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2008/04/07

週刊電藝453 [080407] 喜多|追悼*ロブ=グリエ_5

この記事を取り寄せる

■□ 週 刊 ■□weekly DENGEI magazine         [ウエブ電藝]
■□ 電 藝 ■□VOL.455   発行数:283 http://indierom.com/dengei/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
┌ H E A D L I N E ────────────── '08年04月07日 ───┐

    銀幕ナビゲーション           : 喜多匡希

    ミニ特集=連続掲載[追悼*Alain Robbe-Grillet]Vol.5
      ロブ=グリエの愉悦
       ――ただそこに、確固としてある世界: 山本貴光
                 ・
      アラン・ロブ=グリエ
       ――フランス語のレッスン、あるいは
         書かれることのなかった
         ロブ=グリエ論を巡って    : キムチ

└─────────────────────────────────┘



 ┌───┐ ロブ=グリエ特集も佳境に入っているが、キムチ氏も触れてい
 |月 プ |  る、特集の黒幕とも言うべき弔問客が到着していない。はたし
 |曜 レ | て間に合うのか。
 |日 テ |  
 |  ク |  喜多氏の今回の原稿は連載の番外編ということなのだが、こち
 |  ス | らから依頼したかった「待ってました」の原稿。筆者ももちろ
 |  ト |  ん未見なのだが、皮肉なことに―― <さる国会議員> の意図に
 |  な |  反して――一連の騒動はこのフィルムを見たいと思わせる絶好
 └───┘ の広報活動になっていると感じる。さあ、電藝は炎上するのか。

        :*:..:*:..:*:..:*:..:*:..:*:..:*:..:*:
                ∵∵
                 ∵


 銀 幕 ナ ビ ゲ ー シ ョ ン
【 番    外    編】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 喜多匡希

              靖国〜YASUKUNI
                   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
           映画は見られなければ意味がない!
 
  このコラムでは、私が実際に鑑賞した中から、おすすめの作品を選んで、
 皆さんに御紹介しています。しかし、今回採り上げる作品を、私はまだ鑑賞
 していません。よって、番外編とさせて頂きます。
 
  ここのところ、長編ドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』を巡る映画
 館の公開中止(自粛)騒動が話題となっています。TV・新聞・ラジオ・イ
 ンターネットなど、様々なメディアがこの話題を採り上げていますね。御存
 知の方、多くいらっしゃると思います。
 
 『靖国 YASUKUNI』の監督は中国人のリ・イン。1963年生まれで、現在44歳。
 1984年から中国中央テレビ局のディレクターとしてドキュメンタリー制作に
 携わり、1989年に来日。1999年製作の『2H』は、1911年の辛亥革命の時、そ
 の指導者であった孫文の参謀を務めた後、日本に亡命した老人の姿を描いた
 作品で、ベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞を受賞。2000年に日本でも
 劇場公開されました。続く『味』は、現在の中国が失ってしまった正統の山
 東料理を受け継ぎ、中国政府から唯一の日本人料理人として <正宗魯菜伝人> 
 の称号を与えられている佐藤孟江さんの姿を、孟江さんの夫である浩六さん
 と共に捉えた作品で、2003年に製作・公開されました。一般的な知名度は決
 して高くありませんが、ドキュメンタリーの世界では最も注目されている監
 督の1人と言えます。
 
  そのリ・インが、10年もの年月を費やした執念の企画が『靖国 YASUKUNI』
 というわけですが、劇場公開直前に、まず都内のシネコンが公開中止を決定。
 続けて、公開の約2週間前になって都内4館&大阪1館が一斉に公開中止を
 決定しました。その背景には <右翼団体の上映妨害運動に対する懸念> があ
 ったといいます。しかし、『靖国 YASUKUNI』という作品、元々、それほど
 の知名度があったとは思えません。TVで大々的にCMが打たれるようなメ
 ジャー作品と、単館上映されるドキュメンタリー映画との間には、比べ物に
 ならないほどその知名度に差があります。普段から細かく情報をチェックさ
 れている映画ファンならいざ知らず、そうではない人たちに『靖国 YASUKUNI』
 という作品のそん在は、ほとんど知られていませんでした。それなのに、こ
 れほどの騒動が巻き起こっているのです。なぜでしょう?
 
