宮沢賢治 Kenji Review RSSを登録する

宮沢賢治の作品と関係書籍の紹介です。ホームページで宮沢賢治全詩集のデジタルテキスト化をめざします。

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
このメルマガをまぐまぐ大賞2008に推薦する
2008/05/17

宮沢賢治 Kenji Review 482

この記事を取り寄せる

Kenji Review 482
-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/
--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第482号--2008.05.17------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「書簡(1931年)1」「冬と銀河ステーション」

-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/
------------------------------------------------------------
ブログ毎日?更新中
http://www.kenji.ne.jp/blog/
------------------------------------------------------------
--〔話題〕--------------------------------------------------
「書簡(1931年)1」
------------------------------------------------------------

 1931年になると宮沢賢治は東北砕石工場の技師として本格的に活
動をはじめます。実はこの年の秋にはまた病に倒れていますので、
実質8ヶ月ほどの短い間でしたが、懸命にがんばっています。

 2月には下に紹介した「契約証」を鈴木東蔵とかわしています。
500円という大金を鈴木に渡しているのは、父政次郎もこの契約
に賛成だったということです。契約自身、父の意向が働いていると
考える人は多いようです。賢治がこんな契約書を作れるとはみんな
思っていないのですね。

 これで正式に技師になりました。先日、東山町の「太陽と風の家」
に行ったとき、宮沢賢治の名刺も置いてありました。これを持って
営業に回ったのです。

[290] 1931年1月1日 母木光あて

 年賀状です。

[291] 1931年1月1日 菊池武雄あて

 これも年賀状です。菊池武雄は童話集『注文の多い料理店』の挿
絵を書いた人で、東京に出ていました。

[292] 1931年1月9日 菊池信一あて

 弘前に入隊している教え子の母が亡くなったことについてのお悔
やみのないようです。

[293] 1931年1月9日 佐藤昌一郎あて

 見舞いの礼状ですが、投函されずに賢治の手許にあったようで、
下書きかもしれません。

[294](1931年1月12日〕鈴木東藏あて

 広告の原稿の相談です。

[295](1931年1月15日)澤里武治あて

 教え子の中ではこの人と最も交流があったようで、ときどきこん
な手紙を書いています。

[296](1931年1月22日)鈴木東藏あて 葉書

 東蔵が花巻を訪問したが、会えなかったようです。また原稿の相
談をしています。

[297](1931年1月)鈴木東蔵あて 下書

 契約の条件を書いた下書きです。賢治は仙台に出るつもりだった
のが、ここでもわかります。結局、家族の反対で花巻で仕事をする
ことになりました。販路の関係で仙台に出るべし、というのが賢治
の判断だったのですが。

[298] 1931年2月2日 鈴木東藏あて 葉書

 これも原稿の相談です。「石灰施用に関する一切の照会に応ずる
旨」などと言っているのがいかにも賢治です。実際、当時このよう
な専門知識を持っている人はほとんどいなかったので、農民にとっ
ては貴重な情報だったはずです。

[299] 1931年2月14日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

 「粒径と価格」について、見解を求めています。確かに、商品と
しては最も重要なところです。

 この後、21日に鈴木東蔵が花巻に来て、正式に契約の運びになり
ます。東北砕石工場にとっては、資金と専門家と営業担当が同時に
確保できたのですから、望外の幸運だったはずです。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

契約証
http://why.kenji.ne.jp/shiryo/sonota/404keiyaku.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

石灰事業賛助ノ為相互共栄ノ目的ヲ以テ左ノ契約ヲ締結ス 

一、信証金トシテ宮沢ヨリ一時金五百円ヲ鈴木ニ預ケ置クモノトス
此ノ預金ニ対シテハ日歩金参銭ヲ支払フコト 但シ石灰ノ需要激増
ニヨリ生産ノ増加ヲ計ル都合上資金ノ増額ヲ要スル場合ハ金壱千円
迄預クルコトアルベシ 尚将来解約等ノ場合ハ元利返済スルモノト
ス 

