2009/10/18
JOG-Mag No.619 武家の娘(下)~ アメリカに生きる
■■ Japan On the Globe(619) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■
国柄探訪: 武家の娘(下)~ アメリカに生きる
武家の娘は、西洋も東洋も人情に変わりはない
ことを知った。
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■1.アメリカの「お母上」■
松雄と鉞子(えつこ)はウィルソン夫妻の邸宅で20日ほど
過ごした後、6月の美しい日に結婚式をあげた。花の香の充ち
満ちた部屋に象牙細工をほどこしたテーブルが置かれ、その前
には日米両国旗が交叉して掲げられていた。二人はそこに並ん
で立ち、聖書の朗読が行われた。参列者はみな、美しい結婚式
だと賛美した。
やがて、二人はウィルソン夫人の親戚の未亡人の家に住むこ
とになった。近くの丘の上に立つ、大樹に囲まれた古風な家で
ある。未亡人は「厳しいニューイングランドの血統と、やさし
いバージニア貴族の血統」をひく婦人だった。
初めは、この婦人が日本が好きだと言って、二人を家に招い
たのだが、お互いに気が合ったので、そのままこの家に留まる
ことにしたのである。鉞子はこの婦人をアメリカの「お母上」
と呼んで、敬愛した。
ニューイングランドの厳格な気風やバージニア貴族の家風を
身につけた婦人にとって、武家の娘として厳しく育てられた鉞
子は、国こそ違え、どこか響き合うものが感じられたのだろう。
■2.お祖父さまの軍服■
ある日、「母上」が屋根裏のお納戸部屋でトランクの中の衣
類を整理しているのを、鉞子は傍らで手伝っていた。「母上」
は1812年の英米戦争の時に祖父が着たという軍服を見せた。
鉞子はふと、故郷の家での虫干しの日を思い出した。召使い
たちが衣類をかけた綱の間を忙しそうにたち働いている間をぬ
けて、父について入って行った祖母の部屋の様が眼前にはっき
りと浮かび上がった。
「エツ、何を考えているの、5千里の離れたところを見るよう
な眼付きをしているではありませんか」と、「母上」は微笑を
浮かべて言った。「もっと遠いところを見ておりましたわ、私
が生まれる前のことを見ていたのでございます」
鉞子はうつむいて、「母上」の膝の上の古い軍服の大きな衿
(えり)をなでてみた。すると、アメリカ中で、自分の胸に一
番ぴったりするもののような感じを受けた。
お母さま、家のお納戸にも、戦いの思い出を語る尊い記
念の品々がございます。
鉞子は、子供の頃に聞いた父親の武人ぶりをアメリカの「母
上」に語った。
■3.武士の誇り■
戊辰戦争において、長岡藩は幕府側に立ち、官軍と戦った。
戦いに敗れた後、長岡藩城代家老であった鉞子の父親は、人質
として、敵陣に囚われの身となった。
人質と申しましても、こちらで考えられるようなものと
は違い、周囲は戦場の巷でございましても、その陣屋はあ
る静かな森の中のお寺で、そこは陣屋でもあり、また身分
ある敗軍の武士の仮の牢獄でもありました。父はとらわれ
の身ではありましても、客分として扱われておりました。
・・・父の周りには囚われの身を思わせるような何物もな
いようでしたし、あそらく何もなかったことでありましょ
う。父が武士の誇りという強い鎖でつながれているという
ことを監視の者も心得ていたのでございましょう。
こんな物憂い日々、父の何よりの楽しみは書と、敵方の
隊長と碁を囲むことでありました。教養の高いこの人は、
時折り父のところに話しに来られましたが、二人は趣味も
あい、共に節義を重んじ、たとえ目指す道は異なりましょ
うとも、暫くの間に結ばれた友情は、生涯変わることもご
ざいませんでした。[1,p202]
ある日、いつものように若侍が夕食の膳を運んできたが、ご
飯の椀が右に、お汁椀が左に置かれ、箸は仏前に供えるように
飯椀につきさされ、焼き魚の頭はふっつりと落とされていた。
いよいよ最期の時が来たことを知らせていた。
父は常のように食事をした。沐浴して、武士の最後を語る水
色の裃(かみしも)をつけ、静かに丑三つ時(うしみつどき、
午前1~3時)を待った。
そこに入ってきた隊長は、深い思いは隠して色に出さず、
「隊長として参ったのではありません。御身の友として、御郷
里への御伝言を承りとう存じます」と言った。
父は「只今の御志のみならず、かねての御交誼、誠に有難う
存じます。二度と帰らぬ覚悟で家を出ました故に、はや申すべ
きことは、言い残してまいりました。今更何の申し伝えるべき
