児童文学評論125
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【児童文学評論】 No.125 2008/06/25日号
1998/01/30創刊 今号の発行部数3281部
kids@hico.jp
〔児童文学書評〕 <http://www.hico.jp>
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☆このマガジンは1行34字で改行されています。
★発行年は「原著年/訳年」です。
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【創作】
『漂白の王の伝説』(ラウラ・ガジェゴ・ガルシア:作 松下直弘:訳 偕
成社 2008.03 1500円)
砂漠にある小国キンダの王子であるワリードは民衆にも慕われている。ま
た詩人としてもその将来を嘱望されている。
彼は、詩の大会に出場したいけれど、父王が許してくれません。そこで、
王国でコンテストをし、そこで優勝したなら、国を出て大会に出るという条
件を出し、父王を説得します。
誰もが、ワリードの優勝を疑いませんでしたが、そこに現れた見知らぬ詩
人によって優勝をさらわれてしまう。次の年も、そしてその次の年も。
嫉妬に狂ったワリードは奸臣の言葉に誘惑され……。
実に物語りらしい物語です。読書する喜びを満たしてくれます。作者がこ
れを発表したのは二十五歳の時。物語る才の備わった人なんですね。
映画にもしやすい物語ですが、映画にしてしまうとつまらなくなること必
至の物語でもあります。(ひこ)
『こまじょちゃんと そらとぶねこ』(越水利江子:作 山田花菜:絵 ポ
プラ社 2008.04 900円)
こまじょちゃんシリーズももう四作目です。
母親がおおまじょさんで(本当にでかい)、主人公の幼いまじょがこまじ
ょちゃん、こまじょちゃんの、小さい白いまじょねこがこしろ、といった具
合に、作者は登場人物の名前を「個」に設定しないで、より普遍的なものに
しているわけですが、こうした神話・昔話的方法で、この物語を、どんな幼
い子にも思い当たる、普遍的なものにしようとしています。
絵を担当する山田は、笑いは笑い、泣きは泣き、と、絵描きとしての欲望
を抑えて、幼い子にもわかりやすい情報提供をしています。
折り返しにある、「どんどんよんでね!」という言葉に嘘はありません。
さて、今作は、こしろが危機! それも、どうしようもないまじょとまじ
ょねこの約束のために。
どうなる?(ひこ)
『わたしのすきな おとうさん』(北川チハル:作 おおしまりえ:絵 文
研出版 2008.03 1200円)
大好きなおとうなのに、お仕事でなかなか会えない。
そんな女の子の気持ちを描いています。
彼女がどれだけ寂しいかが、うまく示されていて、良いです。
このグレードの物語って、なかなか描きにくいのですが、その意味でも北
川は、貴重な作家でしょう。
ただ、言葉の流れが一定のリズムで貫かれていて、そのために物語が平板
に感じられてしまうのが、残念です。絵本ならこれでいいのでしょうけれど。
(ひこ)
『ユゴーの不思議な発明』ブライアン・セルズニック作 金原瑞人訳 (
2007/2008.1 アスペクト)
『ウォーターハウス・ホーキンズの恐竜』でその緻密なイラストレーション
を印象づけたセルズニックが映画創成期にイリュージョンに満ちた独自の映
画を作り出したジョルジュ・メリエスへのオマージュを捧げ、描いた作品。
モノクロのイラストが160枚以上も描かれ、無声映画のように登場人物の
動きを追う。その間に物語が語られる、今までに見たことのない構成の本。
映画が奇術とつながっていた時代、もの言わぬ、壊れたからくり人形が持っ
ていた秘密、失われた愛する存在、見つけられない自分の居場所……欠落の
物語が全きものになった時、はらりと幕が落ちる。作家の想像力で描かれた
人々の姿、物語の語り口に魅了される。父を亡くし、叔父までいなくなり、
駅の構内でひっそりと暮らす少年の造形、謎にのめり込んでいく様子が、メ
リエスの生涯に絡んでいくさまがスリリング。(ほそえ)
『ペチカはぼうぼう 猫はまんまる』やえがしなおこ作 篠崎三朗絵 (
2008.1 ポプラ社)
ペチカはぼうぼう 猫はまんまる おなべの豆は ぱちんとはじけた……と