  そこには、ある女性国会議員が <『靖国 YASUKUNI』の製作費の一部とし
 て、文化庁所轄組織から助成金が支払われていること> を問題視し、作品の
 事前鑑賞を求めたという事実があります。試写鑑賞直後、彼女は本作に対し
 て否定的な言動に終始し、これが各メディアで大きく採り上げられました。
 そのことが契機となって、初めて本作の存在を知った方、相当多くいらっし
 ゃるはずです。この報道を受けて、「そんなにけしからん映画が公開される
 のか! 断固として阻止しなければ!!」という動きが生まれたのでしょう。
 
  その公開中止を巡って、今度は映画ファンを中心に <公開中止に反対する
 動き> が出てきました。その結果、現在では全国約20館での公開が実現され
 そうだとのこと。
 
  しかし、当初から本作の公開を決め、ほとんどの劇場が公開中止を決定す
 る中で、それでもなお、公開を決行しようとした名古屋シネマテークには、
 遂に上映中止を目的とする妨害行為を受け、延期を決定しました。また、そ
 れでも尚、 <映画館と観客の自然な関係> を一番と考え、正しい選択(←私
 はこれが絶対に正しい選択だと確信しています)として上映を予定している
 大阪・十三第七藝術劇場には、街宣車がやって来ているそうです。
 
  私は、ここで声を大にして言いたいのです。上映妨害なんてやめて下さい
 と。見たいと思う作品を見る機会を奪わないで下さいと。見たい人は見れば
 いいのです。見たくない人は見なければいいのです。その選択は自由な意志
 の下にあるべきであって、強制的に鑑賞させられることも、強制的に鑑賞さ
 せてもらえないことも、どちらもあってはならないことです。
 
 私は『靖国 YASUKUNI』をまだ鑑賞していません。 けれど、 かなり前から
 「見たい」と思っていました。鑑賞後、先述した女性国会議員と同じ感情を
 抱くかもしれません。そして、同じように否定的に論ずるかもしれません。
 けれど、見ることが出来なくてはそれすらも出来ない。作品を見ることも出
 来ない状態で議論などできないのです。
 
 「議論はあって良い」と思っています。むしろ奨励します。色んな人が鑑賞
 して、活発かつ有意義な議論が成されれば、それはきっと我々の未来に対し
 ても有益なこととなるでしょう。
 
 映画ファンとして私が思うことはただ一つ。「映画は、見られなければ存在
 している意味がない」ということです。「映画は鑑賞されて初めて完成を見
 る」と、ずっとそう思っています。映画に限らず、小説にしろ、絵画にしろ、
 彫刻にしろ、 <作品> と呼ばれるもの全てそうなのですが、実際に人々の目
 に触れなければいけないのです。それを目的として作られたものなのですか
 ら。そんな至極当然なことがないがしろにされて、本作が騒がれているとい
 う現状が、私にはとても悲しいのです。上映賛成派の中にも、その最も大事
 な点を忘れてしまっている方がいらっしゃるように思います。
 
  今回の騒動が、映画と映画館の健全な在り方というものを考える良い機会
 になることを願います。 
 

     ┌──────────────────── D A T A ──┐

       靖国 YASUKUNI

       2008年香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー映画賞受賞!
       2008年ベルリン国際映画祭招待作品
       2008年サンダンス映画祭正式出品
       2007年釜山国際映画祭招待参加作品

        2007 123分 日本/中国
       監督:李纓     撮影:堀田泰寛/李纓 編集:大重裕二/李纓
       助監督:中村高寛

       配給 : ナインエンタテインメント

       5/10〜 大阪 第七藝術劇場 http://www.nanagei.com/  
       5月  名古屋シネマテーク http://cineaste.jp/
       6月   広島サロンシネマ http://www.saloncinema-cinetwin.jp/
       8月  京都シネマ http://www.kyotocinema.jp/
       予定  コミュニティシネマ松本CINEMAセレクト
          http://www.cinema-select.com/

