宮沢賢治 Kenji Review 480
Kenji Review 480
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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第480号--2008.05.03------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------
「書簡(1930年)3」「鎔岩流」
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--〔話題〕--------------------------------------------------
「書簡(1930年)3」
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今回は1930年の初夏から秋にかけての書簡です。いろんな人に出
しています。
[269](1930年春〜初夏)阿部芳太郎あて
阿部芳太郎という人への書簡ははじめてです。花巻の人で、賢治
の友人といったところです。画家志望だったという人で、芸術方面
にも理解があったのでしょう。園芸の相談です。
[270] 1930年7月29日 菊池信一あて
石鳥谷の人で、賢治の教え子です。羅須地人協会のメンバーでも
あり、石鳥谷で開かれた肥料相談会の世話をしています。このとき
は弘前に入隊していました。その見舞いの手紙です。その後大陸で
戦死したそうです。
[271](1930年7月)(竹中久七あて)
竹中久七は当時結構有名な詩人でした。「リアン」というのは主
宰していた雑誌です。詩集などの著書をもらった礼状の下書きです。
賢治が当時すでに注目を集める新進詩人だったことがうかがわれま
す。
[272] 1930年8月20日 澤里武治あて
このころは「高橋武治」という名でした。全集ではわかりやすく
という意図からか、全部「澤里武治」という名になっています。賢
治の教え子で、教壇に立っていました。
[273] 1930年9月2日 鈴木東藏あて
東北砕石工場に見学したいという人がいるという連絡と、今後の
相談です。「若し御事情宜しけれぱ執れかの一地方御引受各組合乃
至各戸へ名宛にて広告の上売込方に従事致しても宜敷其辺の御心持
伺上候」とあり、賢治がすっかり東北砕石工場の仕事をする気にな
っていることがわかります。
[274](1930年9月14日〕鈴木東藏あて
前日に東北砕石工場にはじめて行ったということです。鈴木東蔵
には会えなかったので、手紙を書いています。
[275] 1930年9月14日(あて先不明)
前の手紙で「別紙」とされていたものです。訪問時世話になった
人への礼状で、同封されていました。鈴木東蔵は当人には渡さず、
いっしょに保管していたようです。今となっては誰にあてたものか
は不明ですが、東北砕石工場の関係者に間違いないでしょう。
[276] 1930年9月26日 母木光あて
あて先に「岩手詩集刊行会」とあります。「母木光」は筆名で、
本名は藤本光孝、後に「儀府成一」という筆名も使っていてややこ
しいですが、賢治に関する著書もある、岩手の詩人です。賢治は岩
手詩集に参加する意志があることを伝えています。
[277](1930年9月)鈴木東藏あて
東蔵から資金の相談を受けたことへの回答です。前年の「大恐慌」
からはじまった「昭和不況」が本格化している中、賢治の回りの人
々も経済的に余裕がなく、賢治自身にはなおさらその能力がないこ
とを伝えています。
カネはないがやる気はある、ということで「需要先調査の上十月
より広告並に売込方に従事致度存居候」と言っています。東北砕石
工場時代の幕開けです。
--〔BookMark〕----------------------------------------------
コレクション・日本シュールレアリスム 8 復刻
竹中久七・マルクス主義への横断
http://www.bk1.jp/product/02045808
--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------
日本のシュールレアリスムにとって貴重である資料を、戦前に出
版された単行本や雑誌などの中から選び、複製。9巻に竹中久七が
1930年前後に『リアン』等に発表した、詩などの作品とその理
論を収録する。