はじまるロシア昔話風の連作童話。どれも語り口がしっかりしていて、民話
のようなフォーマットのなかに登場人物の思いが行動に現れる。作家の持つ
北の国の言葉がロシア風の語り口に合っているのだろう。どの物語も作り物
めいたところがなく、ロシアの昔話といわれれば素直に納得してしまうよう
な出来。悪態をつきながらも最後まで願いを全うする猫や思い焦がれ自らさ
がしに出かける娘、3人の兄弟が出会う狩りの王、草の王、鳥の王の姿など
作家が作り上げた造形がくっきりとしている。フォーマットを持つことでよ
り自在に飛翔できる想像力の強さを感じた。(ほそえ)
『彼岸花はきつねのかんざし』朽木祥作 ささめやゆき絵 (2008.1 学研
)
広島の郊外にある在所。家の裏には竹やぶが揺れ、人を化かすおきつねさん
がすんでいるという。也子はそこで「あたしにばかされたい?」と聞く小さ
なきつねを出会うのだ。おばあちゃんが語るきつね話、おかあさんを化かし
たきつね……父さんが長く中国に出征している寂しさは毎日の暮らしの穏や
かさにまぎれてしまい、思いやり深い家族や雇い人に囲まれてのびのびと暮
らす日々。近くなり、離れたりしながらも、親しくなっていく也子と小さな
きつねの交流がぱたんと切れてしまうラストには、ピカドン(原爆)が描か
れる。あたり前の毎日、優しさに満ちた時間が突然失われるということを幼
い人の目線で描ききろうとした作家の決意に胸が打たれる。(ほそえ)
『ぼくんち戦争』村上しいこ作 たごもりのりこ絵 (2008.3 ポプラ社)
4年生のぼくは家のことが心配。6年のお姉ちゃんはことあるごとにかあち
ゃんにつっかかって難しいこと言い始めるし、おじいちゃんはことごとくお
母ちゃんの言うことを無視して勝手なことをする。かあちゃんはその度に怪
獣みたいに怒るんや。このままぼくの家族、どうなってしまうのやろ……。
大阪弁でテンポよく会話が進み、家族それぞれの思いや友だちの思いがすれ
違ったり、向かい合ったりするのを描き出す。おねえちゃんがきゅうにおか
あさんに対し強い態度で出るようになったわけも納得できるように書かれ、
互いを認めあうこと、自分の感情で縛らないことなど、あまり教訓的になら
ないようおもしろおかしい語り口の物語のなかできちんと伝えようとしてい
るのがえらい。こういうことを子どもに言っておきたい、考えてもらいたい
という意識がはっきりあり、それとおもしろさを両立させるように工夫して
いる。(ほそえ)
『ウォートンとモートンの大ひょうりゅう』ラッセル・E・エリクソン作
ローレンス・ディ・フィオリ絵 佐藤涼子訳 (1982/2007.11 評論社)
2匹のヒキガエルのきょうだいが巻き起こすおかしな日常を描いたシリーズ
も6巻目。大雨の日に蜂蜜をとりにいった2匹はアライグマに捕まえられそ
うになります。逃げ込んだところが、家の中をきっかり半分に色分けしてす
んでいる2匹のおばあさんアマガエルのところでした。一晩中降り続いた雨
がやんだとき、皆が見た光景は……。助かったと思ったら、へんてこなルー
ルの暮らしぶりに頭がくらくらになるし、アライグマはヒキガエルもアマガ
エルも食べようと家の前にがんばってるし。この奇妙な団体がひょんなこと
で窮地を脱するまでが生き生きとした語り口で描かれる。キャラクターたち
の性格設定がそのまましゃべりや行動に直結しているのがこの物語の直裁で
面白いところ。これが子どもに人気の理由かな。(ほそえ)
『ボクシング・デイ』樫崎茜作 (2007,12 講談社)
講談社児童文学新人賞佳作受賞者のデビュー作。小学校4年生だった日々を
思い返し描かれる文章は、現実の4年生とはちがって、すこうし大人びて、
賢そうに見える。振り返る瞬間があり、振り返る日々を持っていることこそ、
幸せなのだと知る主人公は、既に子どもではなく、大人の苦さを知ってしま
っている。幸せなど問いもしない子ども時代を甘やかに思い返すだけでは児
童文学にはならない。その子ども時代の表現に、現代を生きる子どもに呼応
するものがあるかどうか。本作では、子ども同士の関わりに多く筆をさいて
いるところにかろうじて、それを見いだすことができる。こどものたどたど
しさやバランスの悪い心のおきどころのなさなどを表現する文章はおもしろ
い。先生は作者の思いを語りすぎるきらいはあるけれど。タイトルは、挿画
とともに意味するところを表現しているが、それをわかって本作を手に取る