     └───────────────────────────┘

             ┌─────────────────────
         ◎writer|大阪府在住。生まれも育ちも生粋の浪花っ子。
          profile|趣味は読書・プロレス&格闘技観戦・料理、そ
             |してなんと言っても映画鑑賞。映画を観る歓び
             |&語る喜びに加え、最近、広める歓びにも目覚
             |めた。将来の夢は <映画案内人> になること。 
             | 
             |ホームページ
             |[movie masa site 映画に夢を託す]
             |http://homepage2.nifty.com/m-friend/masa.htm
             |メール masa_ginnavi@yahoo.co.jp
             | 
             |[電藝 掲載作品]
             |銀幕ナビゲーション(連載中)
             |           http://kat.cc/2e77
             | 

        :*:..:*:..:*:..:*:..:*:..:*:..:*:..:*: 
                 ∵


             ミニ特集=連続掲載
           [追悼*Alain Robbe-Grillet]
                 ・
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 ロブ=グリエの愉悦
 ――ただそこに、確固としてある世界        4
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 山本貴光
                 ・
                    前回>>>>http://kat.cc/078c3e
                 ・
 ロブ=グリエの愉悦――ただそこに、確固としてある世界 4
 
 マチアスは、時計の行商を生業としている。時計を入れたアタッシェケース
 を手に、かつて生まれ育った島へと船でわたってきた。前回読み始めた小説
 の冒頭部分は、島へと向かう船の甲板にたたずむマチアスの様子を描いてい
 たのだった。
 
 作家は、その男の意識の動きに焦点を当て、彼とそれをとりまく環境とのあ
 わいで、その知覚と記憶がおりなす出来事を丹念に描いていた。冒頭部分で
 はまだ、知覚と記憶の境界は明示的であることを確認した。だが、叙述が進
 むにつれて、この意識の運動は、水中で溶け合う二色のインクのように混じ
 り合い、混然としてゆく。今回は、作家がそうした状況を描くために、どの
 ような技法を駆使しているか、その様子を見てみよう。
 
                  *
 
 マチアスは、しばしば皮算用をする。彼のアタッシェケースにある90個の時
 計が全て売れるとどうなるか。時計一つの価格を平均200クーロンヌとすると、
 都合18,000クーロンヌ。粗利益を30パーセントと仮定すれば、およそ5,000ク
 ーロンヌ(より正確には5,400)。島への船賃は往復で60クーロンヌ。
 
 島には約2,000人の住民がいる。実際には島に来る前に一つ売れたので、残り
 89個の時計をどう売ればよいか。彼の頭のなかではこんなふうに計算が進め
 られる。
 
    おそらく訪れることがないような離れすぎた家を考慮し、徐数として
   一〇〇軒という数字を想定した。すると二〇人について一個の時計を売
   ることになる。――一家族平均五人とすると、四世帯について一個売る
   ことだ。無論彼は経験上、実際は予定通りにならないことを知っていた。
   同じ家でも、彼にたいし好意をいだいた場合は、いっぺんに二、三個の
   時計を売るのに成功した。しかし四軒ごとに一個というペースはむずか
   しいだろう――だが不可能ではない。
    
 船が週に2回しか出ないことを考えて、島での滞在は1日限りとする。午前10
 時に到着し、島を離れる船に遅れないためには、 午後16時15分までの6時間
 15分が持ち時間だ。それが皮算用に過ぎないことを承知しつつも、マチアス
 はその計算をさらに確実なものとするために、持ち時間を分数に換算する。
 375分である。
 
    三七五割る八九……三六〇割る九〇とすれば答えはすぐ出るじゃない
   か。九掛ける四、三六――一個について四分。正確にいうと、すこし余
   裕がある。(中略)四分間をマチアスは商売に要する理想の時間と考え
   ようとした。
    
