「日本史なんて怖くない」 RSSを登録する

高校日本史を文章とそれをまとめたノート形式で説明しています。日本史をもう一度勉強したいという方にも高校生にも好評です。現在は近代史です。

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2008/05/16

「日本史なんて怖くない」大衆運動の高揚

この記事を取り寄せる

☆                                 ★

 「日本史なんて怖くない」 2008年05月16日発行 第 855号

 このメルマガは等幅フォント、半角72字以上で見ることをお薦めします。

読者数(前回配送時) 総読者数:3990人  まぐまぐ:1619人
  カプライト:759人  melma!:1206人  めろんぱん:406人

  ────────────────────────────────
          〜 メルマ!読者アンケート 〜
        アンケートに答えてプレゼントをもらおう!
           ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼
           http://ad.melma.com/to?id=27454 
  ────────────────────────────────
===================================

■ 今回の内容 ■
┃大衆運動の高揚
┃本日のノート
○大衆運動の高揚
 ・労働運動・ストライキの激化…インフレと食糧難の結果
   餓死対策国民大会、復活メーデー、食糧メーデー
   生産管理闘争、10月攻勢
   二・一ゼネスト計画…吉田首相の「不逞の輩」発言が背景
             GHQの中止命令→「一歩退却、二歩前進」

○中道政権の誕生
 ・GHQが総選挙の実施勧告…吉田内閣の経済政策に不満
   参院選、総選挙とも社会党が第一党も単独過半数の政党なし

 ・片山哲内閣…社会党・民主党・国民協同党の連立
    労働省の新設、内務省の解体
    社会党左派の党内野党宣言や炭鉱国家管理問題などで総辞職

 ・芦田均内閣…民主党・社会党・国民協同党の連立
    昭電疑獄で総辞職


┃文章
 インフレーションと食糧難の結果、労働運動が激しくなり、ストライキも頻
繁に起こった。1945年11月に餓死対策国民大会が開かれ、1946年5月1日の復
活メーデーでは皇居前に50万人が集まった。12日に世田谷区での米よこせ区民
大会が皇居にデモ行進した。19日に食糧メーデー(飯米{はんまい}獲得人民
大会)<注1>が、約25万人を集めて皇居前広場で開かれた。大会は共産党の
徳田球一{とくだきゅういち}らを代表に選び、デモ隊は天皇との会見を迫っ
た。さらに、吉田茂の組閣本部に座り込み、組閣反対、食糧危機打開のための
人民民主政府樹立などを要求した。翌日、マッカーサーが暴民デモ禁止を声明
し、鎮静化した。

  <注1>この時、「詔書 ヒロヒト曰く 国体はゴジされたぞ 朕はタラ
      フク食つてるぞ ナンジ人民飢ゑて死ね ギョメイギョジ」とい
      うプラカードが出た。メーデーの責任者植島松太郎が不敬罪で起
      訴された。GHQは、「不敬罪は新憲法の『国民主権』『基本的
      人権の平等』の理念とは合わない」という見解を示し、植島は名
      誉毀損で有罪となった。最後の文が「ナンジ臣民飢ゑて死ね」と
      言い換えられ、流行語となった。不敬罪は1947年廃止。

 1946年後半、生産管理闘争が起こった。この闘争は、生産をせず、原材料の
横流しを防ぐため、労働者が自主的に業務を管理・運営するものである。同年
10月、首切り反対、賃上げ要求を掲げて10月攻勢(10月闘争)が起こった。年
末には全官公庁共同闘争委員会(共闘)が結成され、越年資金支給、最低賃金
制の確立を求めて、政府交渉を行なった。

 吉田茂総理大臣が、1947年の年頭の辞で労働者を「不逞{ふてい}の輩{や
から}」と呼んだことから、1月18日に2月1日にゼネスト<注2>を決行す
ることを宣言した。二・一ゼネスト計画である。しかし、GHQはゼネストが
日本経済を混乱に陥れるとして、スト決行の前日に中止命令を出した。共闘議
長の伊井弥四郎{いいやしろう}も中止命令を出し、「一歩退却、二歩前進」
とラジオ放送で団結を呼びかけた。

  <注2>ゼネラル・ストライキの略。全国全産業が一斉にストライキを行
      なうこと。

 マッカーサーは、吉田内閣の経済政策に不満を持ち、1947年3月に総選挙の
実施を勧告した。3月31日に衆議院が解散され、大日本帝国憲法下の帝国議会
は幕を閉じた。同日、改正衆議院議員選挙法が公布され、大選挙区連記制から
中選挙区単記制となった。日本国憲法の施行が近づいていたため、選挙ラッシ
ュとなる。吉田茂は貴族院議員だが、日本国憲法では貴族院はなくなるため、
国会に議席がなくなることになる。もし、総理大臣であり続けるには、国会に
議席を持つ必要もあった<注3>。