こともございません」と答えた。
■4.「世界中、どこの国もみなよく似ておりますこと」■
丑三つ時となると、父は数百年続いた武家の誇りをその態度
に見せて、静かに寺の庭に下り、用意された囲いの中に入った。
父とともに最期の時を迎える人々が囲いの中に並んでいた。そ
の中にまだ幼い鉞子の兄が、介添えの者とともにいた。
父を見て、兄はかすかに体を動かしたが、介添えがその両袖
を抑えた。父は静かに歩を進め、眼は真っ正面を向いて、最期
の座についた。兄は身じろぎもせず、真っ直ぐに座り、眼は真っ
正面を見つめていた。幼くとも兄もまた武士だった。
ここまで語ると、鉞子は目の前の軍服の大きな衿をしっかり
と握りしめ、涙の顔を伏せてしまった。「母上」の手が肩にお
かれたのに気がついたが、涙に濡れた面をあげては、武士の娘
として、その父を辱めることになると思った。
切腹の寸前に、新政府からの伝令使を乗せた早馬が到着した。
戦争が終わり、新政府は抵抗したすべての人々を赦したのだっ
た。すんでの所で、父と兄の命は救われたのである。
「母上」は悲しそうにいった。
そうなのです。早馬や飛脚便で伝令をしていた頃には、
よくそんなことがあったのを知っています。誰が悪いので
もありません。
「母上」は頬を染め、眼は涙にうるみながら、しっかりと軍服
を握り、真正面を見つめて言葉を続けた。
世界中、どこの国もみなよく似ておりますこと。
二人は微笑み交わした。アメリカの軍人の孫娘である「母上」
と、日本の武士の娘の鉞子の心が通い合った。それ以来、鉞子
は心の底から「母上」を愛するようになった。
■5.主婦としての誇り■
もっとも日常生活においては、日米の風習の違いに戸惑うこ
ともたびたびあった。
ある時、教会の婦人会で臨時の支出のために、5ドルを募る
こととなった。最近、相当な金額をそれぞれの夫から集めたば
かりなので、今回は、夫に頼らずに工面しようということになっ
た。その集まりでは、各人がどう5ドルを集めたかが、話題と
なった。
たいていの婦人は、少しづつ貯金をしたのだが、なかには
「残されたたった一つの方法」として、夫が寝ている間にポケッ
トからくすねてきた、という婦人もいた。
一同は賑やかにそんなことを語り合っていたが、鉞子は悲し
くなってきた。婦人が自由で優勢なこのアメリカで、威厳も教
養もあり、一家の主婦であり、母である婦人が、夫に金銭をね
だったり、盗みなどという恥ずかしい行為までする、というこ
とが鉞子には信じられなかった。
日本では、妻は主婦として一家の支出を司るのがしきたりだっ
た。夫の収入を預かり、その中から、食物、子供の衣服、慈善
事業のための支出をまかない、夫には地位相応の小遣いを渡し、
自分の衣服は夫の地位に合わせる。そうしたことがきちんとで
きることが、妻の務めであり、誇りだった。
■6.共同体の光景■
しかし、日月が過ぎるにつれ、もの珍しさよりも、アメリカ
が日本に良く似ている点に気がつくようになった。
朝の8時頃、学校道具を持った子ども達が街一杯に笑い合い、
呼びあって行く姿を見ると、日本の朝の7時半頃、男の子は制
服、女の子は袴をつけて、お道具は風呂敷包みにして、下駄の
音も高らかに、行きかう様を思い出した。
2月14日のヴァレンタイン節に、赤いハート型の紙に思い
を書いて、薔薇のつるに結びつける様は、七夕に笹を立て、色
とりどりの短冊をつるす日本の風習にそっくりだった。
5月30日の戦死者記念日には、独立戦争と南北戦争の戦死
者を思い起こして、小さな星条旗やお花で勇士達の墓地を飾る
のを見ると、日本の招魂社(現在の靖国神社)の祭礼に、1日
中、ひきもきらずに社前に額づく幾千の人の群れが続く様が思
い起こされた。
7月4日、独立記念日を国旗をひるがえし、爆竹をならして
祝う様は、2千5百年前、神武天皇が即位された日を記念する
紀元節(現在の建国記念の日)に似ていた。
クリスマスに街中が華やかに飾られ、大きなプレゼントの箱
を抱えた人々が行き交う光景には、日本のお正月にそれぞれの
家が注連縄(しめなわ)を飾り、門松を立て、歌留多(かるた)
取りや羽根つきに興ずる様を思い出した。
人間が共同体の中で生活していく以上、子ども達を育て、先
祖に感謝し、戦死者に思いを馳せ、一年の節目をともに祝う、
ということは、どこの国でも変わらないことなのだろう。
鉞子は、自分の生涯が、日本での武士の娘の時代から、現在
のアメリカでの生活まで、一つの流れが変わることなく、坦々
と続いてきたもののように思い始めた。
■7.「私も日本の子なのね」■