 4分に1個の販売! 移動やその途上での出来事や住人の不在や不買の可能性
 は措いておき、彼は純粋にすべての在庫がはけるための計算をしている。ノ
 イズや摩擦や偶発時だらけの現実世界のなかで、彼は自分の行動を律する指
 針を、最高の合理性(ご都合)をもって計算し、このシナリオにそって物事
 が運んだ場合、どうなるかをシミュレーションする。少し長くなるがこの空
 想の様子を見ておこう。そのスピード感の可笑しさに注目されたい。
 
    町はずれの、灯台への街道に面した最後の家は普通の家である。二個
   の小さな四角い窓にはさまれた低いドアのある平屋の家屋。マチアスは
   通りがかりに手前の窓ガラスを叩く。そこにたちどまらずに、つづいて
   ドアを叩く。その瞬間、ドアは彼の目の前で開く。彼はすかさず廊下に
   はいり、直角に向きをかえると、台所のなかで、早速大きなテーブルの
   上にアタッシュケースを平らにおく。すばやく留金をはずす。バネ仕掛
   のように蓋がはねる。上側にはいちばん高価な品物がはいっている。彼
   は左手で最初のボール箱をとりあげ、右手で覆いの紙をはぐり、指で、
   四二五クーロンヌの婦人用の時計を三個示す。家の女主人は両側から年
   上の娘たちにはさまれ(彼女らの母よりわずか背が低く)――三人とも
   動かず、注意ぶかく、彼のそばに立っている。すばやく、完全に同じ動
   作で、彼女たちは三人ともうなずく。すでにマチアスは、ボール箱から
   三個の時計を一個ずつ出し――ほとんどひったくり――一個ずつ、手を
   さしだした三人の女たちに、母を最初に、つづいて右側の娘、つづいて
   左側の娘にわたす。準備された金額はテーブルの上にある。一〇〇〇ク
   ーロンヌ札一枚、一〇〇クーロンヌ札二枚、二五クーロンヌ銀貨二枚―
   ―一二七五クーロンヌ――つまり四二五クーロンヌ掛ける三だ。勘定は
   あっている。アタッシュケースははげしく閉められる。

    立ち去りかけながら、彼はなにか別れの挨拶を言いたいと思った。だ
   が口からはなんの言葉もでない。なぜだが、彼はそれがよく分かる。と
   同時に、いまの場合は、おかしなことに完全に沈黙に終始していたと思
   う。
 
 すべとの物事が最短の距離、最短のはやさでこなされる。持続した時間の流
 れというよりは、映画でバラバラに切り離された場面がつぎあわされる(モ
 ンタージュされる)ように、行商にとって必要不可欠の場面だけが、それも
 きわめてありえないはやさで、都合よく、スムースに展開する。前口上や天
 気の話もなく、女たちは三人揃って(というか、三人もいて!)もっとも高
 い時計を、マチアスが島にやってくる前から決まっていたかのように求める。
 時計をわたし、釣銭の必要も値引きの交渉もないままそこに準備されている
 代価……。
 
 一切の無駄がなく、間違いもなく、誤解もなく、折衝もない完璧な行商。或
 る家から次の家への移動にどのくらいかかるかわからないけれど、仮に家屋
 が軒を連ねている場所だとしても、移動に2分は欲しいところ。すると上記の
 完璧なやりとりは2分で遂行される必要がある。そんな莫迦な。と、ついマチ
 アスの目論見の延長上で計算を補正したくなる。しかしどう考えてもこのシ
 ミュレーションは破綻している。第一、売れるか売れないか。彼も重々承知
 しているように、そんなことはやってみるまでわからない。
 
 小説は、マチアスの行商の予定不調和ななりゆきを基調として展開するのだ
 が、そのさいここで見た理想の行商が母型となって、毎回の行商はそこから
 の偏差として意識されることになる。
 
 さすがの彼も現実離れした予定だと思ったのか、別のシミュレーションを行
 う。ただし、それはまだ、船着場から移動する船客の波にもまれて、その歩
 みに少しいらだちながらのことだ。徐々に知覚と記憶の切り替わる境界線が
 はっきりとしなくなってゆく。
 
