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サキさん、58歳でアーリーリタイア、タイ北部の町チェンマイに移住しました。それから7年、 移り変わるチェンマイの日常を綴った生活記です。

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2008/01/07

サキさんのチェンマイ日記

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■ 504■ 1月7日 2008

「国民党の村」

  国民党の村に行ってきました。

暮れも押し迫った12月30日、とこう書くと年末の雰囲気が出るのですが、あ
いにくチェンマイは一時の寒波も過ぎ去って、相変わらず日中は暑い毎日が続い 
ています。今年は暖冬(おっと、これも日本的表現でこちらでは乾期です)のよ
うで、玄関の屋根のフアンセーが早くも花を咲かせ始めました。例年なら2月に
 咲く花です。

裏庭に作った家庭菜園では、細ネギが早くも収穫できる大きさに成長しました。
三つ葉は正月のお雑煮に入れていただきましたが、さすが生成りをちぎって使っ 
たので、あまりにも柔らかくお雑煮の中で存在感が薄く感激は今一歩というとこ
ろです。ネギは冷やしそうめんに入れて食べると最高で、こちらでは年中暑いの 
でこれからが楽しみです。

暮れの紅白歌合戦は全く期待はずれで、楽しめませんでした。笑福亭鶴瓶は司会
者としてはミスキャストで、普段出ている「家族に乾杯」のままで、これでは年
 末恒例のこの番組には不釣り合いです。もっとエンターテイメント性を発揮しな
なければ彼の存在感が薄れてしまいます。今年の年末はご遠慮いただきたいもの 
です。海外にいるとこの種の日本恒例の番組が非常に楽しみです。

チェンマイでは、この紅白は午後5時20分から始まります。外はまだ明るくし
ばらくしないと薄暮になりません。終了は午後10時、2時間の時差があるので 
当然ですが、それでも続いて始まる僕の好きな「ゆく年、来る年」が始まるとな
んだか今年一年の思い出などが瞬時に頭に中を巡り、年の瀬を感じさせる雰囲気
 が醸し出されます。この番組が終わるまで毎年ちゃんと起きているのですから、
1年に1度だけ僕の体内時計はきちんと日本時間にアジャストされるようです。
 無聊をかこっているチェンマイ生活では夕食がすんで、8時になるともう眠気が
襲ってきます。

年末に訪れた国民党の隠れ里は チェンマイから約100キロ余の北にあります。
先日訪れたパイの温泉地と同じく、急な山坂を覚悟していたのですが、なだらか
な2車線道路を走っている間に 着いてしまったというのが偽らざる感想です。助
手席の家人などは、日本は島国、列島の真ん中に高い山脈があるので、どこに出
かけるのでも厳しい峠を超えて いかなければならないが、ここは大陸、山岳地帯
と言ってもその様子が日本とは大違いと理解しているようですが、僕はいつもチ
ェンマイから違う町に旅行をす ると期待が裏切られる思いをします。

僕の育った山国では、隣の町に出かけて行くに必ず急な山坂を超えていかなくて
はならず、峠をいくつも超えるときは、周りの深い山が迫ってきて、そんな中を 
頼りなげに続いている細い道を走っていると、道を間違えたのではという不安が
襲ってくることがしょっちゅうでした。深山渓谷はなんとなく薄暗く、不気味な 
感じがしたものです。

ところがチェンマイからほかの町に出る場合は、空はあくまで広く、いつも底抜
けに明るい太陽が照りつけています。道路はどこまでも一直線で変化に乏しい景
 色がいつまでも続きます。それだけ南国は開放的ともいえ、こんな道路を運転し
ていると、物事をくよくよ考えたり、陰湿になっていたりすることとは無縁の世 
界で、僕はこの世界が大好きです。それに、年中暑さの中にいるとなんとなく安
心感があふれ出してきて、心が晴れます。だけど、真剣にものを考えなくなる傾 
向があり、これはちょっと困った問題です。すべてのことを「マイペンライ
(問題ないさ)」で片付けようとする自分がいたりして困ります。

そんな2時間のドライブで、ことのほか簡単に国民党の村に到着してしまいまし
た。タイは国中に立派な道路網が張り巡らされているので、国 民党の村の入り口
まで2車線の舗装道路が走っています。未舗装の細い道路は村の中のごく一部だ
けです。

