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黙示録は聖書の一つの書です。ここには”終末”に関する預言が書かれています。「黙示録を読む」は黙示録を始めとする聖書の”終末”に関する預言書のたとえや謎に挑戦し、預言の読解,解釈をするメルマガです。

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2009/11/03

mokusiroku第3589号

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    □□□□□「黙示録を読む」□□□第3589号  
    2009/11/3発行(毎週火曜日発行) 
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■■■「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いてそこに書かれている
こ 
とを心にとめる人々は幸いである」黙示録1:2■■■ 
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□□□今週のもくじ□□□ (火曜版) 
◆ 
NO.557救いと言うことばについて 
  

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みなさん、こんにちは。エレミヤです。 
おかわりありませんか。 

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NO.557 救いと言うことばについて 
  

”テキスト:マタイ1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけ
なさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってく 
ださる方です。」” 
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本日は、救いと言うことばについてという題でメッセージをします。 
このことばに関して少し考えてみたいと思うのです。 

私達クリスチャンがキリストを信じる時、そのことを教会用語で、「救われた」
と いいます。救いということばは、キリスト教においてのみいわれる独特な表現
です。 

他の宗教では、信じるとか、信者になるとはいうとしてもそのことを 
さして、特別なことば、救いを使っったりしないからです。 

私達クリスチャンにとり、救いということばはあまりにも 
身近なことばではありますが、しかしこのことばの意味合いを改めて考えてみ
たい、 そう思っているのです。 

他の箇所でこのことば, 
「救い」はどう使われているのでしょう。 
この救いと言うギリシャ語は以下の箇所でも使われています。 
  

”マタイの福音書 8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして
言った。「主よ。<助けて>ください。私たちはおぼ 
れそうです。」” 

上記「助けて」というこばが「救い」と同じことばなのです。 
このことを通して、「救い」ということばに関して少し示唆があると思えます。
 
神は我々クリスチャンがキリストを信じた時、ただ単に「信じた」「信者とな
った」とのみは 語らず、逆に「救い」ということばをもってこのこと
を指し示します。

このことについて考えると、その 
意味合いがわかってくるということなのです。 

この箇所は、弟子達が海が荒れて、命の危険があるかという時、キリストに 
助けを求めたその箇所です。 

その時、弟子達は「助けてください(救ってください)」と願ったのです。 
このことは、救いと言う言葉を理解する助けとなります。 
救い、その意味合いは私達の命を救うという意味があるのです。 
  

救いを必要とするのは、この弟子達の様に 
命の危険がある、溺れたり、船が転覆したり、危険な 
状況にある人々です。私達は海で溺れることはないかもしれませんが、 
しかし、その状態は誰でも、救いが必要なものです。 

救いとは命を得ることですが、その命を得ることは、永遠の命を得ることに通
じます。 

そして、永遠の命を得ることは、永遠の滅び、刑罰に渡されることの反対のこ
とばです。 

何をいっているのかというと、もし私達が救われなかったら、イエスを信じな
かったなら、 明らかに命、永遠の命を失い、結果、永遠の滅びに
渡される、そのことをいっているのです。 

このこと、救われるということは、今の世ではあまりありがたみがないかもし
れませんが、 しかし、後の世、次の世において、そのことの
大変な意味合いが理解できるようになるでしょう。 

命のありがたさ、救われたことのありがたさがわかるのは、大きな滅びを目に
した時です。 

原爆は、日本における恐るべき悲劇であり、 
これにより、30万人もの人が死にました。このことに関して
こんな話をききました。 

その原爆が落ちたその日、ある人が工場へでかける予定でした。 
その工場は、爆心地にあり、その日、原爆が落ちた日、工場勤務の他の人々は、
 皆、死んだり、負傷をしました。

しかし、その日、その人はある理由で 
工場へ出かけなかったということです。 
結果、彼はその災害を免れたとのことです。 

彼はその現場へ後で行き、その惨状に息を飲んだということです。 
彼はぴんぴんとしており、彼の体は健康で無傷なのですが、他の人は 
焼けこげたり、死体になってころげていたのです。災害から、 
救われるということと、そうでなく命を失うこととの間にはかくの 
ごとく大きな区分があるのです。 

こんな例は良い例かどうかわかりませんが、私達の救いも同じなのです。 
私たちが救われたという時、それは、永遠の命に入ることなのですが、 
しかし、今の時においては、その真価はあまりはっきりとわからないかも 
しれません。 