    マチアスは思ったように早く歩くことができなかった。通路の狭さ、
   複雑さから考えると、前の人々を押してもなにもならない。ただ人の流
   れに身をまかしていなければならなかった。軽い焦燥感にとらえられる。
   なかなか人は彼に道をあけてくれない。今度は手を顔の高さにまであげ
   ――板に描かれたふたつの眼の間を――叩いた。非常に厚みがありそう
   な扉はにぶい音がした。家の中でも気づくにちがいない。彼はまた大き
   な指輪でもってノックしはじめようとしたとき、入口に足音がきこえた。
 
 この件に書かれた「道をあけてくれない。」と「今度は手を」のあいだに、
 知覚から記憶への移行が生じている。もう冒頭のような「ここからは記憶が
 前面化するぞ」といったシグナルはなく、意識のうえの出来事がひと連なり
 に描かれてゆく。
 
 それはちょうど、私たちの身にもしばしば生じることだ。例えば、よく通い
 なれた家から駅までの道を歩くとき、途中自分が歩いていた記憶がないにも
 かかわらず、気づいたら駅に到着していたということがある。道すがら、た
 しかに自分は或る空間のなかを歩き、いつものように往来する人や車、道を
 よこぎる猫や電線にとまる小鳥たちがいるその場所を通り過ぎたはず。にも
 かかわらず、ぼんやりと昨日亡くなった映画作家やチベットの出来事につい
 て考えているうちに、そんな移動の経過を意識することもなく、気づけば駅
 についていた。そんな経験があるにちがいない。
 
 だとすると、先ほど書いた「知覚から記憶への移行が生じている」という言
 い方は不正確である。マチアスは人波に揉まれ、移動し、そのさなかで周囲
 の状況を知覚しながら、しかし脳裏では記憶による意識の流れ(記憶を素材
 として構成された未来についての予測)が生じて、そちらに気を奪われてい
 る。だから、より正確には、知覚から記憶へ移行が起きているのではなく、
 知覚しながら記憶を作動させていると言うべきであろう。
 
 映画であれば、複数の画面や音を透過的に重ね合わせることで、知覚と記憶
 が輻輳する意識の状態を表現できるかもしれない。例えば、映画全体がその
 ような重ね合わせで進行するジャン=リュック・ゴダールの『映画史』など
 は、或る映画作家の意識に去来する知覚や連想や記憶を表現したものとして
 観ることができる。映像の場合、重ね合わされる複数の画像は、それ以外の
 方法では達成できないイマージュ(像)を生成する代わりに、その複雑さが
 観る者を惑わせる。
 
 文章の場合はどうか。それは原則的に線状に書かれている。通常、複数の文
 章が同一の行を占めることはない。それでも同時に進行する複数の状況を文
 章で表現しようと思えば、交互に書く、複数の旋律が並行する楽譜のように
 複数の文章を並行に書く、文章に分岐構造を導入して流れを複線化する、同
 一の文章を多重の読みが可能であるように書く、といった技法を採ることに
 なるが、いずれにしても一本の線であることには代わりがない。
 
 ロブ=グリエの小説は、始まりと終わりを備えた一本の線という、もっとも
 シンプルな形式を採りながら、その形式の枠内で知覚と記憶の混在する意識
 を描こうとしている。だから、それは「はい、ここからは回想シーンね」と
 はっきり知らせるような方法を採らない。むしろ行文は、私たちの意識がそ
 うであるように、自在に知覚と記憶を往来し、あるいはその重なり具合の変
 化をたどるように進んでゆくのだ。しつこいようだが、便宜上知覚と記憶を
 区別しているけれど、私たちの経験――こうしているいまも絶えず経験しつ
 つあること――は、両者をはっきりと区別するわけではない。説明や理解の
 ために両者をわけて考えるとしても、この両者はつねに浸透しあい、もつれ
 あっている。
 
                  *
 
 小説に戻ろう。行商を思い描くマチアスの脳裏では、ノックした扉が開き、
 警戒的な女性の顔が覗く。
 
    無論、彼女はなにも口をきかなかった。彼は懸命に努力する。《こん
   にちは、奥さん。ごきげにかがですか?》と、彼は言う。扉は彼の鼻先
   でぴしゃりと閉まった。