のは、やはり大人の読者となるのではないだろうか。(ほそえ)
『さかさやまのさくらでんせつ』二宮由紀子作 あべ弘士絵
『たぬきのたろべえのたこやきや』二宮由紀子作 センガジン絵(2007.11
理論社)
「あいうえおパラダイス」シリーズの3、4巻目。同じ字で始まる言葉だけ
で物語られる小話が5話はいっている。時代物から動物話、人間話とさまざ
ま。言葉に縛りをかけて、話にえいっと跳躍力をつけるから、なんでこんな
展開に……と知らず知らず腰砕けナンセンスワールドに導かれてしまうのだ。
この力技はすごいなあ。(ほそえ)
『「さやか」ぼくはさけんだ』岩瀬成子作 田島征三絵 (2007,12 佼成
出版社)
ぼくは泣き虫だ。でも、クマタカのように強くなりたい。さやかは、本当の
母さんは死んじゃってるし、父さんはいつも絵を描きにいっていないけど、
あさひさんと食堂のよもぎ屋を切り盛りして暮らしている。力も強いし、何
をやってもぼくよりうまくできるし、いばっている。ぼくとさやかはひょん
なことでけんかをし、それから、ぼくはほかの男の子と一緒に、さやかに嫌
なことを言ったりしたりするようになった……。強くなりたいと思っている
男の子が風の強い日は山から下りてくるというおごうさあを見に、友達と出
かけていったところから物語は急展開する。自然の中で、体を縮め、大いな
る気配を感じることで、たまっていた気持ちが爆発する。その転換がクライ
マックスだ。気持ちが直接、行動に結びつき、解放されるという経験が子ど
もに及ぼすさまを作家はしっかりを見据える。そういう経験をもてない現代
の子にとって、この物語は憧れ。(ほそえ)
『いきてるよ』森山京作 渡辺洋二絵 (2007.12 ポプラ社)
ぶたのことくまのおじいさん、きつねのこ、うさぎのこ、そしてちょうちょ。
それだけしか出てこないのに、命というものに向き合う幼い子の姿の神々し
さにうたれる。朝、訳もなく早く目覚めてしまったぶたのことくまのおじい
さんの出会い。3人で遊んだ帰り道、道でうごかなくなっていた白いちょう
ちょに心を寄せ、川に流した姿、丘の上で再びであったくまのおじいさんに
「いきてるね」とたしかめずにはいられなかったぶたのこ。小さなエピソー
ドがそれぞれに結びついて、「いきてるよ」という賛歌になっている。(ほ
そえ)
『マイカのこうのとり』ベンノー・プルードラ作 上田真而子訳 いせひで
こ絵 (1991,2004/2008.2 岩波書店)
ドイツを代表する児童文学作家のひさしぶりの邦訳。マイカの家の古い納屋
の屋根の上に巣をかけたコウノトリ。そこで子育てを始めるのですが、その
うちの1羽が灰色と茶色の羽をしたうまくとべないコウノトリでした。巣へ
戻そうとしても、親やほかの兄弟たちが入れてくれません。とうとうマイカ
はそのコウノトリを家で育てることにしました……。コウノトリを案じ、思
いを寄せるマイカとコウノトリの様子を描くシーンはとても詩的で美しい。
父さんの知り合いの研究所にコウノトリがひきとられてからのマイカは、夢
のなかですらコウノトリと心通わせることは出来ません。その悲しさ、突き
放されたような気持ち。ラストでコウノトリが飛び去る姿をマイカが見るの
はほんとうだったのかしら? アフリカへ飛び立ったというのは喜ばしいこ
とではあるのだけれど、ぼうとした喪失感をマイカと一緒に抱えなくてはな
らなかった。大人たちの描き方、近所の少年とマイカとの関わりなど、スト
ーリーのなかの挿話的なシーンに引きつけられるものがおおい。それがこの
物語に不思議なとりとめのなさを感じさせ、子どもの感覚というものを思い
起こさせる。(ほそえ)
『氷石』久保田香里作 飯野和好画 (2008.1 くもん出版)
奈良時代天平9年の夏を描いた歴史もの。遣唐使として唐に渡ったままもど
らない父、天然痘にかかってなくなった母、一人自分の才覚で生きていく少
年千広が自分の生きていく場所を求めて、様々な人に出会い、心結ぶ少女と
再会するまでをいきいきと描いている。遠い時代の生活を具体的に書き、歴
史の教科書でしか知らなかった光明皇后が建てた施薬院、東市、藤原麻呂な
どが物語の核としてとりこまれている。歴史的な事実と創作が実にうまく紡
がれ、字を読む、書くということへのおそれ、喜び、学ぶということの意味
などを物語のなかで主人公とともに考え思いめぐらされた。どのように人は
