御座候。

実は工場との関係甚うるさく私も今春きりにて経済関係は断つ積り
に有之、当地にて多く売れたりとも少しも私の得にならず候間決し
て御無理無之様重ねて願上候。

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 高橋からの要請で肥料の内容を変えています。たぶん価格の問題
なのでしょう。ここで石灰について昨年の在庫を昨年の一車価格で
ゆずるという話を出しています。工場の方とは切れるから心配する
な、と言っていますが、賢治のことですから大半は相手を考えてこ
う言っているだけだと思います。この後も工場との連絡は続いてい
ます。

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[405] 1932年2月15日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

   二月十五日

拝啓十四日発の御葉書拝見仕候。

冊子への当座の資料、四五別便にて送上候間、最后の項に福島市獣
医の方の氏名御挿入の上、各項適宜御敢捨被成下度、今回は本文へ
は全く手を附けず置き度存候。亦冊子とせず一枚刷ならば、仰せの
通り全く従前通りのものも宜敷と存候。冊子印刷に一ヶ月以上間も
有之候はゞ、本文全部時宜に適する様書き直し度存候。

次に店より先日送上候アングル、如何にしても貨車に積み込まれず
との電話今朝有之、何尺に切りて宜敷や至急御一報願上候。

次に石灰更に十屯御発送を得度候。この数日貴方よりも色々御取運
びを仰ぎ小生も色々父へ誠意を披きて再び相当の諒解を得たる次第
に候間、今回は代金は必ず着次第御送申上べく、若し御都合宜しけ
ればその内より十円にても前分へ御操入被成下ば更に幸甚と存候。

乍末筆昨日は貴地名産品多分に御贈り被成下誠に難有父よりも宜敷
御礼申上候                      敬具

  鈴木藤三様                  宮沢賢治

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 この間も工場の方からはいろいろと言ってきていたようです。こ
の時期にようやく賢治からの手紙が再開します。

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[406] 1932年2月17日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

   二月十七日

拝復

セメント袋三百枚今夕道に請負業者より譲り受け発送可仕候

次にアングルの切断寸法何卒至急御報被成下度由再び申し参り候

次に養鶏用石灰五十位今回の分へ御添附願度存候へ共右の運びに至
るべく候や 若し可能なれぱ粒は八厘より三分目迄の各径混合と被
成下度販路は急激ならざるも必ず拡張致し得べく但し右の方は小売
(一升二升にて)要すべく、価格の点今少しく何とか相成り申さず候
哉伺上候 先は要用のみ                敬具

   鈴木藤三様                  宮沢賢治

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 「販路は急激ならざるも必ず拡張致し得べく」と言っていて、ま
だまだ積極的な姿勢ですね。必ずしも賢治自身が販路拡張すると言
っているわけではないのですが。

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[407] 1932年2月21日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

   二月廿一日

拝復 廿日附貴簡拝誦、江釣子の三百袋の件差当って心当りなく候
へ共三月下旬迄ならば何とかなり申すべく就ては右倉庫料及庫入料
等を見込み当駅着金九拾円にて宜敷候はゞ店の方にて御引受致すべ
くとの事前年の分への御操入は十五円にても宜敷かるべく御採算の
上御返事願上候 セメント袋尚八百丈集め置き候処御送り致すべく
候哉 尚養鶏用石灰是非御撰出願上候          敬具

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 さっそく工場から相談がありました。「セメント袋」は昨年苦労
した包装資材です。昔は包装資材も中古品などを集めて使うことが
多かったのです。

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[408] 1932年2月29日 鈴木東蔵あて 葉書

(表)東磐井郡 陸中松川駅前 東北砕石工場 鈴木藤三様
   二月廿九日 花巻町 宮沢賢治

貴簡拝誦 「桑園」項目中ニ蚕児ニ及ボス影響添加ノ件正ニ了承仕
候。右校正刷ハ小生モ切ニ相待チ居候ヘ共、電話ニテ照会候処三月
一日夕刻ナラザレバ発送致シ兼ヌル趣ニ御座候。次ニ小生儀起床歩
行ニ勉メ候ヘ共、息切レ甚シク辛ク十数歩ニ達スルノミニ有之丈夫
ノ方ヨリ見テハ情ナキモノナレドモ如何トモ仕方無之候。

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 広告原稿についての相談です。葉書になっているのは健康状態の
せいもあったのでしょうか。

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[409] 1932年3月13日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓 要件左記仕候