この村は2次大戦最中、中国内戦で毛沢東の共産軍に敗れた国民党が逃れて住み
着いた村です。国民党の主流は台湾に逃れ、そこで政権を確立しましたが、敗走 
した国民党は南にも逃げ、その一部がタイ北部の国境地帯に住みつついたという
のが歴史的背景です。

また、タイ北部とミヤンマー国境のこの地方は、タイ山岳少数民族が沢山住んで
おり、今回訪問した村はその中の一つリス族の村でもあります。

こん亜歴史的な背景ですから、国民党の子孫と、リス族の娘というカップルが沢
山います。今回訪問した村長さんの家も、当主はここで生まれた2世ですが、奥
 様はリス族と中国人の混血という複雑な血筋をしています。

今回は正月休みで台湾にいる次女が同行しました。彼女は台湾企業で仕事をして
いますので北京語が堪能です。山の上の教会に行く途中で、奥さんの弟と北京語 
で会話をしている姿を見ると、なんだか不思議な感じがしてきます。結局人間は
国や人種ではなく、話す言葉でコミニュニケーションが生まれ、意思の疎通を図 
り親近感が生まれます。氏より育ちというわけです。

タイ語、中国語、リス族の言 葉、ここでは多くの言葉が普通に使われているのに
気がつきます。次女の話では、ここでの北京語は全く訛りのない綺麗な言葉だと
いいます。そのあたり歴史の 出自が息づいている感じで、ちょっと複雑な気分に
ささられます。

村長さんは中国語を実に綺麗に書くことができます。「字文明」が村長さんの
名前です。もっと年配の人を想像していたのですが彼は40歳半ばと言うこと
で す。娘さんが2人いて現チェンマイの学校に行っています。明るい、英語を
話す娘さんです。

僕たちが村を訪れた日は、教会のクリスマスパーティーの日でした。
村長さんの家で話し込んでいると、奥様の不在を「今日は教会のパーティーで手
伝いに行っている」とのことでしたが、昼時になり教会に出かけて昼食を一緒に
 しようという提案がありました。村長さんはクリスチャンではないと言いますが、
問題ないとからと誘います。彼のピックアップで村の一番高い場所にある教会 に
出かけました。

曲がりくねった坂道を村長さんは実に巧みに車を運転します。チェンマイから
100キロを飛ばして運転してきた僕も、この道ではこれほど巧みにハンドルを
 さ ばけません。ここは海抜1500メートルの高地です。山肌に連なって建っ
ている小さな家の軒ぎりぎりに車は登って行きます。

教会に着くとそこにはリス属の晴れ着を着た人が沢山集まっていました。赤と黒
を基調にした晴れ着は何回見ても、よくこんな高地で、こんな原色の色使いが出 
来るものだと感心させられます。その昔、エクアドルの高地キト郊外で見たイン
デオの集団の衣装も同じような色使いでした。何か関係があるのだろうかと思う
ほど酷似しています。

色使いと気候の関係は僕の興味あるテーマですが、タイ北部の村と南米エクアド
ルのアンデス山脈とは全く関係がないと思われ、そうすると同じ色彩感覚はどこ
 から生まれるのだろうと考えを巡らすと、興味が一段と増してきます。

今回の訪問した村は、それほど生活が厳しいとは見えません。村長さんの家には、
雑多な古着がまとめてありました。それに小型の冷蔵庫もありました。これは ど
こかのボランティアが寄付した物だと思われます。しかし、村の人は実にこぎれ
いな格好をしています。この種の寄付はそれほど喜ばれる品物ではないような 感
じがして仕方がありません。この辺りに一般人の思い違いがあるように考えます。

晴れ着を着た村人はみな底抜けに明るく、朗らかです。村での主な仕事はタイ王
室の進めているロイヤルプロジェクットです。村長さんの畑とロイヤルプロジェ 
クトの農園を見学しました。

舗装道路を入るとそこは泥だらけの、赤土の道路でした。車で降りていくのが怖
いくらいの坂道です。雨期にはこの道は恐怖の道と化すそうです。しばらくそん 
な道を走っていくと、山肌に整然と作られた畑が広がってきます。