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------
詩に熱中した父 同人誌活動でスパイ容疑に
http://www.matsusen.jp/myway/koiwai/koiwai03.html
--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------
昭和2年には佐藤惣之助の「詩之家」の同人となり、昭和10年
に父は仲間3人で『リアン』という詩の同人誌を発行した。
私が小学校3年になったころ、父は本郷村の収入役に就いたが、
詩人としての創作活動は相変わらず続けていた。いや、むしろます
ます活発になり、『リアン』の仲間の藤田三郎さんや竹中久七さん
らと友好を深めていた。なかでも竹中さんは理論家で文学の革命を
しようと息巻いていた。『リアン』の表紙絵もシュールレアリズム
(超現実主義)画家、吉賀春江さんが担当。私の家には東京からも
文学仲間がよく訪れていた。山室静氏や堀田善衛氏などもよく来て
いた。
ある日、特高警察が私の家に突然あらわれ、アッという間に父を
連行した。スパイ容疑である。
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------
賢治 日めくり ー8月20日ー
http://www.ihatov.cc/today/8_20.htm
--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------
1930年8月20日(水)(賢治33歳)、湯本村糠塚の元教え子高橋(沢
里)武治に手紙を書いた(書簡272)。
「お変りはありませんか。お蔭で私も今はすっかり常態に復し
、今年中だけ豊沢町で店を手伝ったり今まで書いたものを整理し
たりしてゐるつもりです。あなたの方のこといろいろ伺ひたいこ
とばかりです。花巻へ出ておいでになったら遠くですがどうかお
立ち寄りください。六月柳原君にも会ひました。
お兄さんにもお会ひの節はよろしく。まづは」
またこの日、花巻の料亭「万梅」で催された花巻農学校4回生
(1925年卒業)の同級会に出席した。下はその際の記念写真で、
賢治は前列右から3人目。
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------
岩手山焼走り国際交流村
http://www.city.hachimantai.lg.jp/kankou/spot/yakibasirikokusaikouryuu2.html
--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------
■焼走り熔岩流
岩手山の北東斜面に、1719年の岩手山の噴火により吹き出した熔
岩が、山肌を流れるままに冷えて固まってできたものです。
扇状に広がる黒い岩石帯は、長さ約3km、最大幅約1kmに及び、
緑あふれる周囲とは全く別の荒涼とした風景が広がります。
付近には、この熔岩流を歩くことができる全長約1kmの観察路が
整備され、熔岩流展望緑地に、宮沢賢治の「鎔岩流」という詩碑が
建っています。
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------
--〔書簡〕--------------------------------------------------
[269](1930年春〜初夏)阿部芳太郎あて 封書
花巻町末広町 阿部芳太郎様
杉のおはなしですが、度々植ゑ替へたのでは、どうしても枝の割合
に根が張ってゐないと存じます。それが本年になって、一、湿気の
不足 二、烈しい風 三、表土の浅いこと 四、蟻などの根を浮か
すこと、などの一因子或ひは数因子によって、弱らされたのでない
かと思ひます。
いま葉が黄褐を帯びてゐる様では土用を越すのが六ヶ敷いかもしれ
ませんが、緑色淡く光沢不充分位の所ならぱ、必ず恢復いたしませ
う。
手当としては、一、下の枝を一乃至三本位切り取ること、二、適当
の灌水(夕方やや灌水を多量に与へること)三、木をゆるがして根
が浮くやうならば支柱を与へること、(蟻はおとりになったとのこ
とですから)四、根のまはりを根を切らないやうに環に掘って、腐
った掃溜土を多量に埋めること、五、小便五倍位にして根の上から
かける等の一つ或は数個を適宜ご選択の上お試みなすったらどうか
と存じます。まづは。
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[270] 1930年7月29日 菊池信一あて 葉書
