日本を支える「モノづくり、あれもこれも」  RSSを登録する

中国内陸の省都の大学に招かれて単身赴任、題材を「中国」に変更。「お客さまーっ!」とビザの申請者に叫ぶ麻布の中国領事部に先ず仰天(2006/02/26号)。伸び盛りで目が離せない中国の実相を内側から伝えます。著者の備忘録でもあります。

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2008/10/24

中国の省政府に表彰される (046)

「追われる日本、追いつく中国」

━ 日本語教師のメガネを通して見る中国 ━

中国の省政府に表彰される (046)

 お伝えした通り、2年半の老師生活を終えた。
すでに帰国して自宅でブラブラしている。しかし、1つだけ心残りと
いえるものがある。毎日浴びるように聞いていた中国語が、自分でも
あきれるほどできないことだ。理由はいろいろあった。日本語教師の
冠を戴くのだから教える時間こそあるが、教わる時間はない、という
自己弁護的なもの。確かに、プライベートな時間のほとんどをできる
限り学生に解放し、来る者は拒まずの精神で彼らとの日本語の会話に
費やした。外事処など大学職員との意思の疎通が、英語で十分だった
ことも大きい。手つかずのまま帰国してしまった今、やっとというか、
チャレンジしようと思ってはいるが、これまた何かと雑事に追われて
買い貯めたテキストのどれにも手が伸びない。このコラムも、わたし
個人の備忘録を兼ねると勝手に称し、気ままに書いているが、話題が
いよいよ枯渇し、重複するリスクが増えるとなれば、天下に発信する
意義が失われる。どのように始末をつけるか、少なからず悩んでいた。
そんな矢先、お伝えするに格好の話題をもらった。

 省政府が、わたしに「友誼賞」をくれるという。
帰国して3ヶ月足らず、大学から急な呼び出しのメールが舞い込んだ。
大学自身にもたいへんな栄誉、授与式に出て欲しいとの熱心な誘いだ。
思い起こせば、去年も10月の国慶節の頃、数人の外教が外事処から
指名されて同じ授与式に出席、豪華な料理を振舞われたことがあった。
外事処からネクタイを着用するようお達しがあったことも思い出した。
省政府の催しとあって五つ星のホテル、省長を筆頭とする幹部が列席、
この時は宴会場前方に20人の受賞者が座り、わが大学には受賞する
該当者がなく、後方にただの観客として座らされてご相伴に預かった。
省長が受賞者に手ずから盾と証書を渡し、二人並んで写真に納まった。
その経験で、毎年、事業であれ教育であれ、分野を問わず省の発展に
尽くした外国人の功労に報いる友誼賞というものがあると知らされた。
去年の記憶では、日本人は総数4人、事業畑2人と教育畑2人だった。
市内(省都)に住む同胞とは少なからず交流があり、ほとんどの人を
知っていたつもりだが、この時の4人とは面識がなかった。省単位と
なれば、日本の国土を半分占めるくらいの広さがある。過去に面識が
ない同胞がいたとしても不思議はない。彼らに祝意を伝えたかったが、
同行のわが外事処長に、帰りのクルマが玄関で待っていると急かされ、
挨拶もしないまま会場を出た。前回は、ただの観客として参列したに
過ぎなかったものの、外国人の功労に報いる省政府の姿勢に感心した。
その粋な計らいが、わたしにも及んだというのだ。

 意外ではあったが、あり得る話とは思っていた。
というのも、日語学科の中国人同僚が、推薦状を提出したと聞かせて
くれていたからだ。しかし、市内の他の大学には、8年もの長い期間
勤めている同業もおり、功労度でわたし以上の日本人が数人いるから
対象外だろうと考えていた。わが大学にも、カナダ、オーストラリア、
ニュージーランドなどの出身で、もっと長くから勤めている英語系の
老師が数人おり、後塵を拝すしかない立場だ。わたしに順番が巡って
くるには、2年半の短い勤務では太刀打ちできない。今回の授与式で
分かったのは、今年度の受賞者は15人、わが大学からはわたしだけ。
日本人は2人、わたしと市内の他大学にいる同業のFさんだけだった。
彼女のこの地でのキャリアは5年、入学早々から担当した学生たちに、
難関として知られる日本語能力試験1級を3年次に受けさせ、90%
以上という驚異的な高率で合格させたとの噂があった。それだけでも、
わたしと比較ができない尊敬に値するカリスマ的な日語老師といえる。
わたしの受賞は、わが同僚と外事処の粘り強い熱意とチームワークに
よるとしかいいようがない。大学のサイトに載せられたニュースには、
受賞理由が説明してあったが、とくに日本の書籍を多数贈ったことが
強調されていた。中国政府の立場からすれば、過敏に反応しかねない
部類も含め、休暇で帰国する度に、新刊書からジャンルを選ばず漁り、
300冊以上を船便や携行荷物で運んだ。携行荷物は、毎回30キロ
近くもあり、超過料金寸前の重量だった。3万元(45万円)相当の
書籍との記述があったが、新書や文庫が多数で、そこまではいかない。
推薦状を書いた同僚が、頭を絞って工作してくれた舞台の裏が見える。
後出しジャンケンで勝った気分が拭えない所以だ。