死を乗り越え、生きていこうとするのかということもこの本のテーマである
ようだ。主人公の千広とともに、思いを寄せる少女宿奈、みなしごの安都、
施薬院の伊真、いとこの八尋、代書屋の先生など登場する人たちがみなそれ
ぞれに思いを秘めて、しっかりと生きており、とても魅力があった。解説に
も書かれていたが、ぜひこの人たちの行く末をまた続編で読んでみたい。(
ほそえ)
『時の扉をくぐり』甲田天作 太田大八絵(2008.2 BL出版)
浮世絵師・歌川広重の弟子、佐吉の目で描かれた広重と北斎。歴史上の人物
に想を得て、自在に動かす物語はよく知られる人物をいかに造形するかが鍵
だか、本作ではそこにゴッホの幽霊を絡めて、3人の芸術家の有様、ライバ
ル心、美の見つけ方などを描き出したところがおもしろかった。ゴッホの幽
霊を連れて、善光寺をまわり小布施へいく道中。一緒に出かけた佐吉と出島
でオランダ語を覚えたという又三がふたりの画家の姿を目の前にして、己を
振り返り、自分の進む道を選び直すというサブストーリーもある。3人の画
家を扱うにしては物語があっさりしているようにも思うが、これはこれで子
どもには手にとりやすい体裁の本になったのでよいかな。(ほそえ)
『ほらふき男爵の大旅行』G.A.ビュルガー編 斉藤洋文 はたこうしろう絵
(2008.4 偕成社)
『ほらふき男爵の冒険』に続く2作目。ほらふき男爵が外国でであった不思
議なお話ばかりを集めている。トルコでの合戦であまりに速く走る馬に乗っ
ていたらそれが半分の馬だったとか、ロシアであまりの寒さで角笛の中で音
楽が凍っていた話や、大西洋横断の話など、小さい頃、名作版でよく読んだ
お話が、とってもテンポよく生き生きと今の子にも読めるようになっている
のがうれしい。小学校中学年から高学年の子どもたちにうまく手渡していき
たいシリーズ。こういう本で、ユーモアや生活の知恵など知らず知らず身に
つけてくれれば……と思う。(ほそえ)
『花火とおはじき』川島えつこ作 高橋和枝絵(2008.4 ポプラ社)
『まんまるぎつね』で少女の心をやさしく支える物語をしっとりと描いた作
家が、大切な人との別れをどんな風に納得していったかを10歳前後の子ど
もたちの胸にすとんとおちるように、丁寧に描いている。4年生になったば
かりの夏まつりの前の晩、いつでもどんな時でもあたたかく包み込んでくれ
たおばあちゃんがなくなった。あまりに急なことでぼんやりしている女の子
の前に若いお姉さんがやって来て、一緒に夏祭りに連れて行ってくれること
になったのだ。ふたりでまつりを楽しんでいるうちに少女は子のお姉さんは
誰かに似ている……と思いはじめる。亡くなった人が思いを遂げるために再
び姿を現して、ある時間を過ごすという物語は目新しい展開ではないけれど、
中学年の子どもたちにも伝わる文章で、少女の周りの人の思いもしっかりと
お話に組み込んで、これから成長していく姿を想像させるように物語るのは
なかなか難しいもの。なのに、すっきりと親しみ深く、大切な思いと時間を
不思議にのせて描いているのが素敵。(ほそえ)
『2年3組ワハハぐみ テストで100てんとるにはね……』薫くみこ作
かわかみたかこ絵 (2008.4 ポプラ社)
ひつじのメリー先生のクラスはみんな元気で楽しいクラス。なかなかお話し
できなくて学校に来るのが嫌だったハリネズ田つん子ちゃんもクラスのみん
なのお笑い攻撃にあてられて、学校好きになってしまった前作よりも、お話
がパワーアップしています。おたふく風邪になってお休みしているメリー先
生の代わりに1組のアヒル木先生が見てくれることになったのですが、テス
トばっかり。小テストで悪い点数だとほっぺにぐるぐる渦巻きを描かれてし
まうのです……。でもね、みんなはがんばってべんきょうしたら、メリー先
生の病気が早くよくなると思って、すこしづつかわりはじめました。ぐるぐ
る渦巻きは「はなまるになるおまじない」だと信じて。キャラクターのはっ
きりしたカリカチュアされた学校ですが、そこで描かれる物語には真実があ
り、真摯な先生がいます。(ほそえ)
『ヨハネスブルクへの旅』ビヴァリー・ナイドゥー作 もりうちすみこ訳
橋本礼奈画 (1985/2008.4 さ・え・ら書房)
アパルトヘイト政策のもと、黒人居留地に住む姉弟が、白人の家に住み込み、
働いている母さんの元へ赤ちゃんの病気を知らせにいく道中を描く物語。姉