(表)弘前歩兵第三十一聯隊第九中隊 菊池信一様
5.7.29. 花巻町 宮沢賢治
お便りありがたうございました。
お恙もないやうでまことに結構です。どうか国のため郷里のために
折角ご自重ください。私も今はすっかり平常になり小園芸店番など
あちこちできることをやって居ります。本年は稲作は今までの処は
決して悪くありま昔ん。たゞ不景気は町も村もいっぱいです。また
一処にやらうではありませんか。
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[271](1930年7月)(竹中久七あて)下書
ご高著詩集並びに論集いただきました。就てはいつか接受の「リア
ン」同じく貴下よりと存じ併せて厚く御礼申しあげます。
私事大正十五年頃より柄にもなく村で百姓のやうなことしてみたり、
その為烈しく疾んだりしまして、殆んど時世と絶縁の形でした。い
まごろ何か好意で詩文など徴されれば、ただもう病前の状態をやっ
と取り戻して、短いもの書いたりする、気がひける事無類でありま
す。
ご高著の如きに接すること、はなはだ
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[272] 1930年8月20日 澤里武治あて 封書
(表)湯本村糠塚 高橋武治様 平安
(裏)昭和五年八月二十日 岩手県花巻町豊沢町 卸小売 宮澤商
会方 宮沢賢治(封印)〆
お変りはありませんか。お蔭で私も今はすっかり常態に復し、今年
中だけ豊沢町で店を手伝ったりいままで書いたものを整理したりし
てゐるつもりです。あなたの方のこといろいろ伺ひたいことぱかり
です。花巻へ出ておいでになったら遠くですがどうかお立ち寄りく
ださい。六月柳原君にも会ひました。
お兄さんにもお会ひの節はよろしく。まづは
八月二十日
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[273] 1930年9月2日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)
拝啓 残暑之候倍々御清栄奉大賀候
扱今般当郡湯口村有志数名貴工場へ見学に罷出度趣参上の上は相当
量御取引願度由に有之候間何分宜敷奉願上候
次に小生も病気全く退散来春よりは仙台に出づる予定に有之候へ共
今冬は尚当地にて店の手伝など致す積りに有之若し御事情宜しけれ
ぱ執れかの一地方御引受各組合乃至各戸へ名宛にて広告の上売込方
に従事致しても宜敷其辺の御心持伺上候 尤も右仕事は旧正月迄に
は一段落を付ける様の心構へに非ざれぱ明年の需要には遅るゝかと
愚考仕候 先は右御伺迄如斯御座候 敬具
昭和五年九月二日 宮沢賢治
鈴木東藏様
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[274](1930年9月14日〕鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)
拝啓 昨日午前十一時貴工場迄御邪魔に参上仕候処相僧未だに御不
在中にてまことに遺憾に存候へ共御留守のお方より詳細に御案内を
頂き経営上の御苦心等をも色々伺ひ甚感佩仕候 就て今後の御方針
は貴方にて充分御研究の上若し必要も有之候はゞ小生も一分御協力
申上度御座候 尤も小生のみの考にては可成小人数小設備にて先づ
全能力を挙げて需要をも開柘し製品をも産出し全く事情拡張を要し
たる際現今の十倍位の設備となしては如何と存じ参り候 孰れは是
等諸点数回の手簡にて次第に御照会被成下度場合に依ては資金調達
に関する趣意書乃至計画書の如きものを今秋中に作成可致候 先は
右御礼乍ら 敬具
追て別紙は昨日の留守のお方へお渡奉願候。
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[275] 1930年9月14日(あて先不明)
拝啓
昨日は御仕事中へ御邪魔致し色々御案内に預り殊に御宅に迄参上御
手数相掛け誠に難有厚く御礼申上候 一茶翁の詞未だに面白く想起
致居候
先は乍早速御礼追申上度如斯御座候 敬具
昭和五年九月十四日 宮沢賢治拝
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[276] 1930年9月26日 母木光あて 封書
(表)岩手郡御所村 岩手詩集刊行会 母木光様
(裏)岩手県花巻町豊沢町 宮沢賢治(封印)〆
