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中国内陸の省都の大学に招かれて単身赴任、題材を「中国」に変更。「お客さまーっ!」とビザの申請者に叫ぶ麻布の中国領事部に先ず仰天(2006/02/26号)。伸び盛りで目が離せない中国の実相を内側から伝えます。著者の備忘録でもあります。

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2008/08/23

中国は複雑極まる多言語国 (043)

「追われる日本、追いつく中国」

━ 日本語教師のメガネを通して見る中国 ━

中国は複雑極まる多言語国 (043)

 中国の広さを示すものに雑多な言語がある。

 中国全土の共通語は、「普通語」といわれる。
いわば中国の標準語で、家族との間で別の言語を使う習慣があっても、
小学校に入ると普通語を強制的に叩き込まれ、一生涯使うことになる。
56族といわれる中国だが、言語で仕切れば56を超えるに違いない。
広大な中国だけに、地域が違えば違う言語のルーツや体系があるのだ。
中国のTVドラマに字幕が出るのも、多言語国らしいサービスだろう。
普通語は、北京方言とその発音が基本だそうだから、上海語や広東語、
福建語、ウイグル語、朝鮮語など、ルーツや体系が違う言語で育った
小学生たちは、発音から徹底的に矯正され、大特訓を経験させられる。
家庭では生まれ育った言語で会話するが、役所などのオフィシャルな
場や全国版の新聞やテレビ、ラジオなどになると、普通語が使われる。
毛沢東の演説が、強い湖南訛りで一般の中国人にも難解だったという。
普通語の普及によって、今や古い話になったようだ。

 わたしの大学に30代の日本人女性が入学した。
中国語が好きで、仕事をしながら独習していたが、一念発起して休職、
これから6ヶ月をかけて学び直すという。この大学は、外国人向けに
中国語の短期養成講座を設けている。外国人が住む3棟の建物のうち、
2棟は老師、1棟は語学留学生で埋まる。今年の春先には、北欧から
来たピチピチギャルたちが芝生の上で日光浴にいそしみ、くたびれた
按配の老師たちの目を輝かせた。日本から来た新入生は、留学生専用
棟が満杯だったため、市中にある中国人家庭に寄宿することになった。
生きた中国語を聞きながら暮らせるとむしろ喜んでいたが、そのうち
不満を口にするようになった。日々寄宿先で耳にする中国語は、この
地に特有の言語と方言が入り混じり、普通語ではないと気づいたのだ。
しかも、北京でもなく、上海でもなく、田舎の省都に学びに来たのも、
周囲に日本人が少なく、中国語の習得に集中できるという計算だった。
ところが、中国に来ながら、大学の外では、本来の中国語を磨けない。
渡航前から描いた目論見が根本から狂い、後悔しているといっていた。
しかし、学習者を泣かせる意外な落とし穴だが、心配することはない。
あらたまった席では、普通語以外を使わないからだ。

 わたしの学生のなかに、この市の出身者はいない。
そのためか、言葉の行き違いから生まれるトラブルをよく聞かされた。
大学の門の脇には、夕方から夜中にかけて露天市が立つ。注文に応じ、
軽食を目の前で調理してくれる屋台もあり、果物や日常の雑貨類など、
いろいろなものを売っている。入学したばかりの頃、浮き浮き気分で
これらの店で買いものをするとよくだまされる。来たばかりで土地の
言葉に慣れない彼ら、うまくつけ入れられて余分な金額を払わされる。
貧乏学生が、入学早々に受けるうれしくない洗礼だ。

 多言語の国なりに、思わぬ悲喜こもごもがある。
合弁会社で副総経理の日本人は、役員会などの場で、彼に聞かれたく
ない話になると、同僚の中国人役員たちが、急に地元語に切り替える
と怒っていた。彼は東外大で中国語を修め、香港や中国で累計18年、
連戦練磨のビジネス経験を持つ。最近、上海で働きはじめた卒業生は、
上海出身の同僚たちが、休憩時間などに上海語で楽しそうに雑談する。
ところが、よそ者の彼にはチンプンカンプン、これには疲れるという。
ある学生の話では、彼が隣村へ出かけると、話が一向に通じなくなる。
多言語国ならではの特徴だが、近代化が進むにつれてなくなるはずだ。
同僚の中国人の日本語老師は、奥さんの両親と同居する。義母と酒を
酌み交わしながら雑談するのがとりわけ楽しいという。岡山の役所で
働いていたときの思い出話を熱心に聞いてくれるからだ。彼の自宅に
招かれたときには、奥さんと義理の両親もテーブルに加わって楽しく
食事をさせてもらった。ところが、奥さんや両親と普通語で会話する
限りは問題ないが、もしそうでなければ、意思の疎通が難しいという。
学生たちも、出身が異なる同士では普通語、故郷の両親と話す電話は、
地元語や方言を使って話す。現代の日本人が想像できない世界がある。
多言語国特有の、国家というには不思議な形だ。

 ここの市を跨ぐ大橋に、面白いエピソードがある。
中国のビルや橋など、大型の構築物の両脇には、守り神として獅子の
像などがペアで置かれている。ここの大橋の前後には、片方は2つの
立派なネコの像、反対側は2つのライオンの像が置かれているのだが、
問題は、どんな理由で黒と白の大ネコが橋に置かれているか、なのだ。
地元の日本語ガイドに直接聞いたところでは、橋の完成が近づいた頃、
江沢民が視察に来たという。彼が、ここにはどんな動物像を置くのか、
と案内した地元の役人に問うと、「まだ」決めていない、と回答した。
しかし、「まだ」を「ネコ」と聞いた江沢民は、「それはいいことだ、
!)小平同志の有名な談話もあったことだし」と賛同したという。実は、
地元訛りの「まだ」が「ネコ」に聞こえた結果だったというのだから
なかなか面白い。中国流の強固なヒエラルキーからすれば、江沢民の
聞き間違えだったこともあっただろう。そうとしても愉快ではないか。
実は、地元の中国人は、このエピソードを知らないので、わたしから
積極的に宣伝した。!)小平と結びついても、江沢民とは結びつかない。
「まだ」と「ネコ」、なるほどと感心していた。

 言語のいたずらが、面白い逸話を生むのはよい。
しかし、面白い逸話だけで済まず、大きな損失に結びつくこともある。
日本人に想像できない複雑極まる多言語の国、しかも、13億人もの
人口を抱える多民族の国、国の運営の容易ならざることがよく分かる。
北京オリンピックは、裏側に問題を隠したまま、何とか終わりそうだ。
海外は心底から祝福を与えるだろうか、目が放せない。

さぶみごろう

つづく

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