弟はアパルトヘイトのなんたるかを知らず、ただただ大きな道をまっすぐ歩
いてヨハネスブルクへ行く途中、オレンジ農園で働く少年に助けてもらった
り、トラックの運転手に乗せてもらったり、大きな町で町の仕組みを教わっ
たりしながら、自分の生きる社会の矛盾、今まで親や身近な大人が教えてく
れなかった現実を知っていきます。それはそのまま読者の姿と重なります。
アパルトヘイトを知らない日本の子どもが本書を読むことで、歴史的なター
ムとしてではなく、実感をともなった歴史的事実としてアパルトヘイトを感
じることが出来ればと思う。訳者あとがきでもアパルトヘイト下の南アフリ
カのことはよく説明されている。本書は著者の初めての児童書で、まだアパ
ルトヘイト下の頃、イギリスで出された本である。20年以上も前の本であ
るため、現在の南アフリカのことは全く出てこない。現在、この政策はなく
なり、どのように新たな国づくりがされているかという点を訳者あとがきで
フォローしてもらえればなおよかった。(ほそえ)
『天山の巫女ソニン 3朱烏の星』菅野雪虫 (2008.2 講談社)
ソニンのシリーズもはや3作目。今回は関係の悪くなったもう一つの国、巨
山にイウォル王子とソニンが出かけることになる。狼殺しの王は強大な権力
で国民に人気だが、地方の辺境にすむ森の民などの小さな部族やまずしくや
せた土地に住む人々からはうらみをかっていた。巨山の王女との出会ったり、
森の民の武装蜂起未遂にまきこまれたりするなかで、感情を強く出しすぎて
しまう自分に戸惑ったり、自分の本当の力とは何なのかと悩んだりする。人
はその立ち位置によって、ものの見方、考え方が違ってくるもの。それでも、
違った視点を持ちつつ、自らの考え、進む道を選択していかなくてはならな
い。選択したら、それに責任を持たなくてはならない……。描かれるイウォ
ン王子、ソニン、ミン、王女イェラなど若者たちが、それぞれに自分のあり
方を真摯に考えている姿がこのシリーズを読み進む楽しみである。同じ年頃
の読者であれば、なおのこと、深く我が身と重ねあわせるのではないか。こ
の真面目さは貴重。(ほそえ)
【創作時評】
「既知」と「未知」のあわいで
芹沢清実
物語というものがなかったら、どんなに人生はたいくつか。作家の目は、な
にげない日常の風景からもすばやく物語をすくいあげる。
たかどのほうこ『お皿のボタン』(偕成社07年11月)
では、服からとれたり、そのへんにころがったりで皿にほうりこまれたボタ
ンが、それぞれドラマチックな「人生」を語りだすし、
いとうひろし『ふたりでおるすばん』(徳間書店07年11月)
は、やっかいな弟とふたりで留守番する状況を童話「七ひきのこやぎ」にか
さねることで、日常にスリルと冒険をひきよせる。本好きな女の子が試練と
その「ごほうび」をさずかる
末吉暁子『本の妖精リブロン』(あかね書房07年10月)
も、みなれた図書室にふしぎのスパイスをかける。こちらはアンデルセン童
話の世界がからむ。
なじみのある日常にどうやって非日常のかがやきをもたらすか。あるいはよ
く知っている物語や状況をどう別の文脈に組みかえるか。いわば「既知」と
「未知」とのさじ加減にベテラン作家の芸がひかる。
日常にひそむものをてらしだす奇想
「ファンタジー」とか「リアリズム」とか、いわゆるジャンル分けをしてし
まうとそのおもしろさが逃げてしまうような本が目をひいた。たとえば
ただのゆみこ『耳の中のアブ』(国土社07年12月)。
主人公である小学生キリコの母は、父とのいさかいをふりきって新薬研究の
最前線アマゾン流域に単身出発。キリコは家庭でも学校でも、しっかり者で
むじゃきな子どもを演じている。親に期待して傷つくようなヘマをしたくな
いのだ。<自分にはどうすることもできない、しかたがないことは、心のず
っと奥のどこか見えないところにほうりこんで、見ないことにしていた。そ
うやって、いやなことはわすれてすごしてきた。>
つまり精神医学でいう「否認」。そのまま「リアリズム」で描いても説得力
をもつだろう、現代的な主題だ。現代的であり、いい切り口であるというこ
とは、アプローチするひとが多いということでもあり、そう考えるとあんが
いむずかしいところでもある。
で、そこにきりこむのがタイトルのアブ。キリコの耳にとびこみ、人の心を
聞くという「心耳袋」から出られなくなってしまったというのだ。へんてこ
