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中国内陸の省都の大学に招かれて単身赴任、題材を「中国」に変更。「お客さまーっ!」とビザの申請者に叫ぶ麻布の中国領事部に先ず仰天(2006/02/26号)。伸び盛りで目が離せない中国の実相を内側から伝えます。著者の備忘録でもあります。

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2008/09/13

中国人大学生との別れ-1 (044)

「追われる日本、追いつく中国」

━ 日本語教師のメガネを通して見る中国 ━

中国人大学生との別れ−1 (044)

 約2年半にわたった老師生活を終えることにした。

 06年2月から08年6月までの単身赴任だった。
夏と冬は各々2ヶ月間の休みで帰国、実質的には2年弱の滞在だった。
2年を超えれば日常生活にも慣れて不自由に思うことはない。当面の
健康にも問題はないが、しかし、70歳に近くなっての外国での単身
生活、何かの病気で倒れたりしたら周囲に多大な迷惑をかけることは
目に見えている。かつて、会社で寮住まいだった仲間と3ヶ月ごとに
集う会があり、帰国とちょうど重なる冬と夏には欠かさず出席したが、
その仲間にも、突然血尿が出て入院騒ぎになった者がいる。丸の内の
人間ドックで長を務める従弟は、何と奥さんをクモ膜下出血で失った。
医者の不養生とはいえないが、奥さんの健康管理に手が届かなかった
悔いは大きい。このわたしも、人知れず倒れるリスクがないではない。
当初の予定は2年だったが、請われるままに1年延長した経緯がある。
お礼奉公のつもりだったが、半年を経たところでいろいろ考えてみた。
考えを巡らすうちに、帰国する潮時と結論したのだ。

 しかし、学生が相手となると、大いに未練が残る。
毎日のように接していた彼ら、やはり、後ろ髪を引かれる思いがある。
来学期までつづけるとしても、幸い、一番つき合いが長い新4年生の
担当科目は「商務日本語」の1科目だけだ。二番目につき合いが深く
なるはずだった新3年生は、新入時に採用しなかったから欠員のまま。
新2年生は、1年生時代に週2時間の「日本語会話」を担当しただけ、
それほど情が移っていない。彼らが2年生になれば、9月から始まる
前期で「日本語会話2」「日本語聴解」「日本地理」「日本歴史」を
教えることになる。このまま残ってこれらの科目を受け持つとなると、
どうせなら、卒業までいてくれなどといわれかねず、関係が切れない。
切りをいうなら、この6月で辞職して帰国するのがベスト、とはいえ、
契約の途中破棄になるから、違約金の支払いを覚悟することも必要だ。
英文の契約書には、そのような条項が入っている。

 幸い、近くの大学から後任者をスカウトできた。
人材難だから、適任の後任を立てれば、大学側も折れると読んだのだ。
彼女は30歳の日本人女性、中国語ができ、中国人と結婚してもよい
というほどの中国大好き人間、勤務する大学との雇用契約が6月末に
切れると聞いて第一の後任者として考え、先ず彼女に代講してもらう
ことを頼んだ。当日、わが校の中国人同僚たちにも傍聴してもらった。
わたしが大学を辞めるために仕組んだとは、誰も気づかないまま終了、
同僚も学生も良い評価を与えた。その評価を味方につけ、先ず同僚に、
「彼女を後任に推し、わたしは高齢を理由に辞めるつもりでいる」と
話した。突然の話に驚いた彼らも、内心ではわたしの身の退きどきを
気にしてくれていたようで、すんなりと受けてくれた。内諾を得るや、
彼女へのアタックを直ちに開始、幸いなことに給料から授業環境まで、
すべてについて合意することができた。彼女は、わたしの宿所を見て、
「カルチャーショックだ」などと以前から驚いていただけに、点数を
大きく稼いだようだ。ちょうど学年末の交代の時期でもあり、市内の
2つの大学からも猛烈な誘いが彼女にあったが、退けることができた。
もし、彼女が来てくれないなら残る気でいたが、万事がうまくいった。
年寄りの日本人日語老師は多いが、若い人は貴重だ。

 本丸の外事処に、高齢を理由に辞職する旨を伝えた。
処長は、わたしの年齢が彼の父親と近いことを知っている。後任者を
決めた上での申し出と聞き、そんな律義者は、数多い英語の外教にも
いないとわたしをほめ、日語学科に問題がないなら否やはない、この
大学への貢献に深く感謝するといって上機嫌でOKした。担当者から
根回しした効果か、違約金どころか、帰国便の運賃も負担してくれた。
何れ大学を訪ねるなら、招待所に泊めてくれるそうだ。

 関係者に知れ渡ってから、送別会で忙しくなった。
気の毒だったのは、期末試験と重なる学生たちだ。2年の任期を終え、
4月に帰ったJICA隊員のときは、全員参加のゲームを織り込んだ
出し物づくめで半日をつぶした。彼らの送別会は、あくまでゲストが
主役だが、進行する流れのなかでは、ホスト側が乗りに乗って楽しむ。
まるで、ホスト側がどんなに楽しみ、盛り上がっているかをゲストに
示すことが、礼儀作法と考えているようだ。司会者の準備も念入りで、
一言ひとことが原稿になっている。添削を依頼され、驚いてしまった。
学生の楽しみを奪うようで悪かったが、わたしのために行う送別会は、
食事会だけにしてもらった。それなら、1時間くらいで終わるだろう。
4年生は卒業式を終え、就職先へ去ってしまったので残る者は少なく、
3年生といっしょに送別してくれた。喜ばせてくれたのは、この日の
ために特別にあつらえた揃いのTシャツだ。前面に「ときどき、思い
出して、、、、」と印刷してあり、全員で着てわたしを迎えてくれた。
わたしにも2枚が用意され、1枚を直ぐに着用、もう1枚にはクラス
全員の27人の著名がしてあった。これに勝るうれしい記念品はない。
「ときどき、思い出して、、、、」とは、うまい。

次回「中国人大学生との別れ−2」へつづく

さぶみごろう

つづく
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