2008/12/12
中国体験を総括すれば−2 (048)
「追われる日本、追いつく中国」 ━ 日本語教師のメガネを通して見る中国 ━ 中国体験を総括すれば−2 (048) 中国で実感した衣食住の住を振り返ってみよう。 幸いにも、際立って苦労したという記憶がない。 広大なキャンパスの一画に建てられた完成してまだ新しい瀟洒な4階 建ての外国人老師(外教)専用の「コンパウンド」に住んでいたため、 中国特有の市中の喧騒とは無縁の生活を送った。留学生も住んでいた。 キャンパスを一歩出れば、中型スーパーがあって買い物に不自由なく、 学生相手のレストランや露店も立ち並び、日々何かと利用したものだ。 各戸ともに2LDK、プロパンに加えて電子レンジ、オーブンがあり、 中型の冷蔵庫も備えてあって自炊も不自由ではない。外国人のために、 大学当局が投資を惜しまなかったのか、近隣の他の大学よりも優れる。 但し、重厚な造りの洋服ダンスや書棚があるのに食器戸棚がなかった。 日本の感覚からすれば片手落ちと思うが、納得するしかない。食堂や 居間、書斎にはそれぞれに机と椅子、寝室にはダブルベッドが備わり、 脱水機能つき一槽式の電気洗濯機もあった。子持ちには狭いだろうが、 夫婦で暮らすには十分だ。何故か知らないが、中国人と結婚している 何組かの英語系の老師夫婦が住んでいた。不思議に電気掃除機はない。 もちろん、フィリップスなどの製品が、市中では数多く売られていた。 湿度が高くて畳の部屋がある日本では必需品だが、湿度が低く、板や 石敷きの床が一般的な中国、モップがあれば十分と考えたのだろうか。 2年半の間、わたしも掃除はモップだけで通した。 居間、書斎、寝室にはエアコンが備わっていた。 この地は、春と秋の気配が判然としないまま夏と冬に突入する。冬は 猛烈に寒く、夏は猛烈に暑い。重慶・南京・武漢を「中国三大釜」と いうが、夏の暑さでは、それらの都市にも負けないという話があった。 毎年の夏を夏休みで帰国、難を逃れてきたが、厳寒は経験させられた。 着任早々の最初の2月、書斎と寝室のエアコンの効きが悪くて困った。 厚手の掛け布団に毛布、夏掛け布団、枕、シーツなどが備わっている。 夏掛けも重ねてまだ寒い。ついにフリースも靴下もつけたままで寝た。 中国製造のエアコンの性能は、こんなものかとあきらめかけていたが、 試しに外事処に掛け合ったところ、業者が2人で来て修理してくれた。 ところで、エアコンは大学の一部の教室にあるが、学生の寮にはない。 残暑の昼下がり、寮へ行ったら学生があちこちの床にマグロのように 転がって昼寝をしていた。床が人造石だから少しは暑気を払えるのだ。 3部屋エアコンつきの外教との待遇の差は大きい。 風呂は、シャワーがあるだけでバスタブがない。 日本人の習慣からすればほしいところだが、なければあきらめもつく。 天井に大きな電熱式の貯湯タンクがあり、そこからお湯が供給された。 湯は、便器脇の巾1mの円柱状の透明なカプセルの中に入って浴びる。 すでに壊れていたが、両横にも噴水口が縦に並び、FMラジオつきで 何とも豪華な仕掛けだ。シャワーのフックがかなり高い位置にあって 外国製と想像できた。このカプセル式のシャワーは、身が凍る寒さの 冬期に役立った。というのも、冬、シャワーを浴びる前、束の間とは いえ、冷え冷えしたスペースに素っ裸で立つのはたいへん辛いものだ。 カプセル式は、バスタブには遥かに及ばないが、熱湯で冷気を遮った。 他の大学で働く同業の風呂をたまたま見たら、ほぼ2畳のスペースに 便器とシャワーが並ぶ普通の造り。彼は、苦労して探したという電気 ストーブを天井から吊して冷えをしのいでいた。それほど厳しいのだ。 熱湯を火傷するほど浴びた厳冬の日々が懐かしい。 大学の正門には守衛がいるが、出入りは自由だ。 外国人専用のコンパウンドも鉄製のフェンスで囲ってある。管理人兼 世話役の2人のおばちゃんが、24時間交代で入口の小部屋に常駐し、 横のホールを通って出入りする。おばちゃんの宿直用のベッドが1台 置いてあり、毎正午から2時までの昼休みになると、窓のカーテンを 下ろして昼寝をしていた。訪ねて来る学生たちは、そこの備えつけの ノートに入出を記すルールだった。しかし、不在のことも多いために、 わたしの学生は実質フリーパスだった。外教も、日常の生活に格別の 制限がないので自由気ままに振舞っていたが、泊りがけの旅行に出る 際は、連絡先などを事前に申告するように外事処から要求されていた。 わたしなどが中国と聞けば、外国人への厳しい監視を想起させられる。 日本人の新聞記者が長期に拘留されるなど、暗い時代があったからだ。 幸い、そんな過去を思い起こす気配すらなかった。 06年2月、「Z」ヴィザをもらって入国した。 麻布の領事館での体験は、本コラムの第1回目でレポートした通りだ。 08年6月に帰国するまで、書き換えた「居留許可」は4枚になった。 居留事由の欄は「就業」となっている。書き換えは、先ず、外事処の 職員に連れられて「体格検査」を専門病院で受け、それをパスすると 教育部などでの書類審査を経て最寄りの公安部が発行する。わたしは 体格検査に行くだけだが、外事処が担当する作業はたいへんなようで、 取得まで3週間くらいかかった。1回目の取得には、面通しのためか、 公安部まで出頭させられた。係官が、一瞬だけだがわたしの顔を見た。 悪いことはしていないが、相手のいかめしい制服姿を見ると緊張する。 それ以降は、毎回呼び出しなしに更新された。 住む環境から見た中国は、まあまあだった。 住めば都とよくいうが、周囲の人々の気配りもあってハードシップを 感じずに終わった。日語専攻の学生たちにも囲まれて日本語を使って 暮らしていたため、中国語ができないというストレスも最小化できた。 しかし、矛盾含みで成長する中国に、恐怖の変事がないとはいえない。 わたしにとって住み心地の良かった中国も、先の不安がないではない。 住むなら、高い緊張感を捨てない覚悟が大切だ。 さぶみごろう つづく