な言葉づかいで、まるで落語のようなアブのキャラクターがいい。ときおり
キリコに話しかけてきては、新聞が読みたいから耳にいれてくれ、などと勝
手な注文をしたりもする。おだやかな味わいの奇想が、物語を既視感から遠
ざけてくれる。
鳥野美知子『鬼の市』(岩崎書店07年10月)
に登場する「鬼」のほうは、正統な空想世界の住人。読み終わってみれば、
どこかかわいい存在だが、その「鬼」が登場するまでがリアリティたっぷり
に読ませる。主人公の家には、15歳年上の姉が夫の事故死により小さい子
連れでもどってきている。<泣いてばかりもいられないと思ったらしく、ね
えちゃんはあっというまに凶暴な女に変身した>と述べる視点人物は小学校
5年の弟。
この家庭には他家にはない年中行事「鬼迎え」がある。節分の夜、鬼を家に
迎え入れ、厄災をもちかえってもらうよう、翌朝おくりだす。地方色ゆたか
な伝統行事のリアリティが読ませる。主人公が、これまでは感じなかった<
鬼の気配>を今年はひしひしと感じとる場面も、ホラーさながらにこわい。
後段のユーモラスな鬼たちも、これがあってこそいきる。
異形が活躍する時代ファンタジー
日常のなかに怪異をかんじる能力が現代人はおとろえてしまっているらしい
(内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』講談社現代新書
)。時代ファンタジーが元気なわけは、そのへんにあるかもしれない。
器物が年をへて付喪神という妖怪になるとは、昔のひとはおもしろいことを
考えたものだ。サイコロの付喪神を相棒に日銭をかせぐ戦国時代の少年を主
人公にしたのが
廣島玲子『盗角妖伝』(岩崎書店07年10月)。
あやしい女に賭けで負けて、頼みの付喪神をとられた少年の道連れになった
のは、同じ女に角をうばわれた童子形のあやかし。あるいは鬼気迫り、とき
にユーモラスな妖魔たちの造形が魅力的。
芝田勝茂『虫めずる姫の冒険』(あかね書房07年10月)
は、古典「堤中納言物語」中の人気キャラを主人公にすえた。大納言の娘な
がら人の評判も気にとめず、すきなことにまい進する自立心おうせいな姫。
現代的でしたしみやすいキャラが、冒険にみちた古典世界へ読者をみちびく。
戦争へせまる切り口
戦争というテーマでは「既知」と「未知」の出合わせ方がむずかしい。そこ
に新しい切り口をもとめるシリーズ「おはなしのピースウォーク」は、
日本児童文学者協会編『地球の心はなに思う』(新日本出版社07年10月
)
で5冊目になった。今関信子「地球の心はなに思う」は、自虐だとか愛国心
だとか「内」むきになりやすい論議を「外」から見たらどうなのか、と開く。
かつての敵国とは先祖が殺しあった関係というシビアな事実に子どもが直面
する場面は、なるほど他国への行き来がふえたいま、日常のひとこまでもあ
る。また佐々木赫子「イチイの木のふしぎ」は、容易に子どもの命が切り捨
てられる「平家物語」の世界へと、現代から時間軸をうつしてみせる。
児童文学としては異色の「実録」ふうサスペンスで、戦争にまつわる"土地
の記憶"をあつかったのが、
砂田弘『悪いやつは眠らせない』(ポプラ社07年10月)。
空襲による死者の記憶が、バブル、その後の不況と、世間の空騒ぎのなかで
うすれていくことへの告発を都市伝説ホラーに仕立てた。
松居スーザン『じゅんぺいと不思議の石又』(文溪堂07年10月)
は寓話のスタイルで、わたしたちが非日常(つまり他人事)とかんじがちな
戦争の火種は日常(自分のなか)にひそむと説く。主旨も説得的だが、魅力
はその語り口にあって心に残る。
手仕事のもつ具体性という魅力
『秘密の花園』みたいな、すごくすきな本、と複数のひとがすすめてくれた
日本児童文学者協会・第五回長編児童文学新人賞受賞作の本多明『幸子の庭
』(小峰書店07年9月)。
しおれた植物のように精気をなくしていた少女が、手入れをおこたり「おば
け屋敷」のようになった広い庭が植木職人の手でよみがえる過程で、生命力
をとりかえす物語。
といってもバーネットの物語とちがって素朴な自然賛歌ではない。いっけん
「自然」にみえながら、じつは巧緻な手がかけられている庭。自然にまかせ
生い茂っていた枝葉におおいかくされていた下から、腕きき職人の目と手に
よって、曽祖父のこまやかな設計による憩いの領土がたちあらわれる。作業
は遺跡の発掘・復元にも似て、地層のなかから家族の物語がよみがえる。