二,宮沢ヲ技師トシテ嘱託シ報酬トシテ年六百円ヲ炭酸石灰ヲ以テ
支払フモノトス 但シ本年度ニ限リ金五百円トス 

 右ニ対シ宮沢ハ左ノ職分ヲ行フモノトス 

 イ.説明書並広告文の起草

 ロ.炭酸石灰ニ関スル調査並ニ改良

 ハ.照会回答 

三、岩手県(小岩井農場及び東磐井西磐井両郡ヲ除ク)青森県・秋
 田県・山形県ノ宣伝ヲ宮沢ニテ行ヒ右ノ註文ニ対シテハ松川駅渡 
 十貫ニ付二十四銭五厘ニテ宮沢ニ販売スルモノトス 但工場ニ於 
 ケル直接販売ハ十貫ニ付二十銭以下ニテ売るコトヲ得ズ 

四、炭酸石灰ノ需要期以外ハ壁材料ノ宣伝ニ努メ此レニ要スル資金
 ハ追テ協議ノ上之レヲ決スルモノトス 

右ノ各項履行ノ為各一通ヲ所持スルモノ也 

  昭和六年二月二十一日 

               東磐井郡松川村字滝ノ沢平一一七
               東北砕石工場
                    鈴木東蔵
               稗貫郡花巻町豊沢町
                    宮沢賢治 

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

宮澤賢治と炭酸石灰(第2回)
http://www.jplime.com/bunkaisan/002/index.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 大正13年に東北砕石工場を立ち上げ、それ以来の14年間、専
ら経営に当たってきた工場主東蔵が当時の回想手記を遺しています。
「炭酸石灰工場の建設」と「裸一貫の石灰事業」の二綴りがそれで
す。ちょっとそれを、覗かせていただきます。そこには東蔵の個性
丸出しの筆致で工場経営の経験が語られています。 
 
 自称「裸一貫」の東蔵が、何とか創業にこぎつけたこと、小岩井
農場以外の市場開拓に苦しんできたこと、経営資金のやりくりにの
た打ち回ったこと、偶然の出来事が重なってフレットミル(粉砕機)
を入手し石灰細粉製造が可能になったこと、宮澤賢治を技師に招い
て飛躍的な販売を得たこと等など、その一つひとつの雰囲気が短い
ながら率直に語られていて当時のイメージを鮮明に浮き立たせてく
れます。

 そしてまた文字どおりに「裸一貫」の東蔵が、よくもまあ14年
間の長きにわたる工場経営を、こんな苦しみを背負いながら歩んで
きたと感じ入らざるを得ません。そして今更ながら、地下資源(石
灰岩)開発事業に心血を注いできた東蔵と東北砕石工場の足跡なし
に、現在の「石灰産業の町 東山」はあり得なかったのだと確信さ
せられるのです。
 
 とは云っても工場経営に不可欠な資金のやりくりに苦しみつづけ
てきた本人東蔵の身にすれば、資金を持たない「起業者」の苦しみ
はたっぷり過ぎました。いったいにして先駆者の苦労というものは、
そういうものだと云えるのかも知れません。石灰王を夢見て起ちあ
がった筈の東蔵が万策尽きはて、終には「士族の商法」(生活のた
めになれない事業を起こして失敗したことをいう)だったと回想録
に記述するまでに至るのです。しかし先代を引き継ぐかのような所
謂「二代目、三代目」事業所が次々と東山町に登場、今の石灰産業
の中枢を担うことで「石の町 東山」がなりたっていきます。

 そしてまた工場主東蔵が偶然のことから宮澤賢治に出会い、爾来
4年間、強力な援助を受けたことが機縁となり、結局「賢治ゆかり
の地 東山」としての現在があるのも、これまた「二代目、三代目」
のことだと云えましょう。「歴史のおりなす不思議な業」とも云え
ましょう。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔書簡〕--------------------------------------------------

[290] 1931年1月1日 母木光あて 葉書

(表)岩手郡御所村 母木光様

謹賀新年

 昭和六年一月一日

   花巻 宮沢賢治

寒さの砌りおからだお大切に祈りあげます。

------------------------------------------------------------

[291] 1931年1月1日 菊池武雄あて 葉書

(表)東京府下吉祥寺一八七五 菊池武雄様

謹賀新正  宮沢賢治

  昭和六年一月一日

大へんごぶさたいたしました。みなさまご健勝で何よりです。私も
どうやらもと通りのからだになりました。四月からまた飛び出すつ
もりです。童話の本このごろ少しづっ売れてゐるさうです。あなた
絵手本お描きになったさうですな。

