2008/08/24
知の食卓161
乾電池王 屋井 先蔵 Japanese invented dry battery in the world. The inventor was Sakizou Yai in 1887. Dry battery was very useful in winter in Japanese-Sino war. As he did not report it in the world, his brilliant invention was recognized in the world. 電池の発明はイタリアの「ボルタの電池」が有名です。これは、塩水に銅板(+)と 亜鉛版(-)を浸し、双方を導線でつないだものです。1799年のことです。その後、 フランスのルクランシュ式電池が発明され実用化されました。これは、電解液と して塩水のかわりに塩化アンモニウム液を使い、二酸化マンガン(+)と亜鉛(-)を 電極にしたものでした。 しかし、この液体電池は、重いし取扱いには不便でした。しかも電解液の補充が 必要でしたし、電極も時々清掃をしないと発電能力が低下してしまっていました。 さらに、冬場は凍結して使えないといった欠点がありました。 そこで、これらの欠点を解決する乾電池が明治時代に日本で発明されたのです。 発明したのは、屋井先蔵(やい さきぞう)氏です。 屋井氏は 1863年(文久3年)、新潟県の長岡に生まれました。1874年(明治8年) 東京の時計店に丁稚として入りました。1889年(明治22年)、複数の時計が電池で 正確に動く「電気連動時計」の発明に見事成功しました。使用した電池は液体電 池でした。使用していた液体電池の取扱いの不便さから、この「電気連動時計」 は殆ど売れませんでした。そこで、本格的に「乾電池」の開発に取り掛かりまし た。 屋井先蔵が開発した「乾電池」は、塩化アンモニウム液を電解液として使い、 二酸化マンガンと亜鉛を電極にすることは同じでした。まず、電解液である塩化 アンモニウムを紙に染み込ませて使うことを考えました。しかし、この電解液が 陽極に染み出て腐食させるため直ぐに使えなくなったのです。この液漏れについ て3年間に及ぶ苦心の研究の結果、陽極の炭素棒をパラフィンで煮ることにより その問題を解決し、ついに実用的な乾電池を完成させました。屋井先蔵は、1892 年(明治25年)、「乾電池」の特許を出願します。 1893年(明治26年)に行われたシカゴ万国博覧会に帝国大学理学部が地震計を出 展し、これに使用された屋井式乾電池は、世界から大きな注目を浴びました。こ れが、アメリカ企業に模倣され、翌年には「Dry battery」という模倣品が舶来 品として日本に逆輸入されたのです。屋井先蔵は、日本で乾電池を発売しました が、売れませんでした。その当時日本には、乾電池を使う日用品がなかったので す。 しかし、1894年(明治27年)に日清戦争が勃発し、発行された号外で、満州にお いて使用された軍用乾電池の大成功に関する記事が掲載されました。従来、液体 型の電池が使われていましたが、満州の寒気のため液体が凍結のため使うことが できず、乾電池だけが使用できたのです。そのため号外で「満州での勝利はひと えに乾電池によるもの」と報道されました。新聞はこの乾電池が屋井のものであ ることを聞きつけ、翌日の新聞にこれを書き立てました。 屋井先蔵は、1910年(明治43年)神田区錦町一丁目に販売部を新築し、同時に 浅草神吉町に工場を設けました。海外品との競争に勝ち、国内乾電池界の覇権 を掌握するまでに発展し、「乾電池王」とまでうたわれるようになりました。 1927年 (昭和2年)胃がんに侵され、急性肺炎を併発して急逝しました。享年 66歳でした。屋井乾電池は、松下電器産業との競争に敗れ、1950年(昭和25年) に屋井乾電池の名は乾電池工業会の名簿から消えてしまいました。そのため、 現在名前を知る人は少ないのです。 「参考文献」 「発明立国ニッポンの肖像」上山明博、文藝春秋 2004