今朝湯口の知人からきゝましたら、あなたから下すったお手紙が住
所の不明か何かで度々返送になったさうなので改めてお便り申しあ
げます。岩手詩集発刊の御趣意は日報で拝見してゐましたし引き続
いていろいろお骨折のご様子も伺ってゐます。当地には梅野草二氏
藤原草郎氏佐藤紅歌氏等も居り一二篇だけでもいゝものを書いてゐ
る人もありますからもしまだ定員になりませんでしたら纏めてお送
りするやう働いて見ませう。ご返事下さらぱ幸甚です。
九月廿六日
私のものも古いですがあげて見ます。但し編輯委員は堅苦しくて
いやですから許して下さい。
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[277](1930年9月)鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)
再啓 貴簡拝誦 御尤の次第に御座候儘父にも相談仕候処漸く御詞
通りの仕儀賛同を得候間可然御手配願上候 尤も資金の件に関して
は父は勿論盛銀常務湯口村長等へ度々申居候へ共何分此の時局にて
殊に私方にては殆んど株式のみを財源と致し居り候処当今の下落の
為に価格負債額を遙に低下し関係銀行より担保追徴の為色々填補に
苦心致し居候次第加ふるに小生は変な主義のため二度迄家を出で只
今としては之等に関しては口を開く資格無之様の訳合にて従来御事
業の必要も有望も充分承知し乍ら御力になり兼ねたるもの全く右に
依る次第何卒御諒解願上候 就て差当っては大麦作付は十月十日迄
に有之宣伝書等至急発送致し度候へ共若し只今印刷のもの無之候は
ゞ次期の分に対し需要先調査の上十月より広告並に売込方に従事致
度存居候 先は右御返事迄 敬具
--〔作品〕--------------------------------------------------
鎔岩流
喪神のしろいかがみが
薬師火口のいただきにかかり
日かげになった火山礫堆〔れきたい〕の中腹から
畏るべくかなしむべき碎塊熔岩〔ブロックレーパ〕の黒
わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから
なにかあかるい曠原風の情調を
ばらばらにするやうなひどいけしきが
展かれるとはおもつてゐた
けれどもここは空気も深い淵になつてゐて
ごく強力な鬼神たちの棲みかだ
一ぴきの鳥さへも見えない
わたくしがあぶなくその一一の岩塊〔ブロツク〕をふみ
すこしの小高いところにのぼり
さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
雲はあらはれてつぎからつぎと消え
いちいちの火山塊〔ブロツク〕の黒いかげ
貞亨四年のちいさな噴火から
およそ二百三十五年のあひだに
空気のなかの酸素や炭酸瓦斯
これら清洌な試薬〔しやく〕によつて
どれくらゐの風化〔ふうくわ〕が行はれ
どんな植物が生えたかを
見やうとして私〔わたし〕の来たのに對し
それは恐ろしい二種の苔で答へた
その白つぽい厚いすぎごけの
表面がかさかさに乾いてゐるので
わたくしはまた麺麭ともかんがへ
ちやうどひるの食事をもたないとこから
ひじやうな饗応〔きゃうおう〕ともかんずるのだが
(なぜならたべものといふものは
それをみてよろこぶもので
それからあとはたべるものだから)
ここらでそんなかんがへは
あんまり僣越かもしれない
とにかくわたくしは荷物をおろし
灰いろの苔に靴やからだを埋め
一つの赤い苹果〔りんご〕をたべる
うるうるしながら苹果に噛みつけば
雪を趣えてきたつめたい風はみねから吹き
野はらの白樺の葉は紅〔べに〕や金〔キン〕やせはしくゆすれ
北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
(あれがぼくのしやつだ
青いリンネルの農民シヤツだ)
(校本全集2 「心象スケッチ 『春と修羅』」より)
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--〔後記〕--------------------------------------------------
今日から四連休ですね。東北の桜ももうおしまいなのでしょうか。
来週の土曜日は花巻に行きます。宮沢賢治学会の理事選挙管理委
員なんです。午後には終わるので、時間があれば「東北砕石工場」
の跡にある「石と賢治のミュージアム」に行ってみようと思ってい
ます。
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