------------------------------------------------------------

[292] 1931年1月9日 菊池信一あて 封書

(表)弘前歩兵第三十一聯隊第九中隊 菊池信一様
(裏)一月八日 岩手県花巻町 宮沢賢治(封印)〆

  菊池信一様
    一月九日                  宮沢賢治

お手紙拝見ご愁傷何とも申しあげる詞がありません。あなたご入営
のときから何かさういふご心配でもあられたか大へん外の人たちの
やうに意気が昂らず見えたのでじつははじめの間はいろいろ心配も
してゐましたが冬が事なく過ぎたのでもうあなたの方は大丈夫と思
って安心したのでした。この上は古いことを云ふやうですが、逝か
れたお母様のほんたうの幸をこそお索ねになって新たに強く正しく
一切のための大願を命として進まれるならぱこの度のご不幸も結局
ご不幸ではなくなると信じます。

それについても寒さの砌、切にご自愛を祈りあげます。

------------------------------------------------------------

[293] 1931年1月9日 佐藤昌一郎あて 封書

(表)江刺郡稲瀬村 佐藤昌一郎様
(裏)一月九日 花巻町豊沢町 宮沢賢治(封印)〆

謹賀新正    昭和六年一月九日

厳寒之候貴家御一統倍々御清適奉大賀候

陳者客年私病中は御来駕を辱し御品物迄頂戴致寔に難有今春は亦御
年賀並に小田島氏住所御教示を賜はり重重厚く御礼申上候 御蔭様
にて私昨今は漸くに病前の健康に復し春よりは労作にも路々耐え得
るに至り候間乍他事御休神願上候 別便は甚疎品に有之候へ共全快
御挨拶の御印迄並びに十数年以前御約束致せし趣の豚肩一片傍々御
笑納被成下候はゞ幸甚に有之先は右御礼迄申上度如斯御座候

                          敬具

------------------------------------------------------------

[294](1931年1月12日〕鈴木東藏あて 葉書

(表)東磐井郡陸中松川駅前 鈴木東藏様
   花巻町 宮沢賢治拝

拝啓 貴簡拝誦 原稿一応校正御送附申上候へ共若し新に印刷に附
せらるゝならば今少しく効果的なる条項をも加へ度存候間折り返し
御返事願上候 昨年の広告亦同様に有之候 私方にても文案は準備
致し置候間御来花を待って取捨仕度とも存候 次に小生二月廿日よ
り仙台にて仕事致すことと相成貴工場の宣伝販売等地方を劃して分
担致しても宜敷之亦御考慮置願上候
                          敬具

------------------------------------------------------------

[295](1931年1月15日)澤里武治あて 封書 

(表)上閉伊郡上郷村 岩手上郷駅 沢里武治様
(裏)花巻町 宮沢賢治(封印)〆

お手紙拝見しました。徴兵検査早く結果がわかればいゝと思ひます。
その節行きでも帰りでも花巻駅前で二時間ぐらゐの時間都合できま
せんか。できるやうでしたら予定をたてゝ知らせてよこして下さい。
実は私は釜石行きはやめて三月から東磐井郡松川の東北砕石工場の
仕事をすることになりました。月の半分は仙台へ出てゐて勉強もで
きるのですが、収入は丁度あなたぐらゐでせう。悪い風邪が流行っ
てゐますからこの前お話した「わかもと」呑むこと、オキシフル
(過酸化水素)の十倍から三十倍ぐらゐのもので一日数回うがひす
ること怠らずなすって下さい。盛岡へ出るときなど尚更です。  
まづは。

------------------------------------------------------------

[296](1931年1月22日)鈴木東藏あて 葉書

(表)東磐井郡 陸中松川駅前 鈴木藤造様
   二十二日 花巻町 宮沢賢治

拝復 過日御来花の際は失礼仕候 御来示の趣中、花巻駅在荷は二
月中には必らず当地に引向くべく御安心被下度、次に小生分担の仕
事の儀も必らず奮闘致度候間左様御了承願上候 尚原稿は更に一応
推敲書直し致度尚二日程御待ちを申上候
                           敬具

------------------------------------------------------------

[297](1931年1月)鈴木東蔵あて 下書

拝啓

過日御来花の際は甚失礼仕候 扨その節お打合せの通り二月下旬仙
台へ参り貴社製品販売並に宣伝致す様着々準備罷在候処右に先ちて
仕事の範囲等為念契約致置度赴父より申出有之候間左記条項充分に
御審査の上適宜貴方のお考にて御改訂御申出願上候 