やがて、松雄と鉞子に女の子が授かった。「母上」の名、フ
ロレンスが花を意味していることから、「花野」と名付けた。
花野は父親にも「母上」にも可愛がられてすくすくと育った。
花野が6歳の時、仲良しのスーザンがよちよち歩きの金髪の
美しい妹を連れてきた。花野はとてもうらやましく思い、寝る
前には「スーザンのように、私にも小さな妹を下さいませ」と
神さまにお祈りするようになった。
やがて、その祈りが聞き入れられたのか、妹が生まれた。花
野は眼を大きく見開いて、髪の毛の黒い妹をじっと見つめてい
たが、一言も口を聞かずに「母上」の部屋に行って、「あんな
妹を下さいとお願いしたのじゃなかったわ、スーザンの妹のよ
うな、黄金色の髪の毛の赤ちゃんが欲しかったのよ」と困った
ように言った。
「母上」は、花野を膝に抱き上げ、この家に二人も日本人の子
供ができて大変おめでたい事だ、と言って聞かせたので、花野
の失望も少しは慰められた。
ある日の午後、花野が客間の大鏡の前にじっと立っているの
を「母上」が見つけ、「何をしているの」と尋ねた。
私も日本の子なのね。私はスーザンのようでもないし、
アリスにも似ていないわ。
そして、涙を抑えてむせぶように、
でも、お母さまの髪は黒いのね、私の髪もお母さまと同
じだわ。
花野はその日から、日本のものごとに心動かされるようになっ
た。鉞子は夜な夜な、日本のおとぎ話を聞かせた。「黒い髪の
毛の美しい子ども」が、糸を桜の花びらに通して鎖を作ったり、
という話を、花野は喜んだ。鉞子が日本の子守歌を歌うと、花
野も小声であとをつけて歌った。
■8.異人さんと神国日本の人々がお互いの心の中が判りあうまでは■
アメリカの「母上」と一家4人の幸福な生活も、松雄の急死
で突然の幕が下りた。鉞子は二人の娘を連れて、東京に戻った。
娘たちは日本語の習得に苦労したが、やがて着物姿に黒髪が似
合う、いかにも可愛らしい日本の子どもになった。
鉞子の母親も東京に出てきて、ともに住むようになり、二人
の娘はお祖母さまの物語に耳を傾けたり、本の読み方を教わる
ようになった。ある時は、二人がお祖母様の両側に寄り添うよ
うに座り、お祖母様が花野に「アメリカのお祖母様」という漢
字を教えていたことさえあった。
アメリカでは快活な娘だった花野は、お祖母様の躾で、しと
やかになり、品もよくなった。しかし、鉞子はそれで花野が本
当に幸せになれるのか、考え込んでしまった。眼はもの柔らか
になったが、昔のように輝いてはいない。
母が高齢で亡くなると、鉞子は二人の娘と共に、再度の渡米
を決心した。日本を去る前に、鉞子は二人の娘を自分の故郷・
長岡に連れて行った。故郷の姉の家の土蔵で、鉞子は青い古び
た座布団を見つけた。鉞子の幼い頃、お祖母様が使っていた座
布団だった。鉞子は、お祖母様がこの座布団に座って、こう言っ
たのを思い出した。
エツ坊や。異人さんと神国日本の人々がお互いの心の中
が判りあうまでは、何度船が往来しても、決してお国とお
国とが近づきあうことはありませんよ。[1,p377]
こう言われた「エツ坊」は黒船に乗って、遠い異人さんの国
に旅をし、そこで西洋も東洋も人情に変わりないことを知った
のだった。けれども、これはまだ大方の東洋人にも西洋人にも
隠された秘密だった。
あから顔の異人さんも、神国日本の人々も、今尚お互い
の心を理解しおうてはおりませず、この秘密は今も尚かく
されたままになっておりますが、船の往来は今なお絶える
こともございません。絶えることもございません。
[1,p378]
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(618) 武家の娘(上) ~ 千年の老樹の根から若桜
武家という「千年の老樹」に生まれ育った娘は、若桜として異
国の地に花を咲かせようとしていた。
http://archive.mag2.com/0000000699/20091011070000000.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 杉本鉞子『武士の娘』★★、ちくま文庫、H6
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2. 櫻井よしこ『明治人の姿』★★★、小学館101新書、H21
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■ 編集長・伊勢雅臣より
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