  <注3>日本国憲法では、総理大臣は国会に議席を持たなければならない
      という条項がある。しかし、国会で指名される必要はある。

 4月5日に都道府県知事・市町村長の選挙、20日に第1回参議院議員選挙、
25日に第23回衆議院議員総選挙、30日に地方議会議員の選挙が行なわれた。参
議院議員選挙の結果、日本社会党47名、日本自由党39名、民主党29名、国民協
同党10名、日本共産党4名、諸派13名、無所属108名だった<注4>。総選挙
は、日本社会党143名、日本自由党131名、民主党121名、国民協同党29名、日
本共産党4名、諸派・無所属38名だった。吉田茂は、実父の出身地高知から立
候補して当選する。日本社会党が第1党、政権政党の日本自由党が第2党とな
ったが、単独で過半数を確保した政党はなかった。

  <注4>民主党は、日本進歩党と日本自由党脱党者で結成された政党。国
      民協同党は、日本協同党と地方小政党と国民党の合同で出来た政
      党。

 日本国憲法が施行された後の5月20日、第1特別国会が開かれた。第一次吉
田内閣は総辞職し、日本社会党委員長の片山哲{かたやまてつ}が首班指名を
受けた。翌日、片山が全閣僚を兼任して認証式を行ない、片山内閣が成立した
<注5>。片山は、日本自由党、民主党、国民協同党と連立協議に入ったが、
日本自由党は連立に加わらないことを表明したため、社会党、民主党、国民協
同党の三党連立となった。

  <注5>正確には全閣僚の認証を受けた6月1日。

 片山内閣は、9月1日に労働省を新設し、12月31日に内務省を解体した<注
6>。物価と賃金の調整に手間取り、労働運動とも対立した。三党連立のため
もあって、積極的な社会主義政策を実施できなかった。さらに、平野力三{り
きぞう}農林大臣を罷免された日本社会党左派が、「党内野党」宣言をして、
炭鉱国家管理問題などを攻撃したため、片山内閣は総辞職した。

  <注6>初代労働大臣は米窪満亮{よねくぼみつすけ}、最後の内務大臣
      は木村小左衛門{こざえもん}。

 片山内閣が総辞職した後、同内閣の外務大臣で民主党総裁の芦田均{あしだ
ひとし}が、1948年3月10日に社会党、国民協同党との連立で内閣を組織した
<注7>。しかし、4月27日、衆議院不当財産取引委員会で、昭和電工の日野
原節三{ひのはらせつぞう}社長が復興金融金庫からの融資をめぐって政界・
官界に行なった贈収賄事件が発覚した。昭和電工事件(昭電疑獄)である。栗
栖赳夫{くるすたけお}経済安定本部長官、西尾末広{にしおすえひろ}前国
務大臣(副総理)らが逮捕され、芦田自身にも嫌疑がかかり、10月7日に総辞
職した。

  <注7>衆議院では芦田均が、参議院では自由党総裁の吉田茂が指名され
      た。両院協議会でも3分の2の多数を得られなかったため、衆議
      院の優越を定めた憲法67条に基づき、芦田が指名された。


■ コーヒー・ブレイク ■ お休みです。


            <発行者からのお願い>

ご質問・ご意見・激励のメールは、このメルマガを返信する形で届きます。不
要な部分を削除して送信して下さい。本誌上でさらに説明いたします。

以下のサイトから発行しています。メールマガジンの購読・解除は、下のUR
Lからご自身でお願いいたします。代理登録・代理解除はいたしません。解除
される方はどのサイトでお読みかを確認してから解除して下さい。
 まぐまぐ:http://www.mag2.com/m/0000010012.htm
 melma!:http://www.melma.com/backnumber_10441/
 カプライト:http://cgi.kapu.biglobe.ne.jp/m/353.html
 めろんぱん:http://www.melonpan.net/mag.php?000007

☆                ★                ☆

「日本史なんて怖くない」(毎週火曜・金曜日配送)
 発 行 者:村田圭(kei-mu30_his2@nifty.com)
 ホームページ:http://homepage1.nifty.com/keimurata/
               (バックナンバーは「日本史」にあります)
    掲示板:http://8526.teacup.com/keimurata/bbs2

★                ☆                ★

            <発行者からのお願い>


次回は?
 内容は、「占領政策の転換」です。
 「その時歴史が動いた」は、
          「興亡 北の黄金王国〜奥州藤原氏 vs 源氏〜」です。

最後にひとこと:専門外の授業は疲れますわ。

======================================================================
 いますぐ当たるスロット懸賞!今アッタール!
http://www.ataru.jp/index.php3?aff=60720
プレゼント提供者に住所も電話番号も渡さずに応募できます。
もれなく全員に500ポイント(100円分)プレゼント! (^▽^*)
======================================================================

この記事を取り寄せる
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る