 ともあれ、光栄至極なことだから喜んで出かけた。
国慶節に重なるが、4泊5日のエアチケットを入手できた。学生との
再会は、卒業期の1年後と約束して帰国したが、まさかこんなに早く
なるとは思ってもいなかった。もっとも、ちょうど連休にかかるから、
多くの学生は帰省中か、旅行中に違いない。彼らの予定を狂わせては
いけないので、訪中する旨をメールで遠慮気味に、しかも出発直前に
伝えた。しかし、旅行先の桂林から土産を持って急いで引き返したが、
わたしがすでに帰った後だったという恨みのメールを帰国後に送って
きた学生がいた。嘘がないことは確かで、熱さを超える善意を感じる。
幸い、約半数の学生たちと再会することができた。

 3ヶ月だけの不在では、何も変わらないものだ。
着くや、外人村の2LDKの1つに落ち着いた。わたしの前の宿所の
対面の4階、6月まで留学生が住んでいた。この大学にはホテル式の
招待所があり、わたしにとってはそっちのほうが居心地がよいのだが、
どうやら管理のおばちゃんが、彼女の守備の及ぶ限りで気合いを入れ、
特別に仕切ってくれたよう。こういうところが憎めない中国人気質だ。
洗面台には、浴用のものとは違い、何とアメ色をしたごっつい新品の
洗濯石鹸とやはり新品の歯ブラシ、洗濯済みだが明らかに使い古しの
タオルが数枚重ねて置いてあった。心底からのサービスに文句はない。
彼女のすべての厚意に謝謝というしかなかった。

 着いた日の翌日が授与式、9時半に出発した。
11時半から昼食会、3時から授与式とのことで、いわば1日がかり。
外事処の副処長がずっとつき添ってくれ、今回は、党幹部が利用する
という高級ホテルが使われ、着くなり一室をあてがわれ、昼食までの
時間をゆっくり過ごすようにいわれた。ホテルの部屋からは、政府の
高級幹部が住むという瀟洒なアパート郡が見渡せた。いよいよ昼食の
時間、省弁公室の幹部の挨拶などがあって中洋折衷の昼食をご馳走に
なった。1時に終了、各自が部屋に戻って休憩、2時にバスに分乗し、
省政府のビルへ移動して授与式が行われた。2人の副省長がホスト役、
受賞者は、オリンピックもかくやと思われる金メダルを首から吊って
もらい、中国らしい赤い表紙で2つ折りの証書を受け取り、つづいて
副省長2人の右側に横並びで記念写真を撮ってもらい、自席に戻った。
授与式は、てきぱきと進行して定刻に終わった。

 驚いたのは、つき添ってくれた副処長の話だ。
メインホストだった副省長の大演説が、半分理解不能だったと帰路の
クルマの中で告白したのだ。豪州に留学して博士号を持つ彼も、省の
高官の演説を直に聞けると期待していたので、失望が大きかったよう。
演説原稿が下役によって正しく書かれても、読み手にクセがあっては
どうにもならない。毛沢東の有名な例があるとはいえ、今時の中国で、
とりわけ弁舌の冴えが大切とされる高官に、このような異色の人物が
登用されているとは、さすがに奥が深い中国というべきかも知れない。
因みに、大演説には、英語の通訳がついていた。

 もう1つ驚いたのは、学生の口をついた言葉だ。
お祝いにやって来た4年生に受賞者のリストを見せたところ、筆頭の
イタリア人の単位(組織名)を見るや怒った。曰く、アメリカ資本の
会社だが、アメリカで公害問題を起こしたため、存続が困難になった
ところを、省の誘致を受けて工場を移転してきた経緯があるとのこと。
功労どころか、有害な会社といって厳しく断罪した。社名の一部には
「ソーラー」の字が見え、環境に優しい会社のようにも想像できるが、
学生の厳しい目はごまかせないのだ。若い中国人を侮れないと知った。
授与式で拾った最大の教訓だったかも知れない。

 4泊5日の短い滞在を終えて無事に帰国した。
昔の仲間の会合で金メダルを披露したところ、ずっしりとした重みに
驚いていた。中国でも喧々諤々だったが、ホンモノでないことは確か。
幸か不幸か、わが家の家宝になりそうにない。

 外事処の処長が、一晩夕食に招いて祝ってくれた。
自己負担のつもりでいた航空運賃について、片道負担するとの申し出。
有り難く受けることにした。

さぶみごろう

つづく
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る