詩人としても高い評価をえている著者の筆にかかった庭の復活過程は、ずっ
しりたしかな読みごたえ。あるべき姿をとりもどす草木のありよう、それを
やってのける手仕事の、道具と手が一体となって躍動するあざやかさ。
物語の視点は、ときに少女から切り替わって、鋭く庭を観察する職人の目に
もなる。選評(「日本児童文学」06年5−6月号)で論点となった若い職
人視点部分だが、ひとづきあいの苦手な青年が職人修業のなかで自己形成す
るさまを描く。これはYAとしておもしろいのではないか。
若者と仕事をめぐる困難は、子どもの本周辺でも、もっと関心をもたれてよ
いという気がしている。
07年の一般書で、成果主義の蔓延が若者の育成をさまたげていると指摘す
る
荒井千暁著『勝手に絶望する若者たち』(幻冬舎新書)
や、不安定雇用にもかかわらず「やりがい」をもとめて過剰労働におちいる
団塊ジュニア世代を取材・分析した
阿部真大著『働きすぎる若者たち』(生活人新書)
がためになった。
いまや新卒―正社員という"正規ルート"が崩れたぶんだけ、手仕事の世界に
目をむける若者が増えているようだ。労働の具体的な側面での魅力をそなえ
た仕事というのはじつに多彩で、
加藤幸子『蜜蜂の家』(理論社07年9月)
では、養蜂という仕事が、起業にかかわるネットワーク作りの熱気とともに、
繊細かつリアルに描写されている。
ひとすじなわではいかない魅力のありか
さて、その本の特色だとか魅力についてひとに伝えようとするとき、これだ
とすっぱり簡潔にいいきれない本もある。それが魅力にとぼしい本かという
と、むしろ逆なのだが、どういったらこの本がすごくおもしろいってことを
伝えられるのか、あれこれ迷ってしまうのだ。そのむずかしさはどこにある
のか。
まずはネタばらしにならない線の見極めかた。未読のひとにむかって、じっ
さい読んだとき「おお、そうだったのか!」とおどろくであろうポイントを
ばらさずに、「こういう話」と説明することは案外むずかしく、何度「しま
った!」と思ったことか(自分についても他人についても)。しかし、あん
まり隠しすぎても気をひくのがむずかしい。チラリ見せるべきは見せる。
たとえば
岩瀬成子『そのぬくもりはきえない』(偕成社07年11月)
を「とりあえずジャンル的にいうとゴーストストーリーかな」と紹介する。
二階に幽霊がでる、とうわさされる家があって、そこの犬を散歩させること
になった子どもが幽霊にであう話、と説明するのはギリギリの許容線。
あとはおそらく相手によって強調ポイントがちがう。いつも「正しい」母親
にむかうと心があやふやになってしまう子どもが「自分がしたいこと」をつ
かみとるまでの物語(正統な児童文学読者に)。孤独だった老女が自律をか
ち得る物語(老いが身近になった友に)。水族館での大冒険と小冒険がわく
わくするはなし(カニグズバーグの博物館の話を連想させるよ)。犬好きに
は必須(描写がリアルなんだ)。脇役の女の子がかっこいい(フェミニズム
観点)。どの線を強調してもいい。
しかし、どうもこの本の最大の魅力は、これらとは別のところにあるように
おもってしまう。たとえば主人公がどんな子なのかを読者はすぐに知りたが
る。名前は? 年齢は? 見た目や性格は? それに冒頭からこたえる本と
は、ずいぶんとおいところにある、というようなこと。いうまでもなく不親
切で読みにくいとか展開がおそいとかいう欠点とも無縁に。
この本の主人公は「波」という名の子ども。
庭で死んでいたカマキリのことを誰かにいいたくなって、紙に包んだそれを
友だちの机にいれたのが、いじめと勘違いされてしまうエピソードからはじ
まる。自分のおもいや、その伝えかたがよくわからない。まずはそういう子
なのだということが提示され、男の子なのか女の子なのかが明示されるのは
23ページなのだ(ちなみに「波」の自称が登場するのは31ページ)。
そこまでを「波」という字は「彼」という字に似てるな、などとたのしむ。
こんな読書経験は、めずらしいお菓子を一口ずつあじわうのにも似ている。
「波」は色彩でいえば淡色の、ゆっくりした子どもである。それにたいして、
「もっと強い色を着なさい。中途はんぱな色ばかり着ていると、幽霊に負け
ちゃうよ」とはげます友人や、「波にもすきな仕事についてほしいな。夢を
もってほしいの」と行動をうながす母親は、強烈な光をはなっている。