    扉は閉まったのではない。依然として閉まりっぱなしなのだ。マチア
   スはまるで眩暈がはじまる思いである。
   
 ここには、あたかも夢のなかで夢から覚めるような趣がある。行商が失敗に
 終わった、と思った瞬間、じつは開いたと思っていた扉が閉まったままだっ
 た、という。すでに船着場から移動して、行商をはじめているのか? と読
 み手も眩暈を覚えながら先を見ると、文章はこのように続く。
 
    彼は防波壁のない側の極端に横のほう、端のほうを歩いているのに気
   がついた。一群の人びとを通すため、彼はたちどまった。
   
 彼はまだ船着場を移動している。しかし、またすぐに彼は或る家の台所に通
 され、女主人とやりとりをする。時計を見せるためにアタッシェケースを置
 き、開ける。と思えばまたそこで入口に足音が聞こえ、扉が開き、やりとり
 の後、台所へ通されてアタッシェケースを置き、開ける……。夢のなかで夢
 を見るように、入れ子になった意識の回廊をたどると、やがてまた船着場に
 戻り、今度はようやく町のなかへと進んでゆく。
 
 しかし、ここまでの引用から窺えるように、この小説の読者は、時計行商人
 マチアスの意識にあらわれる動きを追いながら、いま目の前で展開する光景
 ――読者が読みつつある文章――の位置が、常に後からやってくる文章によ
 って揺るがせられるという読書の経験を積み重ねることになる。だとすると、
 船着場から町中へという移動も、いつそれが記憶のなかのことだと覆される
 かわからない。
 
 ちなみにこのような構造を、物語の楽しみのために特化したのが探偵小説で
 ある。典型的・古典的な探偵小説では、事件がもちあがり、さまざまな証拠
 が提示され、最後にその真の意味を探偵が解き明かすという仕組みを採って
 いる。準備段階を通じて提示された状況の意味を、最後に探偵が読み替えて
 みせる手際の鮮やかさ、いわゆるどんでん返しの驚きが、読者の目に包み隠
 されず提示されていたはずの状況と、それに対する意外な解釈の落差から生
 じる。私たちは謎への興味に惹かれて読み進め、最後に「あ!」と声をあげ
 る。
 
 ロブ=グリエの小説は、あからさまな探偵小説ではない(じつは犯罪とその
 露見といった要素はここで読んでいる小説にも含まれている)。しかし、い
 わばそうした小さなどんでん返しが動きやまぬさざ波のように後から後から
 やってくるという、「アルゴリズム」とでも呼びたくなるようななにかに駆
 動されている。アルゴリズムとは、コンピュータの用語で、或る問題を解く
 ための解法手順、あるいはそれを実現するためのプログラムを指す言葉だ。
 
 
 前回、気がかりなことを余白に記すことを勧めたのは、ロブ=グリエの文章
 が、このような構造をもっているためであった。
 
                  *
 
 次回は最終回として、もう一つ別の角度から、この小説がもたらす愉悦を述
 べてみたいと思う。
                              (以下次号)


             ┌─────────────────────
         ◎writer|1971年生まれ。コーエーでのゲーム制作を経て、
          profile|文筆・翻訳業。サイト「哲学の劇場」主宰。
             |くわしくは下記を参照。
             |http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/about
             |
             |哲学の劇場
             |http://www.logico-philosophicus.net/
                 ・
                 ・
                 ・
                 ・
 アラン・ロブ=グリエ
 ――フランス語のレッスン、あるいは
   書かれることのなかったロブ=グリエ論を巡って 5
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ キ ム チ
                 ・
        前章>>http://indierom.com/dengei/sp/arg/kimuchi05.htm
                 ・
……………………………………………………………………………第 六 章……
 ある昼下がり、Kが昼休みに近くのオープンカフェで書類を広げてコーヒー
 を飲んでいるテーブルの横に、いつのまにそこにいたのかという自然さで手
 をつないだ二人の姉弟が立っていた。