一、仙台に於る事務所は
    東北砕石工場仙台出張所の
  看板をかけ遠方宣伝の際は必要に応じて
    東北砕石工場仙台事務所の
  名義にすること 

二、小生に対して東北砕石工場技手又は技師の辞令を交付し小生は
  イ.石灰岩抹を主原料とする製品の改良及発明は総て之を工場
  に交付し ロ、海外及国内の諸学説及事情は鋭意之を調査して
  工場の発展に資すること 

三、

------------------------------------------------------------

[298] 1931年2月2日 鈴木東藏あて 葉書

(表)東磐井郡 陸中松川駅前鈴木(東)藤造様
   二月二日 花巻町 宮沢賢治

拝啓 原稿御送附致置候処御査収之上御不審の点は無御遠慮御照会
願上候 次に過般御話の当駅留置の石灰希望者有之早速御引取可致
候間右私方にて引取得る様運送店宛御手配被成下度候 勿論代金は
直ちに引替亦は御送可申上候 尚今回の広告に「石灰施用に関する
一切の照会に応ずる旨」必要なれば御書添被下ても宣敷候
                           敬具

------------------------------------------------------------

[299] 1931年2月14日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓 本日私方発信と行違ひに、貴簡配達あり、早速湯口(湯本な
らん)の方へは右照会致し置候。

次に本日笹間村の一青年同村の福田とかいふ人より購求したる石粉
甚粗粒混じ居りて迷惑なる旨申し参り小生も一寸困り申し候処右品
は径何ミリの箭を通したるものなるや、並びに先日承り候松川渡し
十貫二十五銭の分は何ミリの箭によるや右二点至急御報被成下度

先日農事試験場訪問の際も貫数、バーセント、粒径荷物に書き添へ
られ度旨申し居り候間御経営上の御意見何卒腹蔵なく申し聞け願ひ
上度候 特に只今は新紙にも報ずる通り佐比内産消石灰栃木産漆喰
粕新肥料カルクを正面に廻しての競争にも有之県官の心からなる賛
同を得て種々の便宜を得る為にも尤警戒を要する場合に有之候間何
卒比辺粒径と価格との関係並びに一般卸値段の制定に関し至急御返
事を仰ぎ奉り候尚右充分確定后は秋田県の方へ三四日出向致し販路
取調べ参るべく候
                           敬具

--〔作品〕--------------------------------------------------

     冬と銀河ステーション

そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげらふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パツセン大街道のひのきからは
凍つたしづくが燦々〔さんさん〕と降り
銀河ステーションの遠方シグナルも
けさはまつ赤〔か〕に澱んでゐます
川はどんどん氷〔ザエ〕を流してゐるのに
みんなは生〔なま〕ゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがつた章魚〔たこ〕を品さだめしたりする
あのにぎやかな土沢の冬の市日〔いちび〕です
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
 あすこにやどりぎの黄金のゴールが
 さめざめとしてひかつてもいい)
あゝ Josef Pasternack の 指揮する
この冬の銀河軽便鉄道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の台地を急ぐもの
(窓のガラスの氷の羊歯は
 だんだん白い湯気にかはる)
パツセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパーズまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です 

(校本全集2 「心象スケッチ 『春と修羅』」より)
------------------------------------------------------------
--〔後記〕--------------------------------------------------

 「冬と銀河ステーション」で詩集『春と修羅』は完了です。最後
は「銀河鉄道の夜」の世界につながっていました。

 ひきつづき次回からは「第二集」の詩を掲載していきます。

 先週は日帰りで花巻に行き、理事推薦投票の開票をしてきました。
予想以上にたくさんの投票をいただきました。ありがとうございま
す。

------------------------------------------------------------
-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/
--通巻--482号---------- e-mail why@kenji.ne.jp-- -----------
--発行--渡辺--宏------- URL    http://why.kenji.ne.jp/
------------------------------------------------------------
 購読者数868名です。ご購読ありがとうございます。
------------------------------------------------------------
私あてのメールのあて先は、
why@kenji.ne.jp
私のホームページ(宮沢賢治童話館、全詩篇など)は
http://why.kenji.ne.jp/    です。
バックナンバーもすべて、このページで読めます。
【まぐまぐ】
このメールマガジンは、インターネットの本屋さん「まぐまぐ」を
利用して発行しています。( http://www.mag2.com/ )
マガジンIDは10987です。
このメールマガジンの登録や解除は
http://why.kenji.ne.jp/    です。
=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/

この記事を取り寄せる
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る