その濃淡のせめぎあいのなかでテンポよく物語がうごく。でも読む側は、あ
くまでもゆっくり淡い主人公サイドから流れる時間をたぐりよせる。ストー
リーと主人公の単純には対応しない語り方。キャラをあやつって決められた
ストーリーをたどるゲームの単調さとは無縁なところに、いまとても魅力を
かんじている。(芹沢)
(「日本児童文学」2008年3−4月号掲載)
【評論】
『日本の人形劇 1867〜2007』加藤暁子著(2007.11 法政大学出
版局)
1867年(慶応2年)にアメリカ、ヨーロッパと日本の曲芸団がからくり人形
を持って巡業していたところからはじめ、文楽からの流れ、各地に伝承され
た人形遣、現代の人形劇のさまざまな試みまでを実感の伴った紹介でまとめ
ており、人形劇という場がアート、教育、伝統などの先達によっていかに広
げられ、育てられてきたかというところを示してくれている労作。長く現場
で活動してきた著者だからこその視点で、戦時下での活動やその後の教育と
の関わり、テレビと人形劇など年代ごとにまとめられ、その時々の社会状況
との関わりの中で真摯に活動してきた人や団体の姿が活写されている。人形
劇は子ども向けの文化と思われがちなことと演劇、アートなどの複合文化で
ある故に、なかなか一般に向け、評価し論ずるものがでてこないが、本書を
手にすることで、その豊かな世界を感じてもらいたい。特に最近は大人向け
の演目も増え、芸術系の若者が人形アニメーションなどで活躍している。そ
んななか、p222にあるように、「子ども対象にしたアートが大人に向か
ないということがあるだろうか〜」以降書かれている文章は、「人形劇」と
ある部分をそのまま「絵本」に置き換え読めば、私がいつも思いめぐらして
いることと重なっている。子どもという視点を持って、ものを作ることの意
味をもう一度、深く考え尽くしていきたいと思うのだ。(ほそえ)
『作家の時間〜「書く」ことが好きになる教え方・学び方実践編』プロジェ
クト・ワークショップ編 (2008.4 新評論)
『ライティング・ワークショップ』(2007 新評論)を読んで、日本で実際
に子どもたちと一緒にはじめた実践をまとめたもの。アメリカでのメソッド
をいかにして活用していったか、子どもたちとの日々から書かれている。こ
の本を読んでこの実践はたんに「書く力」を育むだけでなく、子どもたちが
共感し共に育っていくのにとても有効だと思った。作文の時間を作家の時間
と称し、自分の好きなテーマで、自分の好きな時間をかけて文章を書き、作
家の椅子に座って、先生や友だちにその文章を読み、いろんな意見、感想を
聞く。それをまた自分の文章にフィードバックしていくという作業を通して、
人に何をどのように伝えたらいいのか、表現方法をさぐっていったり、見方
を深めていったり、言葉を獲得し、考える手段を身体に刻み込むようになっ
ていく。友だちの作文を聞き、読み、それに心を寄せることで一人一人の感
覚、人となりを認めあう……そういうところが素敵だなと思った。書くとい
うことは考えるということだ。本を読むということも、実は言葉を獲得して、
それをもとに考えるということなのだと思う。考えるということは、個人へ
と閉じていくことではなく、自分を開いていくこと、つながっていくことな
のだと思う。それは言葉を使って考える人間というものの習性ではないかし
ら。言葉は相手があって成立するものだから。伝えたいという対象があって
こそ輝くものだから。そう言う輝きを持った文章がこの本のなかにはたくさ
んある。絵本も伝えるという技を教えてくれるツールとして登場する。漠然
と読まれるより断然いい! 読む、書く、話す、考える……これらをしっか
りと出来る人に育てる、それがいわゆる生きる力を育てるというものなのだ
ろう。いきいきとした教育実践を読むとうれしくなる。子どもを支えていく
教育、文化をきちんと知らしめていきたいと切に思う。(ほそえ)
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☆それでは次号で!
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【児童文学評論】 No.125 2008/06/25日号
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