 「君たちがやってくるだろうことは予想できたよ。なにしろ君たちはシモン
 のところにもやってきたからね。」

 「あなたに予想する権限は与えられていないわ。」と雄弁な姉はいう。

 「指令するのは私たちのほうで、あなたはそれに従えばいいのだから。あな
 たには自ら何かをしようという主体性は与えられていないわ。」

 「確かに、君の言う通りだ。事はシナリオ通りに進んでいる。ぼくはAだか、
 へんしう長だか、双眼鏡の黒幕だか、得体の知れないない人物に「依頼」を
 うけ、ほんとうはAがうけるべきその仕事を「代行」するはめになったのだ
 から。その仕事とは「アラン・ロブ=グリエ――フランス語のレッスン」と
 いう書かれなかったテキストを探し出すことだ。もともとAが言い出した話
 がアランの何を探り出そうとしていたのかは知ったことじゃない。ぼくは誰
 かに頼まれたわけでもないのに書かれなかったテクストを探し出すという
 「宝探し」にまんまと乗り出すはめになったというわけさ。すべてはあらか
 じめ決められた物語の説話論的構造に従って進行しているよ。」

 「あなたは何を言っているの? そんな台詞はシナリオに書かれてはいない
 わよ。」

 「もちろん。このテクストはシモンの物語をなぞって書かれているだけで、
 シモンの物語通りに語られるはずはないよ。これまでも何回も脱線したよう
 にこれからも脱線するだろう。だいたいが、日本語で書かれたテクストにフ
 ランス語の教科書風を求めてもそもそも無理があるだろう。ぼくは、何を言
 っているのか? ぼくが、何を言っているのか? それにぼくはあらたなシ
 ナリオを手に入れたんだ。「依頼」→「代行」→「出発」→「発見」という
 経過をたどる物語は、「権力の委譲」と「二重化」という主題を通して、
 「黒幕」と「双生児」との対立という展開をする。」

 「おやおや、何を言い出すかと思ったら、私たちがその「双生児」だなんて
 言い出すんじゃないでしょうね。あなたは行ったり来たりしているだけで、
 ちっとも「出発」なんてしていないじゃないの。それに私たちは、それと明
 らかにされているわけじゃないけれど、「黒幕」の側に立っているのであっ
 て、まちがっても「黒幕」と対立したりなんかはしないわ。」

 「そんな小さな細部の差異には目をつむって、説話論的な還元を施す必要が
 ある。」

 「待って、「黒幕」と対立関係にあるか、あるいは同じ側に立つかは、その
 説話論的ナントカにとって小さな差異ではないはずよ。」

 「問題は、指令を発する「黒幕」とそれを受ける「双生児」が作り出す三角
 形なんだよ。ほとんどの場合、「依頼」は頂点から二等辺三角形の底辺を決
 定する一点へと下降するかたちで示されるのだが、そのとき主人公は、頂点
 から底辺に引かれた直線を軸として対称的な所に位置するいま一つの点から
 の協力なり援助なりを得ることによって、ほとんど命令に近い「依頼」をや
 りとげることになるだろう。事実、大江健三郎の『同時代ゲーム』に登場す
 る「きみの恥毛のカラー・スライド」という言葉が喚起する黒々とした二等
 辺三角形が、すでにこのテクストにも登場しているじゃないか。」

 「そんな苦し紛れの言い訳にだまされたりやしないわ。あなたが蓮實重彦の
 『小説から遠く離れて』を読んで簡単に影響を受けたあげくに、ほとんど口
 移しのようにそんな台詞をしゃべっていることぐらい私には分かっているの
 よ。」
                             (以下次号)
 
             ┌─────────────────────
         ◎writer|通信販売会社勤務、マーケティング担当。 神戸
          profile|勤務。
             |
             |[電藝 掲載作品]
             |マーケティング論批判序説 http://kat.cc/071dc1
             |私は星野監督を許さない。http://kat.cc/07affa
             |アブグレイブ、イラク、2004年。http://kat.cc/07bedf
             |常識について      http://kat.cc/07dfcb
             |他多数


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