しかし、後の日に多くの人が火の裁き、刑罰に会う時、それをまじかに見る時、
 
私達はその真の意味合いがわかるでしょう。 
滅びから、免れ「救われた」ということの真の意味合いを。 

さて、このことは、聖書の神にとり自明のことであり、 
そして、サタンにとっても自明なのです。 
しかし、「始めから人殺し」であるサタンは、人に命を与えないため、永遠の
 命を与えないため、逆に永遠の滅びに至らせるため、あらゆる画策、 
妨害、すりかえ、惑わしを行っていることを理解すべきです。 

エデンの園で、エバを惑わし、命の木、すなわち永遠の命から遠ざけた 
時以来、彼、サタンの全ての行い、方法、努力は「人殺し」として、 
人に永遠の命を与えないことに費やされていることを知りましょう。 

彼は肉体の命を人から得ることに大きな力を費やしますが、それだけでなく、
 
永遠の命を人から遠ざけ、滅びに多くの人を送り込むために多大な努力をして
いるのです。 

彼の方法は色々ありますが、 その一つは、聖書をねじまげ、 
地獄なんか存在しないと思わせることです。だまされた人は、死後、 
やっぱり聖書の記述は本物だった、本当に地獄は存在していたのだt、 
ハデスの火の中で理解するわけです。あの「金持ちとラザロ」の金持ちの 
様に。 

ローマカソリックはさかんに地獄は実際には存在しないと語っています。 
そんな嘘つき神父やら、法皇のことばを優先し、聖書を投げ捨てた愚かな 
カソリック信徒どもは地獄に行って始めて「あら本当に存在していたんだ」と
 気がつくわけです。本当にあほたれです。 

その二は、地獄の存在を否定しない人には、あなたはそこに入る可能性はない
として、 根拠のない安心を与える方法です。

カソリックのいう 
れん獄やら、セカンドチャンスの教えはこの手の嘘です。 
現世でしゃかりきに天国へ入るべく力を尽くさなくても 
大丈夫、次の世でもまだまだ、チヤンスがあるからと 
何らの根拠のない安心を人々に与えているのです。 

結果、だまされた人は、この世ではすっかり、世的になり、 
罪にどっぷりとつかり、死後、ハデスの火に直行します。 

主はそんな考えを否定し、この世において我々が 
力を尽くして命、永遠の命に入るよう、努めることを勧めました。 

さて、旧約においてこの救いということばはどの様に使われているのでしょう。
 
  
  

”出1:22また、パロは自分のすべての民に命じて言った。「生まれた男の
子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子 
はみな、生かしておかなければならない。」” 

ここでは、エジプト王パロがヘブル人の生まれた子のうち、男の子は、ナイル
に投げ込み殺し、 しかし、女の子は、生かす(救う)ことを語っています。 
ですから、救いとは命を救うことなのです。
 
肉体の命を救うまた、死後の裁きにおいて、永遠の滅びから救われたというこ
となのです。 

そして、繰り返すようですが、救いの本当の意味合いは、滅びや、刑罰のこと
を真に知らない限り、 正しくは理解できないでしょう。 

私の子供の頃、学校へ行くと何しろ、平和ということばがよく言われました。
 平和憲法だとか、平和社会とか、よくいわれていたのです。 
しかし、平和とは子供にとって、抽象的なことばであり、正直よく実感できま
せんでした。 

それは、私が戦後に生まれた、いわゆる戦争を知らない子供たちだったからか
もしれません。 

平和の反対語は、戦争であり、戦争を知らない人にはその反対のことば、戦争
がない 状態を現す平和ということばは実感できないのです。 

しかし、戦争を経験した人々にはこのことばは、戦争のない状態として、大い
に理解できることばなのです。毎日空襲警報に脅かさ 
れた生活をした人々にとり、また空襲により、焼け出され、家を失い、 
父母を失い、何とか逃げ延びた子供にとって、平和すなわち、もう戦争の災い
に会わない日として、 大いに理解できるのです。 

聖書を書かれた神は私達クリスチャンがキリストを信じることを信者になる、
 クリスチャンになるという表現より、むしろ「救われた」ということばで表現
しました。 

救われたとは災い、滅びから、救われた、免れたという意味合いであり、 
私達クリスチャンは死後、神を受け入れない人々に下される恐るべき刑罰を理
解しない限り、 このことばの真の意味合いは理解できないのです。 

しかし、終末の日はこの大事なことばを忘れ、救いをないがしろにし、 
結果、恐るべき刑罰へ自ら入っていく愚かな人々の続出する日、このことをも
とらえましょう。 

終末における主のみこころを行いましょう。 

ー以上ー 
  
  
  

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