ロイヤルプロジェクトの農園はひっそりと静まりかえています。事情通に言わせ
ると、ロイヤルプロジェクトの6割は失敗しているといい ます。ロイヤルという
よりは、これはタイ政府農林省の管轄で、事業が始まった初年度は、政府から援
助金が出るので、スムーズな滑り出しをします。しかし、 政府援助は短期ですの
で援助が切れた後の経営が上手く行かないようです。建前は自主独立で、貧しい
山岳民族の援助と、麻薬撲滅運動がプロジェククトの骨子 になっていますが、援
助が切れるとうまく自立できず赤字に陥ってしまうようです。ここのプロジェク
トは現在4家族でやっていると案内の女性は語っていまし た。

野菜を栽培しているハウスを見せてもらいましたが、鉄骨で柱を立て、天井から
散水装置を取り付けた本格的なハウスですが、政府援助があるからここまで立派
 な設備ができるので、このハウス1棟分でゆうに家が一軒建つぐらい経費を使っ
ているといいます。ここも援助は既に打ち切られており、そういう目で見れば農
場はは何となく活気がありません。

それに隣接してある村長さんの 畑は、ロイヤルプロジェクトと比べると、ハウス
は手作りの感じで、見場はそれほどよくはありませんが、立派に散水装置もそろ
っています。この畑では、立派 なホウレンソウが収穫されると言うので期待して
出かけましたが、あいにく出荷した後で、畑には何も残っていませんでした。朝
夕の寒さが厳しい高地での野菜 栽培は今、農閑期のようです。

その後出かけた教会の昼食は中国式の料理でした。野菜と豚肉を炊き合わせや、
野菜スープなどここで取れる野菜がメインの料理をふるまわれました。ここでの
 食べ方はスプーンとホークのタイ式ではなく、茶碗に箸という中国式で食事をし
ます。ご飯はお皿ではなく、ちゃんとお茶碗に盛ってくれます。リス族のご夫人 
方がつききりで給仕してくれます。面白いことに一膳飯は失礼に当たるそうで、
2杯目も山盛りにご飯をよそってくれます。なんだか日本とよく似ています。

午後の時間をこの教会で過ごしました。今日は村中総出の感があり、小さな子供
たちも無心に遊んでいます。といってもその遊びは僕たちの 子供の頃と変わらず、
風船に水を一杯入れて、それを友達にぶつける単純な遊びや、つばで肌に絵を写
す入れずみのような遊びです。こんな単純な遊びでも、元 気はつらつで幸せそう
です。僕の抱いていたイメージは完全に覆されてしまいました。こんな村に生ま
れて一生を過ごすのも、これまた人生だとつぶやくと、そ ばの家人は、ここは今
や人里離れた山の中ではなく、かなり開けた郊外と言えるのではと感想を述べま
す。見るとピカピカのバイクが沢山走っており、ピック アップトラックを沢山目
撃します。

ひと走りするとチェンマイまでは2時間足らずです。交通網の発達が日本の田舎
をかえたと同じように、ここ国民党の村も車の発達が様子を一変させています。 
村長さんは、子供時代は貧困で生活が大変だったと言いますが、その点、現在は
ロイヤルプロジェクトで働いている若者も多く、生活は安定しているようです。
 若者が町に出て行ってしまって過疎化している日本の山村とは様子が違います。

携帯電話も普及しています。ここでは僕の携帯は着信専用になり使えません。
彼らのものは一旦アンテナで中継される方式のようです。村長さんの家に戻り彼
の手作りの酒をいただきながら話が続きます。粟を原料にしたこの酒は、結構ア
ルコールが強いので、チェンマイまで運転して帰れないと固辞すると、「なに、
30分もすれば運 転には支障がなくなるよ」と勧められます。山の住人はことの
ほかアルコールに強いと言いますから、うかつに飲んでしまっては後が大変です。

庭の桑の実や、自家製の「高山 茶」などをいただきながら、話はつきません。今
度の夏期は、この村で農作業を手伝いながら村長さんの家にお世話になろうかと
いうと、ぜひ来なさいと快い返 事です。でも、なまってしまった身体ではどだい
無理でしょうと家人に軽くいなされてしまいました。

自家製の酒は、今回いただいた物のほかに(4年間熟成したもの)8年ものの幻
の名酒があるということですが、次回の訪問のおりにはぜひご相伴にあずかりた 
いものです。4年物の酒はペットボトルに入れてお土産に持たせてくれました。
村長さんはどこまでも親切です。



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