一、根白石村農会より別便照会有之不取敢挨拶のみ致し置候間先方
へ価格御通告奉願候

二、広告出来致し候はゞ百枚計御譲り願上候

三、村松博士日報へ三度に亘りて石灰石粉の効果談話被成候間御諒
承願上候

四、小野寺博士肥料学教科書ヘエ場の写真一頁入りしもの出来致し
参り候。

五、荷為替中煙山分入りし由に御座候      以上

   三月十三日                 敬具

  鈴木藤三様                 宮沢賢治伽

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 仙台の農会からの照会というのは、昨年からの活動の成果です。
工場ではなく、「東北砕石工場花巻出張所」に来たものですが、宛
て名は父政次郎になっていたそうです。賢治の努力にもかかわらず、
世間から見ると、「花巻出張所」の代表者は政次郎に見えたのでし
ょう。実際、お金のからむことは全部政次郎が処理していたようで
す。

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[410] 1932年3月18日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓

同封根白石村農会よりの再度の照会に対し御回答未だに有之候はゞ、
至急御発便奉願候 尚その際出荷期日に関する御見込御添附相成候
はゞ先方も安心と奉存候 宮城県郡及村々の各農会にこれ迄の誠意
有之とは予期致さゞりし次第何分とも宜敷御取計願上候 尚私方よ
り出荷云々到底不可能の趣別便にて先方へ申置候

   三月十八日                 敬具

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 根白石村の件について督促しています。賢治のいない工場は、や
はり事務処理能力に問題があったのでしょう。先方は賢治のところ
から出荷してほしいようですが。

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[411](1932年3月20日前後)鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓

御繁多の趣何分にも慶賀斯事に御座候

扨て本日盛高農、村松博士京都へ御栄転相成候間、賀状並に私永年
の恩顧を加へ紀念品代に金五円御送申置候間若し出来るなれば工場
より謝状(簡単に御在任中の御看顧を奉謝候 盛岡高等農林学校内
村松舜祐殿)一通手紙にて御差出願はるれば幸甚に御座候。但し御
考に依て必要なけれぱ勿論お控奉願候。

次に昨年の当地在庫品、丸久倉庫等にて雨漏りのため臥蒸れ、包装
し直しを要し困り居り候へ共、別に新荷レール渡し希望の向も有之
候間何卒左記

一、新価格及運賃による花巻駅レール渡し十噸の表記価格。

二、着即時払として私方へ卸しの右価格。

至急手紙にて御一報奉願候。

次に広告到着難有御礼申上候。右代金は序を以て御計算致すべく御
諒承願上候。敬具

------------------------------------------------------------

 村上博士は京都高等蚕糸学校の校長に栄転しています。今の国立
京都工芸繊維大学です。この大学が国立だとは知りませんでした。

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--〔作品〕--------------------------------------------------

一五六
     鳥
                      一九二四、七、五、

この森を通りぬければ
みちはさっきの水車へもどる
鳥がぎらきら啼いてゐる
たしか渡りのもずの群だ
田に水を引く人たちが
こっそりこっそり林のへりをあるいてゐるし
夜どほし銀河の南のはじも
白く光って見えるので
鳥は落ちついてねむられず
あんなにひどくさわぐのだらう
けれども
わたくしが一あし林のなかにはいったばかりで
こんなにはげしく
こんなに一さうはげしく
まるでにはか雨のやうになくのは
何といふおかしなやつらだらう
こゝは大きなひばの林で
そのまっ黒ないちいちの枝から
どこら辺とも知れないそらが
いろいろにふるへたり呼吸したり
いはゞあらゆる光の規約を示してゐる
  ……あんまり鳥がさはぐので
    私はぼんやり立ってゐる……
みちはほのじろく向ふへながれ
一つの木立の窪みから
赤く濁った火星がのぼり
鳥は二羽だけいつかこっそりやって来て
何か冴え冴え軋って行った
あゝ風が吹いてあたたかさや銀の分子〔モリキル〕
あらゆる四面体の感触を送り
蛍がこんなにみだれて飛べば
鳥は雨よりしげくなき
わたくしは死んだ妹の声を
林のはてのはてからきく
  ……それはもう
    たれでもおなじことだから
    いまあたらしく
    考へなほすこともない……
草のいきれと松脂〔やに〕のにほひ
鳥はまた一さうひどくさわぎだす
どうしてそんなにさわぐのか
はやしのなかは蛍もかなりみだれて飛ぶし
みなみぞらでは星もときどきながれるけれども
しづかにやすんでかまはない 

【「一五六 〔この森を通りぬければ〕」下書稿(一)】

(『明滅する春と修羅』より「春と修羅」第二集 1928年初夏構想)
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--〔後記〕--------------------------------------------------

 8月も終りですが、このところ急に涼しくなりました。大雨が降
ったりしていますが、被害はなかったでしょうか。

 今年は暑いのか寒いのかよくわからない夏でした。米の作柄も西
日本では「良」だということですが、肝心の東北・北海道はどうな
のでしょうか。気温が下がり気味だということですので、心配して
います。もう少し「温暖化」してくれればよいのですけれど。

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--通巻--497号---------- e-mail why@kenji.ne.jp-- -----------
--発行--渡辺--宏------- URL    http://why.kenji.ne.jp/
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